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紅茶国C村の日々

スピコン15物語(1)

1)最初の応募、締め切りは3月末日。

毎年恒例の、紅茶国での日本語弁論大会は、JLC・ALLとJF(国際交流基金)の共催で、在英日本大使館の後援です。このJLC・ALLとはどんな団体かというと、語学教育(学習)連盟 日本語委員会とでもいうのでしょうか。Japanese Language Committee of the Association for Langaugae Learningのことで、英国内の語学教育(英語教育じゃなくて、英語以外の外国語科目、仏、西、伊、独、露、日本語など)の、先生たちの集まり。4500人ぐらいのメンバーがいるそうです。日本語委員会のウエブサイトはこちら

今年のスピコンの予選締め切りに合わせて、3月の末頃はとてもバタバタしてました。()

この記事にちょっと書きましたが、そうそう、思い出した、締め切りが10日ほど延びたのでした。 それで学校がイースターの休みに入ってから、生徒たちに学校に来てもらって録音をしました。応募は録音ファイルを送るだけで、ウチの学校からは今年は4人のスピーチを録音して送りました。

特にテオ君は去年出場して、最終選考に残り、結局2位になった子でした。その記事はここと、ここと、ここ。本人はあの時もらったカメラは全然使ってない、使う時がないといって、コンピューター(一位の賞品)を欲しがっていたのでした。でも同じレベル(キーステージ3部門)で2度も応募できるのかどうか不確かでした。主催者の先生にメールして、一位以外は再挑戦もOK という返事をもらった上での、カムバックでした。(敗者復活戦というか・・・)

テオ君のほかに、もう一人7年生のオリバー(TB)クン。7年生は、タイトルが「僕の好きな人」と決まっていて、彼は指輪物語を書いたトルキーンのことについて、すごくがんばってスピーチを書きました。それから、11年生のアユ君。彼はオリバー(BI)君の大の仲良しで、去年の東京でのホームステイも一緒でした。

アユ君はギターが上手で、今回は「校内音楽祭」についてのスピーチでした。彼の語学の才能もとても豊かで、今回優勝したオリバー君と勝るとも劣らぬレベルの日本語力の持ち主でした。だけど、校内音楽祭というテーマが、日本語弁論大会で聴衆を引き付けるだけのものを持っていたかどうかが?でした。これは本人もよく承知していたようでした。それにこのアユ君ったら、たとえ一次予選を通過して、最終選考に選ばれても、それには参加できないと最初から決めてました。6月20日より前にインドに行く切符を買ってしまっていたから、でした。

2)ファイナリストの発表(5月のはじめ)

今、5月のメールを探したら、予選の結果を知らされたのは5月18日のことでした。テオ君は、まだかまだかと2-3度私に問い合わせてきてました。5月の9日にリーズで学会があったとき、ある係りの先生がふと、このスピコンの一次予選である音声ファイルを聞きわける作業が大変だとおっしゃっておられました。大勢の先生がたがこの音声ファイルを何度も聞いて、最終選考に残る18人のスピーチを選びだす御苦労をされていたのでした。

3)応援団の準備 これが大変。

結局今年はわが校から2名の一次予選通過者を出すことができて、これからが本番!と思い始めたのは、ちょうど二次選考の1か月前頃でした。 もちろんこれから二人はスピーチの練習に本腰を入れなければなりません。この二人は、保護者と一緒に参加が可能で、その旅費も支給されるとのことでした。例年なら、会場が大使館なので、セキュリティーの制限が厳しく、誰が何人参加というチェックを経なければなりませんでしたが、今年は最終戦の会場は大使館ではないので、誰でも自由に入場できるとのことでした。

それでも、応援団を連れていくためには、学校に スクールトリップの許可願いをだして、親の承諾書をサイン付きでもらって、保険関連の書類をととのえたりしなければならず、これが大変。毎年のことなので、ある程度書式はできているので、日時と場所名を変えればいいくらいでしたが、校内のあちこちの部署のサインをもらわなければならず、この事務処理が、しばらく気がかりでした。

それで、一体何人が応援団としてロンドンのスピコン会場まで行けるか、かなり長い間不明でした。全部で30人ぐらいの日本語学習中の生徒らと父母にメールを送りました。でも、その返事はかなり低調でした。案内状を出した(メールした)うちの、一人は行けませんという返事をくれました。そして一人はメールで「参加します」という返事。もう一人は直接手渡しで承諾書をもってきてくれました。そのほか、もしかしたら行けるかもと言っていたけど結局行けなくなった生徒が二人いました。あと、当日ほかの予定と重なったので、別行動で参加するという子が一人。返事はなにもくれなかったけど、授業中に「行く」と言ってた子が一人。

