2025年 12月 09日
12.8(月) ふつうの日だけど、ちょっと特別かな。年に一度の。




お誕生日 おめでとうございます~(*^^)v
なんと! 私の母も 12月8日生まれなんですよ。
昨日で97歳になりました。
ご家族のにこやかなお写真
立っている方が ミチさんでしょうか~
私の両親は見合い結婚でした。
母が 当時のことを よく話してくれました。
3枚の見合い写真から 一番ハンサムなのを選んだそうです(笑)
それから
私が生まれたのは 母がお昼にうどんを食べた後だったそうです。
母子手帳残っていますので 3時半と書かれています。
陣痛はなかったの? (笑)
子供の頃のお話
また ぼちぼち 聞かせてくださいね~(*^^)v
過去を振り返り思いだすのは
ボケ防止に良いそうです。。。
お父さんお母さんの笑顔、素敵です。
こんな風に感謝されたら、お二人とも、きっと、喜ばれてますね。
健康で、長生きしましょうね、一緒に。
おめでとうございます🎉㊗️
12月8日、お母さんの誕生日と一緒で、うれしいです。
太平洋戦争が始まるよりずっと前ですものね。
真珠湾攻撃の日は、アメリカでは時差のせいで
12月7日になってるみたいですけど、
お母さんは誕生日を祝ってもらえたんでしょうか?
1941年と言えばお母さんは13歳ですね。
良い人生をおくられたこと、間違いなしですね。
「おさなものがたり」どこからはじめて
どこまでいくか、やってみたいけど、きっかけが
必要かも。私を産んだ母の頃は母子手帳なんて
なかったように思います。全部、自宅でお湯を沸かして、
たらいで産湯の時代だったと思います。
ピンポーンです。高校生だったか、大学生だったか
覚えていません。ほんと、両親がこんな笑顔を
しているのは、きっと就職を始めた姉が買った
自分のカメラで撮った写真だからかなあ、と思います。
まだまだ感謝し足りないかもですが、
日ごろあれこれ思い出しては、なつかしくなります。
よく思い出すのは、夜爪を切ると親の死に目にあえない、
と言われて気を付けていたのですが、けっきょく
残念ながらそうなってしまいましたねえ。いまでも
爪を切るたびに思い出しています。今は気を付ける必要も
ないのにやっぱり夜爪を切るのはためらいますねえ。
誕生日は親に感謝の日 親がいてくれて自分ですものね
セピア色の写真は味わいが有りますね お姉さまおしゃれなお洋服ですね
その当時車が有った家って少なかったのではありませんか
12月の誕生日って、それまでは去年の誕生日の年齢をいえば
よかったんですよね。なんだか去年の誕生日からずっと、
さばを読んで今年(8日)にそうなる年齢だと思い込んで
いました。12月7日まで喜寿でした。(忘れてた、笑)。
なので、数え方を変えることにして、あと2回誕生日がきたら
大台になる! と思うことにしました。
そうですね。親は心の中にしかいませんね、残念ながら。
ということは、感謝ももちろん、自分の心の中の親にする
ということになりますかねえ。思い出すのはしょっちゅうですが、
この思い出に感謝となると、はてさてその先はどうしましょう・・・
セピア色の写真しかなくて、残念ですが、
写真に写っているのは姉じゃなくて、妹なんです。だからきっと
姉が撮ったのだろうと思ったんですが、撮ったひとのこと
この写真のこと、全然覚えてないんです。(おっそろしい)
そして車のことも、リヤカーがテーラーに代わったことも、
テレビや家庭内電化製品と
途中で切られてしまいました。
(テレビや家庭内電化製品と) おなじく、
隣近所と同時期に購入、つまりあれはそういう「時代」だったのか、
という気がします。とはいえ、よその家より早いほうじゃなくて、
テレビなんか、近所に見せてもらいに行ったことを覚えています。
それを止めたくて(それでは困るから)親がテレビを買う気になったのかなあ、
なんて、今頃になって思い当たる節もあります。
車は1960年代後半、私が高校卒業後、東京で寮生活をしていた時、
朝、急に車で寮まで出かけてこられて(笑)びっくりしたことがあります。
この話、ちょっと長くなりそう。ここで書ききれない(笑)。いつかまた
思い出話にしましょうか・・・


