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紅茶国C村の日々

カテゴリ:本を読んで( 36 )

「義母と娘のブルース」桜沢鈴

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これもメグからの差し入れです。面白く読めました。
そういうの、ありかなあ、と思うところもあるにはありましたが、
細かいことはさておいて、よく書けてると思いました。
最後まで完結してるところがよかったです。


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by agsmatters05 | 2018-12-08 05:22 | 本を読んで | Trackback | Comments(4)

矢部太郎 「大家さんと僕」

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を読みました。メグが贈ってくれました。
楽しかったよメグ。ありがとう。
「日本中、みんな、ほっこり」と裏帯に書いてありました。

素敵な上品なおばあさまが大家さんで、お笑い芸人の作者。
二人が仲良くお付き合いする様子が書かれていて、
ほのぼのとしたやさしさが伝わってきます。
派手じゃない。そして「しがない」けれど、めげない。
漫画だからすぐ読める(笑)。



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by agsmatters05 | 2018-11-27 10:23 | 本を読んで | Trackback | Comments(0)

原田マハ「暗幕のゲルニカ」

あられちゃんが送ってくれたこの本を読了しました。

とてもいい本でした。初めて読んだこの若い作家。テーマがいいし、興味深いことがたくさんありました。
政治も芸術もセプテンバーイレブンもマスコミも含めてピカソの絵画一編について、これほどの小説を書きあげられるってすごい構想力だと思いました。

一口感想文集のページは
こちら(上)。

アラレちゃんのメールにあったように、スペインへ行って、実際にこの絵の前に立ってみたい、と確かに(何度も)思いました。
いけるかなあ??? 思いがあればいつの日か・・・・(最初からあきらめてる必要はない、よね。)




例によって引用を。
その一。
ーーー自由になりたいの。
そう言って、別れを切りだしたのはドラのほうだった。
ーーー私は、これ以上、自分の気持ちをあなたに束縛されながらいきていくのはいや。そしてあなたを束縛しようとする自分の気持ちもいやなの。(P.464)
ピカソの女性関係(女性遍歴)はそれだけで何冊もの小説に値する、たぶん実際はそれ以上にすごいということを少しずつ知るようになってきたのですが、このドラ・マールという女性は、ゲルニカという作品とちょうど重なっていた時期の愛人。人間関係って長引くとなれ合いが膠着してうまくかみ合わなくなることがあり、それでも我慢するか、どこかで踏ん切りをつけて思い切るか。

日頃優柔不断で決断力のない私、デコボコが、この本の中でドラ・マールという女性が別れを切り出したというところにページの折れ目をつけたのでした。決断力!その一点でドラを評価しようとししたら、実は、いまウイキペディアで教えられたことですが、ピカソに別れ(絶縁状)をたたきつけた女性はたった一人、ドラの後の第7の女性だったそうです。






その二。

会場がふたたびしんと静まり返った。瑤子背筋を伸ばして官庁のスピーチに耳を傾けた。
「今回、どんなことよりも私が皆様方と一緒に喜びたいのは、当館のキュレーター、ヨーコ・ヤガミが不屈の精神でこの企画を実現させたことです。・・・・・(p。488、新潮文庫)

やっぱりここ、ウルルっと来てしまいました。ネタバレだったらすみません。

ヨーコとドラと最後に出てくるマイテ、3人とも共通する語り口で、作者の分身的な位置づけ。
でも、そういう文体の問題をこの本であれこれ求めたくない。
このテーマでこれだけの迫真性をもってほとんど現実のストーリーのように読ませてくれて、
私としては「ウエル・ダン」と言いたいです。




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by agsmatters05 | 2018-11-26 10:24 | 本を読んで | Trackback | Comments(0)

AX という本


実はラップトップトラブルはまだ続いています。
これはアイパッドで一本指で書いています。
トーシバサテライトちゃん、Mr.PCに
月曜日(11月5日)から木曜日(8日)まであずけて、ハードディスクをアップグレードしてくれることになったけど、残念ながらまだ日本語が書けない。涙。


ブログが書けなかったこの一週間、毎日いろんな事があり、ここに書きたいこともいくつかあったけど、大部分は日常的なもので、ううちゃんとブリッジと運転と食べ物の話ばかり。過ぎてしまえば、なんのニュースにもなりやしない。