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(ゲラニュームだよね。名前覚えたよ、小夏さん。6月19日A市の街中で撮影。)






この最初の段階で気を使ったことは、誰が何について話すかを決めることでした。日本語を勉強している生徒たち(せいぜい10数人にすぎない)にことあるごとに声かけをして、「書けば?書けば?書くだけでいいのよ。覚えなくても録音ファイルを送るだけだからね。」と勧めてまわりました。もちろんテオ君は課題の発表を待ちわびていたほどなので、何の迷いもなくすぐ原稿を書いてきました。もう一人の7年生のオリBT君は「私の好きな人=JRRトルキーン」と迷わず決めたようでした。

11年生の二人は自由課題なので、話題をすぐには決められず、長いこと模索していました。アユ君は一時期「IS」あの残虐な人質殺害をネット上に放映して世界中をおののかせたイスラム国についてスピーチをしようかと言っていました。それはとても興味深いスピーチになったはずでしたが、結局彼の心は音楽祭の興奮体験から離れられなかったのでした。

オリバーBℹ︎君は、実はこのスピコンは3度目の挑戦でした。去年はパンダについて、その前の年は趣味の旅行について、いずれも大変いいスピーチを書いて、レベル的には一次予選通過者に匹敵するスピーチだったのですが、どことなく地味で、まとまりすぎていて、目立たないスピーチだったのでした。

アユ君もオリバー(BI)くんも去年の東京ホームステイの参加者でした。二人とも一週間日本へ行った影響で日本語もうまくなり、日本文化への関心も高くなっていましたから、その旅行のことを話題にしたらいいというのは、わかっていましたが、さてそれをどういう風に料理するかが問題でした。

最初オリバー(BI)くんは、いっしょに東京へ行った仲間の一人、先輩N君が、ほとんどリーダー格で最年長、日本語もA2試験を済ませていてよくできるし、2年前の日本語カップ獲得者でもあり、いろんな意味で注目されていて、特に所沢の中学校へ行ったとき、日本の中学生(特に女生徒たち)からそれはそれはもてはやされて、周りを取り巻かれて、握手をせがまれてという状況があったので、そのことについて書いてみようかとも言っていました。日本人の「金髪碧眼好き・ひいき」に強い印象を受けたようでした。彼自身はもちろん英国籍で英国人ですが、祖父母がインドから移住してきた家族。両親とも医者ですが、肌の色はアジア系で日本人よりやや褐色がかっている。偶然のことで、アユ君もご両親とも英国の医者で、インド系なので、だから二人はいつも仲良し、という具合でした。この二人が、日本の中学生が外見だけでUKサムライたち6人のうち背の高い金髪の青年N君に特別の反応を示したことが、忘れられなかったのでしょう。

それも面白いテーマになるかもと私も言ってはみましたが、ほかにもオリバー君が日本へ行ってびっくりしたことがいっぱいあったのではないか、ということでした。

こういう会話をしていたのは、3月21日土曜日頃のことでした。東京ホームステイのお礼プロジェクトでホストマザーたちの母校(津田塾)の大学生が英国に留学しているので、現地の家庭滞在を体験してもらおうと、留学生を一泊ホームステイに招いたことがありました。(その記事はここ)。このときオリバー君の家に泊まったのはブリストル大学留学中のマユさんでした。ホストファミリーといっしょにスコンを作ったりして楽しい家庭滞在を体験してくれたようですが、そのときオリバーがこのスピコンの話をマユさんとしたのだそうです。そのときマユさんのアドバイスが「じゃ、日本へ行く前に考えていた日本と、行ってから発見した日本との違いについて話したらどうか」ということだったのだそうです。結局このアドバイスが成功の一因にもなったのでした。そして、6月20日当日、マユさんはブリストルから早朝バスで駆けつけてくれて、スピコンの一部始終を見聞きしてくださり、審判長から最後にオリバー君の名前が呼ばれたときは鳥肌が立つほどうれしかった、とのことでした。
by agsmatters05 | 2015-06-22 23:58 | Comments(0)

紅茶国で(元)日本語教師(今もちょっとだけ)。身の回りのいろんなことを気ままにつづっていきます。日本語教育のほかに、イギリス風景、たまには映画や料理や本やニュースや旅や、家族のことなど。

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