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紅茶国C村の日々

運河沿いの散歩

先日、めずらしく晴れあがったある日、家に閉じこもっていてはもったいないようないい天気の日でしたので、運河沿いの散歩に行ってきました。写真をたくさん撮ったので、早く載せたかったけど、グーグルフォトにアップロードされるのに時間がかかり、すぐに記事にできませんでした。いかにも紅茶国らしいタダで楽しめる運河沿いのウォーキング。暑くもなく、寒くもなく、快晴の一日でした。

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写真は順不同ですが、道々歩きながら、アイフォンでカシャカシャした写真ばかりです。青い空がきれいでしょ。水に映ってもなお青い。

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ね、もう秋が来てますね。この運河沿いをあるくとおそらく両手にいっぱいの黒苺など簡単に摘み取ることができます。なんどかジャムにしたことがあるけど、種があるのが難点でした。

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これ(↑)はストークハモンドという村にある スリーロックス(三つの水門)と呼ばれている場所です。左側はパブ。大勢人が集まっていました。晴天の日曜日となれば人が集まってくるのは不思議じゃない場所です。

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アイフォンを空に向けて、撮りました(↑)。

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これもスリーロックスの全景です。数えたら、全部で水門は五つありました。前後に二つないと水の高さを調節できないから、3回水門を通るためには4っつのロック(水門)が必要なはず、一つは待合わせ場所のようなものかもしれません。
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これ(↑)は、ホーソン(サンザシ、山査子)の実。なぜかこの木の名前だけは私は知っていて、かつての教え子の名前と同じなのですが、これを見ると彼はどうしているかなあ、と思います。「琉玖」という漢字を使って、今は日本で大きなコンピューターの会社でプログラマーとして働いています。きれいなガールフレンドと楽しい写真をインスタグラムによくアップしてくれています。

今、グーグルしたら、山査子(ホーソン)の実って、食べられるんですね。この運河沿いを歩けばものの1,2分で両手にいっぱい収穫できるほどです。探す必要もなく、この散歩道は、黒苺と山査子でとっても色鮮やかな季節になっています。
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そして、この(↑)ロングボート。この運河を歩けば至る所にこういう船が止まったり走ったりしています。こういうところに住みついている人もいっぱいいるんですよね、紅茶国には。ここでちょっとまたグーグル様に聞いてみました。

There are thought to be around 15,000 people living aboard canal boats in the UK.

ですって。一万五千人ぐらいが紅茶国ではこの船に乗って生活しているんだって。写真撮ってないけど、ある場所では、きれいな緑色に塗り立てたロングボートに住んでいるカップルが、この場所には2週間ほど滞在してまたほかの場所に移って行くと言っていました。その船はクロアチアで作られたもの、何年もリサーチを重ねて購入したもの、とても気に入ってる、と話してくれました。船の中はちゃんとベッドも、電源もキッチンもトイレもシャワーもすべて整ってはいるようですが、郵便物はどこでどうやって受け取るの?とか、その他もろもろ水上生活者に聞いてみたいことはたくさんあるのですが・・・
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途中で潜り抜けた運河をまたぐ橋。もちろん上は自動車が通る道です。1930年にこの橋は作られたと、レンガの一つに数字が刻まれていました。もっとも、スリーロックスのところの水門の一つは1879年に作られたと記してありました(↓)。鉄道が発達する前にこの運河がイギリス中でかなりくまなく切り開かれた(らしい)。


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以下、MOREでは、ウイキペディア様から引用させていただいたイギリスの運河の歴史をかいつまんで載せさせていただいてます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/イギリスの運河







グレートブリテン島における運河は、ローマ帝国の支配下において用いられたものが始まりで、これは主に灌漑用として使用された。・・・。しかし、これらの運河は排水用の水路と構造がほとんど変わらず、今日我々が考える運河とは性格が異なる[2]

グレートブリテン島の輸送用水路のネットワークは、(新規運河の工事よりも、既存の河川を運輸可能に整備する形で)ゆっくり着実に整備されていった。水門と曵道を備えた最初の運河は1564年から1567年にかけてエクセターに建設された。・・・


18世紀になり産業運輸の需要が高まると爆発的に発展した(運河時代を参照)。当時の道路は大量輸送に適さなかったため、運河は産業革命の進捗の鍵であったのだ。馬車鉄道による大量輸送のシステムは出来上がっていたが、(特に、陶器類などのマニュファクチュアによる壊れやすい製品の)大量輸送を素早く行える大径車運行に適した道路は少なかった。


運河用ボートは陸路よりもはるかに早く、大量の荷物を安全に運ぶことが出来た。・・・


18世紀終わりから19世紀初めにかけて産業革命が本格化すると、運河は大いに繁栄し、様々な技術的変革を経験した。初期の運河は丘陵を迂回する形で作られていたが、後には閘門(ロック)によって登り・下りかかわらずに運航するようになり、さらに後には、長い水路橋で谷を、長く深いトンネルで丘を直進するようになった。



だが、19世紀半ばより鉄道が運河の代わりに使われるようになった。・・・


運河のネットワークは下火になり、多くは鉄道会社に買い取られることになった。狭路の運河は、雑草に覆われて泥やゴミが沈殿したり、鉄道に改装されたりして使われなくなった。



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Commented by mittyan-buhibuhi at 2018-09-06 19:41
そういえば、サンザシってどこかで食べましたよ、私。
いちごジャム、種が多いと、こさなきゃいけませんね、そりゃ大変です(≧∇≦)でも、美味しいでしょうね

青空がきれい、もうじき、緑茶国もこうなりますよ。

今日は朝から、北海道の地震のニュース。
怖いです。、
Commented by 大﨑繁子 at 2018-09-06 21:25 x
運河の歴史、勉強になりました!
運河を船で行くと、とても涼しい風を感じたことを思い出します。
Commented by agsmatters05 at 2018-09-07 07:57
小夏さん、
暑い夏が過ぎたと思えば、台風。そしてそのあとは地震。次から次へと自然の災害に見舞われどうしの日本。お見舞い申し上げます。はやくしのぎやすくて、のどかな、読書と食欲の秋が来てほしいですよね。
Commented by agsmatters05 at 2018-09-07 07:59
繁子さん、
このロングボートというのは、観光用に乗せてもらうこともできるみたいです。時間に縛られない旅にはぴったりですね。ご家族でまたイギリスへという話は出ていないのでしょうか?お待ちしています。
by agsmatters05 | 2018-09-06 09:57 | 行ったところ | Trackback | Comments(4)

紅茶国で(元)日本語教師(今もちょっとだけ)。身の回りのいろんなことを気ままにつづっていきます。日本語教育のほかに、イギリス風景、たまには映画や料理や本やニュースや旅や、家族のことなど。
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