昨夜ちょっと苦労して、アイパッド上で写真を編集しようとして見ました。イメージサイズという無料アプリをダウンロードして、それで小さくしたはいいけど、ピクセル数の感覚もつかめず、やたらと小さくなってしまってうまくいかなかったです。結局ラップトップに戻して編集して、アップ。だからこの記事はラップトップとアイパッドの合作です。

この記事といっても、読書ノートのみ。
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アラレちゃんが大量に供給してくれた今年の本屋大賞、なぜかミステリーが多くて、読む前から ビビってしまいましたが、ようやく一冊読み終えました。

伊坂幸太郎という東北大法学部出身の作者。
「最強の殺し屋はー恐妻家」というキャッチフレーズ。
ミステリーですから、あまり突っ込めませんが、不可解な部分は 残ったものの、そんなに片目で読まなければならないほど怖い話じゃなくて、
リアルな作者の(とおぼしき)日常がふんだんに描かれていて、面白かったです。

今回は引用はできない(手元に本がない、E街においてきちゃった)けど、感想その1。
最後の方で出てくる不動産屋さんの名前が布藤(フドウ)さんというのには笑わされました。その2、各章の間に印鑑で、主人公(語り手でもある)の名前が押されているのですが、最初はずっと、「兜」で、後半は「克己」となり、最後の章にはその両方の名前の印鑑が押してあります。一度で全体を発表してない作品のようで、バラバラに発表した短編の集まりにしては、よくこれだけまとめたと思いました。

いずれにしても、殺し屋という物騒なトピックと、日常生活とのミックスが、リアリティーがあってない!?その辺も謎(ミステリー)でした。


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by agsmatters05 | 2018-11-11 18:44 | 本を読んで | Trackback | Comments(0)

西出 郁代さんの 「また会える、きっと」編集工房ノア


昭和17年(1942年)生まれの、神戸大学名誉教授の作者が、同窓会に寄贈してくださった本ということで、読ませていただきました。
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2007年から同人誌「蛙面水(あめんすい)」の同人と書いてありました。

生涯の一コマ、一コマを短文にまとめられて、それを全体につなぎ合わせて、自伝ではないけれど、作者の生涯がある程度俯瞰できるような、そういう本にまとめてありました。もっと旦那様のこととか、二人の息子さんのことなども、書いて欲しかったような気がしますが、それは生々しすぎるのか、プライバシーにふれるのか、あまり描かれていませんでした。でも、こういう人生のまとめかた、半自伝的な短文のアンソロジーのような、本もありなのだと、とても興味深く読ませていただきました。

例によって、一番グッときたところを引用させていただきます。

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UCLA(カリフォルニア大学、ロスアンジェルス校)で博士論文を書き上げられた時、献辞をお母さまに書かれたときのことです。

「博士論文が完成したのは、1993年の年明けだった。春の学位授与式には母も招待して、ガウン姿で家族そろってレセプションに出たいとおもっていたのだが・・・・。前年春先に、母は持病が悪化して入院、その後も体調が回復しないまま、父の元に旅立ってしまった。稲穂が黄金色に耀よう栃波野を、秋風が渡り始めるころだった。論文の提出期限が迫っていた。あとは収集したデータを整理し、書きためた原稿をまとめればいいのだが、つい母のことを思い出してしまう。とにかく集中して書き上げるしかないと自分で自分を戒めた。それからは、昼も夜もなかった。時おり母もガーデナの家にやってきて、励ましてくれているように感じながら、無我夢中で書き上げた。
To my mother, Kino Nishide,
who inspired me with a love of learning
throughout her life

学位論文の冒頭に、母への献辞の言葉を記してペンを置いた時、ふと外を見ると、冬空の雲間から光の子が舞い降りるのが見えた。」(P.58-59)

それから、この本を読んでいて、うれしい発見がありました。
発見と言ったら大げさかもしれませんが、時々このブログにコメントをくださる繁子さんが学んでいらっしゃる兵庫県の「いなみ野学園」について書かれていたのでした。「高齢者教育の先進的モデル」として、作者の博士論文の研究テーマ(高齢者の教育機会の比較研究)の取材にここを訪れたのだそうです。(1986年、昭和61年の夏休み)。

その箇所も引用させていただきますね。


「1969年に創設された高齢者大学「いなみ野学園」は、七十年代にユネスコの成人教育長を務めたポール・ラングランの来訪を受け、日本における高齢者教育のメッカとも呼ばれるようになったという。事前に調べて多少の予備知識は持っていたが、学園長や関係者から直接話を聞くと、ひとつひとつなるほどと頷ける。創設者の熱い思いや、受け継がれ発展してきた学園の歴史が感じられて、貴重な経験となった。(p.49)

