2014年 03月 18日
Plagiarism もしくは 盗作(または「剽窃(ひょうせつ)」) 追加あり。
翌日のエキサイトブログ より追加 ⇒ これ。
その後でも ⇒ これ。
上の二つ、どちらも エキサイトブログ 「世に倦む 日日critic20.exblog.jp」 から引用しました。
=====================================
STAP 細胞の発見で、おおきな話題をつくってくれた小保方さん関連で、タイミングを外すと全くの門外漢が口を出すことなどなくなると思うので、一言。夜も更けてきて、明日はいつもの「魔の火曜日」だし、ていねいに書いてはいられないのですが、要点のみ。
まずは以下に、主にフェイスブックを通して得られたいくつかの情報をまとめさせてください。下の(1)は言葉の意味について。でも、日本語と英語とではウイキ様の説明量が全然違う。日本語版がんばって!
(1)
Plagiarism という言葉を検索して、Wikipedia から日本語のページに飛んだ もの
(2)今夜フェイスブックに出ていた小保方さん応援記事。バッシング反論記事、といってもいいのかな。
KUMAGAI さんのブログ
小保方さんを応援してます。
(3)これもやはりフェイスブックから拾いました。
W大学で 特に理科系で、レポート作成のために
はてな匿名ダイアリー >anond:20140314233406
早稲田大学の理工系におけるコピペ文化について
Hatelabo
(4)そしてすぐそれに反論、補足する形での下のようなサイト。
病みつきエンジニアブログ
(5)もうひとつ、FB友からの記事
「正しいコピペ」 科学者にとってモラルではなく厳格な戒律
まだまだ、新聞記事やブログを探せばいくらでもこの類のコメントや意見は集められそうですが。
上のような記事を読むにつれて、気になって仕方がないことがひとつ、ありまして。
それは、小平市にある津田塾大学の例。

大学に入ってすぐの新入生オリエンテーションのとき、わざわざ新入生全員を特別教室にあつめて、大事な話がある、という重々しい雰囲気のセッションがありました。学生便覧の最初のほうのページに一節、 ほんの数行だったとおもうのですが、Plagarism という言葉で、やってはならないこととして 注意というか、警告、訓戒、もしくは 前もっての予防措置なのか、これについてのお達し(おふれ)があったのでした。
田舎からポッと出てきたうぶもいいとこのにわか女子大生の端くれだった私ですが、あれからかれこれ50年近くたってもあの時のことを印象深く覚えているので、上のW大理工系のことを聞くにつけて、比較せずにはいられないのでした。文科系の大学で、学問手法はかなり違っているとはいえ、ほかの人の言葉を無断で自分のもののようにして使ってはならない、というルールはかなりしっかりと心に打ち込まれたのでした。
今にして思うと創立者のクエーカースピリットというものがそこにも生きていたのではないかという気もします。
あと、イギリスの大学で博士論文を書くようになったときのこと。引用はいくらでもいい (上の 5 の正しいコピペ 欄参照)のですが、一ページに引用する文章の割合というのがあって、引用に次ぐ引用はのぞましくないこと、あまりにも長い引用文はもちろん避けなければならないこと、などを指摘されたことがありました。時には自分の言葉で内容を要約して参考文献を紹介することも必要(大事)なのですが、これをする力(言語能力)が日本語と英語では自分の中で悲しいかな同じではない、という現実がありました。そこが日本人が日本語で論文を書いて勝負できないつらさの一つだとも思われました。
(とりあえずここで引きあげます。)

この年代は、こういう場合に、コピーすることが悪いってことを悪いって思わない子が多いのではないでしょか。。なんてことをどことかの偉いお方がおっしゃてました。
今時の若い子はって言葉、昔からずっと言われているけど、
世の中、変わってきてると思いますね。。。色んなところで。
あっ、核心から、離れてしもた。。。(⌒-⌒; )
うーん、年代から来るものか、学校の教え(教育)からくるものなのか、個人の性格(モラりティー?道徳観念?)によるものなのか?その全部なのか・・・?
この細胞については、まだ最終的な結論はおあずけなんですよね。
それにしても小夏さんの インスタ、すごいねえ。(^-^、うっふっふ書いちゃったよ、こんなところに。)
津田塾の教育、痛く感銘を受けました。本当に大事ですね。私が行った大学では、卒業するまで、レポートの書き方の教育も、ましてや剽窃に関する注意も受けた記憶がありません(私がたくさんさぼってたので、大きな事は言えませんが)。まあ40年以上前のことなので、今はそんなことないとは思います。しかし、津田がその頃にすでにこういう貴重な教育をしていたのは素晴らしいことで、誇るに価する立派な学校だと思います!
リンクされている「世に倦む日々」の記事も参考になりました。学閥もそうですが、学問の世界でのエリート・ヒエラルキー、ありますね。筆者が書かれているように、公募制の学会発表や学術誌において無名の研究者には色々なルールが厳しく適用され、レフェリー付き論文を発表するのは至難の技です。一方で、審査のない(あるいは、甘い)論文集、シンポジウム、招待発表などもたくさんあり、名門の方はそういうレールに乗ってどんどん業績を積み重ねますね。
でも、だからといって、日本以外の国に剽窃や盗作がないかというとそんなことはない、世界中でおそらく当たり前のようにおこなわれているのでしょうね。最近のインターネット時代では、誰の言葉か出典を辿るなんてことはできにくくなっているでしょうし。帰するところは個人のモラルなのでしょうか???(続く)
お返事ありがとうございました。英米では、大学の学部で、徹底的な論文教育がありますね。またおっしゃるように小中高でも、少なくともイギリスで、そしてアメリカの比較的良い学校では、作文、論文、口頭発表の教育は非常に手厚いと聞いています。教育における作文力の養成が大変重視されているのを感じますね。
日本では客観的な論説文を書くトレーニングがないのでは? 昨今の国語教育がどうなっているのか知らないので、はっきりは言えませんが、日本の作文教育は、情感豊かな随筆のようなものを理想としていて、主観的な文章を書かせることがほとんではないでしょうか。だから、大人になっても、日本人は日本語でも解説文を書くのが下手です。そもそも、教える先生方だってあやしいものです。また、その他の科目、例えば社会科科目などで、おそらく、ほとんど作文・レポートが皆無というのも、英米とは大きく違います。
今日3月21日の朝日新聞の朝刊の読者欄で、様々の読者のSTAP細胞データ偽造/論文剽窃問題に関する意見が集中して載せてありました。教育環境や研究環境の不備を挙げる人もありました。


