2017年 12月 10日
グランマじゃない日々-C村でパソコンとなかよくする日
今週は3連休。
12月8,9,10の三日間、C村に帰ってきました。
ウウちゃんはパパと二人で、リッチモンド(ロンドンの南側)にある大きな遊園地 Snakes and Ladders で遊び、その後マクドナルド・・・とか。だからこれは「グランマじゃない日々」の記事です。これ( ↓ )はセガからのアイクラウド送信。
これはこれでウウちゃんの楽しい一日の思い出となることでしょう。
私自身のこどもの頃の出来事を思い出してしまいました。
たぶん幼稚園ぐらいの頃だったとおもいます。
なぜそうなったのか、(こどものわたしには)全然知るよしもないことでしたが、 父(おとうちゃん)と二人だけで遠くへ出かけて行き、なぜか途中の見知らぬ遊園地(私には見知らぬ場所の見知らぬ遊園地でしたが)に立ち寄り、私一人がその遊園地の遊具で遊ぶのを、父がそばでじっと待って、見守っていてくれたことがありました。
ただそれだけの記憶です。でも、あの時私は、こどもごころにうれしくて、楽しかった。そこに友達もいないし、ほかにだれもいなくてさびしいような場面でしたが、父親と二人だけでそういう時間を共有できたことが、おさなごころの私にも、いい思い出として今でも残っています。 言葉に出して言ってしまえば、あの時私は「父親の愛情を感じることができた」のでした。
ウウちゃんもきっとそんな風に大人になって、今日の遊園地のことをおもいだすんじゃないかなあ。
そうだったらいいのですが・・・
でもって、グランマじゃない凸凹ミチは、今朝こんな本(↓)を読み終わりました。
大学時代の友人、先月一緒にストーンヘンジやウインチェスターに旅行したアラレちゃんこと、ヨシさんからいただいたたくさんの本の中の一冊。ちょうど9月に山梨で姉からこの本の話を聞いていた本でした。
威勢がいい作家、90歳でこういう歯切れのいいエッセイが書けるって、頼もしい人。直木賞受賞作(戦い済んで日が暮れて)をぜひぜひ読みたくなってしまいました。
「女性セブン」に隔週連載したものだそうです。エッセイ集。
例によって一、二か所引用してみます。
12月8,9,10の三日間、C村に帰ってきました。
ウウちゃんはパパと二人で、リッチモンド(ロンドンの南側)にある大きな遊園地 Snakes and Ladders で遊び、その後マクドナルド・・・とか。だからこれは「グランマじゃない日々」の記事です。これ( ↓ )はセガからのアイクラウド送信。
これはこれでウウちゃんの楽しい一日の思い出となることでしょう。
私自身のこどもの頃の出来事を思い出してしまいました。
たぶん幼稚園ぐらいの頃だったとおもいます。
なぜそうなったのか、(こどものわたしには)全然知るよしもないことでしたが、 父(おとうちゃん)と二人だけで遠くへ出かけて行き、なぜか途中の見知らぬ遊園地(私には見知らぬ場所の見知らぬ遊園地でしたが)に立ち寄り、私一人がその遊園地の遊具で遊ぶのを、父がそばでじっと待って、見守っていてくれたことがありました。
ただそれだけの記憶です。でも、あの時私は、こどもごころにうれしくて、楽しかった。そこに友達もいないし、ほかにだれもいなくてさびしいような場面でしたが、父親と二人だけでそういう時間を共有できたことが、おさなごころの私にも、いい思い出として今でも残っています。 言葉に出して言ってしまえば、あの時私は「父親の愛情を感じることができた」のでした。
ウウちゃんもきっとそんな風に大人になって、今日の遊園地のことをおもいだすんじゃないかなあ。
そうだったらいいのですが・・・
でもって、グランマじゃない凸凹ミチは、今朝こんな本(↓)を読み終わりました。
大学時代の友人、先月一緒にストーンヘンジやウインチェスターに旅行したアラレちゃんこと、ヨシさんからいただいたたくさんの本の中の一冊。ちょうど9月に山梨で姉からこの本の話を聞いていた本でした。
威勢がいい作家、90歳でこういう歯切れのいいエッセイが書けるって、頼もしい人。直木賞受賞作(戦い済んで日が暮れて)をぜひぜひ読みたくなってしまいました。
「女性セブン」に隔週連載したものだそうです。エッセイ集。
例によって一、二か所引用してみます。
私は九十二年の人生をあと先考えずに生きて来たもので、そのために次々と災難を引き寄せてきた。誰のせいでもない。そんな私の性(さが)が引き寄せる災難であるから、どこにも文句のつけようがない。夫が悪いとか親のせい、誰それのせい、あいつに騙されたなどといいたくても、どう考えても私の我儘や協調性のなさや猪突猛進の性のために降りかかった苦労であることは明らかであるから、恨むなら自分を恨めということになって、仕方なく諦める。反省して諦めるのではなく、あっさりすぐに諦めるものだから、懲りずにまた同じ過ちをくり返す。人生いかに生きるか、なんて考えたこともない。その場その場でただ突進するのみだった。(P.205)
「ああ、長生きするということは、全く面倒くさいことだ。耳だけじゃない。眼も悪い。始終、涙が出て目尻目頭のジクジクが止らない。膝からは時々力が脱けてよろめく。脳ミソも減っていた。そのうち歯も抜けるだろう。なのに私はまだ生きている。
「まったく、しつこいねェ」
思わず呟くが、これは誰にいっているのか、自分にか?神様にか?わからない。ついに観念する時がきたのか。かくなる上は、さからわず怒らず嘆かず、なりゆきに任せるしかないようで。
ものいわぬ婆ァ(ばばあ)となりて、春暮るる。」(P.214)
by agsmatters05
| 2017-12-10 11:12
| 本を読んで
|
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