大講堂では、午前の教養講座が行われていた。受講生は六十歳以上と聞いたが、三百名のマンモスクラスの厳粛な雰囲気に圧倒されて、思わず姿勢を正したほどだった。昼食をはさんで午後は、園芸、健康福祉、文化、陶芸などの専門の講座があり、課外活動なども盛んだと言う。(p.50)」


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by agsmatters05 | 2018-10-25 08:02 | 本を読んで | Trackback | Comments(0)

渡世日記


こういう本(↓)を読みました。
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残念ながら上巻だけ。下巻がないのです。(業務連絡、メグさん、忙しいでしょうが、おねがいします。オンラインでブックオフに行ってもらったら、出てくるみたいです。)

なぜこの本?   ったく、気まぐれに、手に取っただけなんですが・・・。

だいたいこの「高峰秀子」という人は、私の世代の人じゃなくて、私の上の姉、昭和の大戦前にものごころついていた人にとってのスターだったのですよね。長姉はよくこの人のことを話していたし、たぶんファンだったとおもいます。それでこの本が山梨の実家にあったのを、たぶんカリフォルニアへ行った次姉がもらっていって、アナハイムの家の本棚に置かれてあり、それを2016年9月に姉妹会があったとき、私がもらいうけてきたものでした。なぜか上下そろってなかった(涙)。

たまたま気分的に(たぶん、もろもろのオワリが続いて心にぽっかり空洞ができて、日頃味わうことのない関心が生まれて)この本を読んでみようという気になったんだと思います。この2,3日で読み終えて、ちょっと得した気分、得るものが、手ごたえがあったと思って、今夜時間がないけど。タイミングを逃すと書きそこなうかもしれないので、思うことを全部書けなくても今夜書いてしまうことにしました。
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名子役の誉れ高かったのだそうですが、子役時代の作品にお目にかかってなくて、自分で確かめることはできないのが残念です。

でも、学校教育をほとんどまともに受けてなくて、これだけの文章(この本のことですが)をものすることができるって、やっぱりそれだけでもすごい才能と努力の結果だと思われます。努力と才能はウラハラで、才能のある人が努力できる、とも言えるでしょうし。

それで、すこしユーチューブとかウイキペディアとかへ行ってみました。古い映画で「稲妻(1952年、大映)(監督、 成瀬巳喜男、原作、林芙美子)を見ることができました。(ユーチューブってありがたいですね。)

いつもの引用を。

私はいつも、自分の人生を「おかげ人生」だと思い、今もそう思っている。まず、映画俳優の仕事は画家や彫刻家と違って、一人では絶対にできない。だれかがライトを当ててくれなければ、だれかがカメラをまわしてくれなければ、私がいかに熱演しようとも画面には映らない。そんなことは百も承知だが、それをあえてここに書くのは、私が感傷的なのかもしれないし、お年のせいで涙腺がゆるんできたと言われるかもしれないけれど、人間は一人では生きることも死ぬこともできない哀れな動物だ、と私は思う。

自分一人で生きているつもりでも、実は数えきれぬほどの他人の世話になり、他人のおかげで生かしてもらっているのだし、死んでから起きあがって自分の墓にまで歩いて行って無事におさまるというわけにはいかないから、死んだあとにも、やはり他人の世話になるのだ。

これが「おかげ人生」でなくてなんだろう?私はいったい、このたくさんの「おかげ」に対して、なにか報いることが出来るだろうか? たまたま俳優という一本のクギであるならば、優れた演技を示すことで、他のクギたちの努力に報いる、ということも考えられる。けれど演技というものは、ただシャカリキに熱演しても名演技が生まれるという簡単なものではない。

チビッ子少女の私にできることは、せめて一緒に仕事をするスタッフに迷惑をかけないこと、くらいだった。それが私の処世訓のはじまりであった。
(P.152,153 ‘朝日新聞社 昭和58年第3冊)

未完ですが今夜はここまでにしておきます。


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by agsmatters05 | 2018-09-12 10:46 | 本を読んで | Trackback | Comments(0)

「バッタを倒しにアフリカへ」前野ウルド浩太郎著


表題の本をようやく読み終わりました。

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はてなブログも書いておられて、 タイトルは「砂漠のリアルムシキング」。ところが今は休筆中。それというのも海外のどこかで研究中だから、とか。

前野さんというので、 ブログのアドレスが (↓)のように、もじってあります。

http://d.hatena.ne.jp/otokomaeno/archive

どことなく私のブログ、ハンドル名「デコボコミチ」の由来に似ているかも。
もちろんこれは 「川の流れのように」の歌の、 「デコボコ道や、曲がりくねった 道。」から来ているのですが。

とっても面白い本です。ユーモアが本全体に漂っていて、声は出さなくても、読みながら影て笑いどおしという感じでした。

ヨシさん、ありがとうございました。この本をくださった同窓の友に感謝、感謝、感謝。

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これ(↑)は (おとこ)前野さんの ブログの一ページから拝借しました。

例によって、引用を一か所してみようとおもいます。読みながらウルルときてしまったところ。くすくす笑わせながら、ほろりとさせられたのは、なんと著者が京都大学の白眉プロジェクトに応募して京大総長との面接に臨んだところ。 本当は、バッタ研究のためにモーリタニアに住んで、現地の様子を描いているところの方がずっとこの本のメインなのですが、あえてそこではなくて、です。


松本総長との面接は英語だった。私が質問に答えるたびにメモをとっている。
今年で5期目となる白眉プロジェクト。一人で何百人もの面接をしてきた中で、松本総長にとって、初めてモーリタニアから来た面接者だったのだろう。
「前野さんは、モーリタニアは何年目ですか?」
という素朴な質問が来た。
「今年が3年目です。
それまではメモをとったら、すぐに次の質問に移っていた総長が、はっと顔を上げ、こちらを見つめてきた。
「過酷な環境で生活し、研究するのは本当に困難なことだと思います。私は一人の人間として、あなたに感謝します。」
あやうく泣きそうになった。まだ何も成果を上げていないから、人様に感謝される段階ではないが、自分なりにつらい思いをしてきており、それを京大の総長が見抜き、労をねぎらってくださるなんて。ずっとこらえていたものが決壊しそうになった。泣くのをこらえて、その後の質問に答えるのはきついものがあった。」(P.299-300)



おもしろおかしく書いてあるけれど、モーリタニアでの生活にはさぞかし辛いことがたくさんあったのでしょう。人は思いがけないところで自分の苦労を認められて、ねぎらわれたら、ーーー人はというより、私だって、人知れず(語るなく!)耐えたり、がまんしたり、努力したりしていることを、ふっと褒められたりしたら、どんなにか涙ぐんでしまうことか。総長の人格も立派だとおもうけれど、(おとこ)前野さんのほろっとさせられたという言葉の裏に、どれだけ砂漠で苦労をしたかということが込められているかがわかって、そこもまた心を動かされてしまったのでした。

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今日のお弁当(↓)

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筑前煮風といっても材料に限りがある異国暮らしですから、とり肉、大根、人参、干し椎茸、それにちょっとじゃがいもとサツマイモがあったので、入れてしまいました。TPS という学校を12時半に終えて、A41の道路に入る途中のレイバイ(脇道)で、いい景色を見ながら美味しくいただきました。もう一月が終わりかけていて、日差しが明るくなっているのが感じられます。多分、日本もそうですよね。朝明るくなるのが早くなり、冬から春への季節の動きが感じられた一日でした。


もう一枚、リンちゃんの作品です(↓)。大きなゴム版を彫刻刀で削り、ジブンでプリント。アートは言葉の壁を超えて表現できるので、なんとかリンちゃんもみんなに伍してやっていけそうなのですが、アートの先生に言わせると、まだまだ(りんちゃんは)遅れているのでやらないといけないことがたくさんあるって。


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今日の戦果(敗戦の記録)
パートナー: 師匠
勝ち率(負け率): 47.92% (9ペア中、6位)
師匠、親6回、46%。私 親 5回 36%。
何が悪かったかというと、ビッド(ビッディング)がかみ合わなかった。予想を高く見積もりすぎたり、低く見積もりすぎたり、オーバービッド、アンダービッドの不運=失敗が多かったのだ。残念無念。
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by agsmatters05 | 2018-01-31 11:59 | 本を読んで | Trackback | Comments(1)

グランマじゃない日々-C村でパソコンとなかよくする日

今週は3連休。
12月8,9,10の三日間、C村に帰ってきました。
ウウちゃんはパパと二人で、リッチモンド(ロンドンの南側)にある大きな遊園地 Snakes and Ladders で遊び、その後マクドナルド・・・とか。だからこれは「グランマじゃない日々」の記事です。これ( ↓ )はセガからのアイクラウド送信。

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これはこれでウウちゃんの楽しい一日の思い出となることでしょう。
私自身のこどもの頃の出来事を思い出してしまいました。

たぶん幼稚園ぐらいの頃だったとおもいます。

なぜそうなったのか、(こどものわたしには)全然知るよしもないことでしたが、 父(おとうちゃん)と二人だけで遠くへ出かけて行き、なぜか途中の見知らぬ遊園地(私には見知らぬ場所の見知らぬ遊園地でしたが)に立ち寄り、私一人がその遊園地の遊具で遊ぶのを、父がそばでじっと待って、見守っていてくれたことがありました。

ただそれだけの記憶です。でも、あの時私は、こどもごころにうれしくて、楽しかった。そこに友達もいないし、ほかにだれもいなくてさびしいような場面でしたが、父親と二人だけでそういう時間を共有できたことが、おさなごころの私にも、いい思い出として今でも残っています。 言葉に出して言ってしまえば、あの時私は「父親の愛情を感じることができた」のでした。

ウウちゃんもきっとそんな風に大人になって、今日の遊園地のことをおもいだすんじゃないかなあ。
そうだったらいいのですが・・・

でもって、グランマじゃない凸凹ミチは、今朝こんな本(↓)を読み終わりました。

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大学時代の友人、先月一緒にストーンヘンジやウインチェスターに旅行したアラレちゃんこと、ヨシさんからいただいたたくさんの本の中の一冊。ちょうど9月に山梨で姉からこの本の話を聞いていた本でした。

威勢がいい作家、90歳でこういう歯切れのいいエッセイが書けるって、頼もしい人。直木賞受賞作(戦い済んで日が暮れて)をぜひぜひ読みたくなってしまいました。

「女性セブン」に隔週連載したものだそうです。エッセイ集。

例によって一、二か所引用してみます。

私は九十二年の人生をあと先考えずに生きて来たもので、そのために次々と災難を引き寄せてきた。誰のせいでもない。そんな私の性(さが)が引き寄せる災難であるから、どこにも文句のつけようがない。夫が悪いとか親のせい、誰それのせい、あいつに騙されたなどといいたくても、どう考えても私の我儘や協調性のなさや猪突猛進の性のために降りかかった苦労であることは明らかであるから、恨むなら自分を恨めということになって、仕方なく諦める。反省して諦めるのではなく、あっさりすぐに諦めるものだから、懲りずにまた同じ過ちをくり返す。人生いかに生きるか、なんて考えたこともない。その場その場でただ突進するのみだった。(P.205)




「ああ、長生きするということは、全く面倒くさいことだ。耳だけじゃない。眼も悪い。始終、涙が出て目尻目頭のジクジクが止らない。膝からは時々力が脱けてよろめく。脳ミソも減っていた。そのうち歯も抜けるだろう。なのに私はまだ生きている。
「まったく、しつこいねェ」
思わず呟くが、これは誰にいっているのか、自分にか?神様にか?わからない。ついに観念する時がきたのか。かくなる上は、さからわず怒らず嘆かず、なりゆきに任せるしかないようで。

ものいわぬ婆ァ(ばばあ)となりて、春暮るる。」(P.214)

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by agsmatters05 | 2017-12-10 11:12 | 本を読んで | Trackback | Comments(0)

小説・新島八重(新島襄とその妻)・福本武久 


ちょっと(ブログ投稿の)間(ま)が空いてしまいました。
タイトルの本、その二です。もう一冊があると三部作全部揃うのですが、残念ながら未入手。
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新島襄と同志社の関係を、あらためて再認識したというより、むしろ、はじめてその詳細を知りました。簡単に今のような大きな私立大学がポンと作れたわけじゃなくて、それこそ命がけで、夜も寝ずに苦心して、血みどろになって奔走して、ようやく出来上がった大学だということを知りました。津田梅子さんの場合もアメリカからの援助が大きかったのは確かですが、同志社もおなじく多額の貴重な寄付金によって、最初の土台が築かれたのですね。しかも、場所が場所だけに、苦労も格別だったと。キリスト教(耶蘇教)に対する京都の仏教界の反発は相当なものだった。八重さんはそのために職を失ってしまうほどだったんですね。

この本の主人公は八重さんなので、あまり批判的なことは書いてないですが、ウイキピディアなどで別の見方をしている八重さん評価もあることを知りました。テレビドラマの八重さんも、またそれなりにこの小説とも違うし、おそらく実在した本人像とも違いがあったことでしょう。

新島襄の有名なエピソード「自責の杖」の出来事についての一節を引用させてもらいます。
「私はいつも、いちばんあつかいにくい生徒に特別の注意をはらっている」襄は次第に声を高め、「そうしなければ教壇に立つ者の成功はのぞめないのです。」と言った
 八重は紫色に腫れあがった襄の掌をみつめながら、良人のふるまいに計算ずくの芝居気などほんの少しもなく、一瞬たりといえわが良人を疑った自分を深く恥じた。
私はこのたびのことで学ぶところが多かった。容易ならぬ出来事が起こっても、逃げなければ、自然と問題は解決にみちびかれることを教えられた
襄はしみじみと言い清々しい笑いを浮かべるのだった。(p.187)

それから、男装して戊辰戦争を戦った女性だった、ということも驚くべきことでした。なぜか、あまり深い意味はないのですが、↓の引用を付け加えておこうと思います。たんなる備忘録ですが。
遠雷のように砲声が小田山のあたりにひびき、砲弾が天守閣めざして頭上をとんでゆく。P.208
コンピューターで、大河ドラマを全編(たぶん)見ることができそうだと、今にして知ったのですが、果たして全編PCで見る時間があるかどうか。これも縁もの、時のウンのようなものでしょうか。

6月最初の記事(↓)を書いてから、早くも20日あまり。

はい、はい、予想外の出来事も含めて、6月が終わる前に書いておきたいことがあと5,6編あるのですが・・・。


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by agsmatters05 | 2017-06-24 06:53 | 本を読んで | Trackback | Comments(0)

小説・新島八重(会津おんな戦記)

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4年前のNHK大河ドラマだったんですね。海外にいては、とても無縁の話でした。もっとも、海外でも日本のテレビを見たい放題の暮らしをできる方々も大勢いらっしゃるようですが。

ともかく、4年以上たってから、この大河ドラマの素になった八重さんのことを書いた本をどうにか読むことができました。

今、ウイキ様のサイトで大河ドラマ「八重の桜」を初めてみることができました。ユーチューブに行くと、最初からずっとこれが見られることも今、知りました。 ⇐ ああ、遅れてる、遅れてる。

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でも、とにかく、すべてのものに時があって、ついに私もこの本をよむことができたのでした。
一言で言うと、 「戊辰(ぼしんん)戦争」というものの、いい勉強になりました、ということにつきる、かな。

高校の時歴史の時間にこの言葉を聞いたおぼろな記憶はあれど、白虎隊の悲劇と直結することもなく、とにかく幕末の会津藩のおかれた立場のなんという気の毒なこと。それがよくわかりました。

そして、八重さんって、「男勝り」と言っていいのかどうか、あの動乱の江戸から明治に社会が激変する時代に、かなり型破りの生き方をした方だったんですね。

それは生まれと、育ちと、素質がすべて相まって、あの変化の激しい時代だったから、よけい型にはまらない生き方ができた、いえそうせざるを得なかった、ということなのでしょうか。それとも、社会や時代がどうであれ、才覚のある人はどんどん生き延びていくのだということなのでしょうか。

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この本は、戦争や時代を大きく描くのではなく、ただ山川八重という人の、特に戊辰戦争の渦中にあってのこの女性の行動を中心に描いたものでした。ウイキぺディアの大河ドラマのページは、この本よりはるかに大勢の人物の大きい物語を扱っていて、この本イコール大河ドラマではないことが、よくわかりました。

ほかに、ネットで検索したら、この本について、ないものねだりをしている感じのサイトにあたりました。八重さんの性格や人柄があまり見えてこない、と言われれば確かに、この本の八重さん描写には限界があるともいえるでしょうが、私には、それはあまり気になりませんでした。事実を調べ上げて、これだけの小説を書くということのエネルギーとご苦労を尊重すべきだろうと、おもわれました。

駒子の備忘録 観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど
福本武久『小説・新島八重 会津おんな戦記』『小説・新島八重 新島襄とその妻』(新潮文庫)2012年10月13日 | 乱読記/書名さ行

次は、後編、新島襄と同志社設立の話に移ります。

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by agsmatters05 | 2017-06-18 17:46 | 本を読んで | Trackback | Comments(1)

紅茶国で(元)日本語教師(今もちょっとだけ)。身の回りのいろんなことを気ままにつづっていきます。日本語教育のほかに、イギリス風景、たまには映画や料理や本やニュースや旅や、家族のことなど。