2012年 07月 28日
N君のカップ到着。日本語杯。(7月20日、金曜日)
木曜日(7月19日)の大きな行事を二つ終えてC村に帰ったら、荷物が届いていました。というか、不在配達票がおいてあって、受け取りに行こうかどうしようかと思っているうちに、隣の隣のMrsBが持ってきてくれました。大きなダンボールだけど、中味は軽い。何だろう? 開けてびっくり、 N 君の日本語カップなのでした。

(写真は、学校の校長控え室で。)
どうして今頃 ?
スピコンは6月16日だったのに、あれから45日もたっている! オーガナイザーのLM先生には、7月13日(金)のJFのワークショップでお会いしました。あのう、カップはいつ頃・・・? 学校は20日まで、N君は24日から日本行きなんですが・・・・。というと LM先生。お顔を手でおおわれて、ごめん。来週中には送れるとおもいます、って。3人のカップ受賞者のうち、一人が弁論大会の当日カップを持ち帰ってしまったのだそうです。それをとり戻して、3部門それぞれの優勝者の名前と学校名を台座に刻印して、そして、それぞれの受賞者に荷造りして送る、って手間がかかる作業ですよね。こういう面倒な事務作業も全部LM先生がお一人でされているのでしょう。今回は、当日の写真を保存したCDと一緒に、C村の住所に送ってくださったのでした。
というわけで、その夜から次の日(7月20日金)の朝にかけて、どうしてもN 君と連絡をとりたいと思って、メールしたり、フェイスブックメッセージをしたけど、返事がない。この日(20日)を逃したら、カップの手渡しができるのは、9月になってしまうッ! ということで、とうとうN君の家に電話させてもらいました。するとN 君は今、オーストリアへ行っていて、今日帰ってくるんだって。音楽合奏団のメンバーとして、1週間オーストリアに演奏旅行だとか。いそがしい人だ。 どうりで、メールに返事がないわけがわかりました。

ようやく学校の校長秘書の方とも連絡がとれて、1時45分に校長室で、カップの引き渡しを、ということになりました。そしたら、フェリーが一台早くなって、予定より2時間も早くN君とお母さんが学校に着いちゃった、とまたN君から携帯電話。20分待っててね。といって大急ぎでC村を出発しました。校長はいそがしくて、1時45分しか面会できない、というので、N君とお母さんはそれまで外でコーヒーでも飲みながら待ってます、と言うことでした。 (バックスヘラルド、アドバタイザーの話。追加メモ。)

お母さんもN君もうれしそうにニコニコ笑いながら、カップを眺めているところです(↑)。お顔を載せられないのが残念ですが、ご想像ください。

亜欄君のときはこういう形をとらなかったのですが、今回は、なぜかカップが私のところに送られてきたので、N君にそれを見せた後で、N君から学校のほうへそれを引き渡すという形をとることにしたのでした。カップは1年間、学校の校長室に飾っておいて、来年のスピコン前にそれを主催者に返送しなければなりません。
校長先生は、学期、学年末の超多忙な一日のようでしたが、ちょっと無理して校長秘書さんが時間をとってくれました。3人(校長、N君、N君のお母さん)とも、とても上機嫌で、しばらく立ち話をしてこの贈呈式は終わりました。
つまり、このカップはN君がもらってきて、学校へ渡す、という形をとったので、カップをもらう立場に立った校長先生は、ふだんはカップを渡す役わりなのに、今回はカップをもらえてうれしい、と言っていたのでした。
MORE に亜蘭くんのこと、書いておきます。
====================================
2年前、9年生のとき、日本語弁論大会、キーステージ3部門で優勝した 亜蘭くん。
13歳でお母さんを亡くした悲しさを、涼宮ハルヒのマンガで励まされているというスピーチにした亜蘭くんは、その後、お父さんと二人暮らしをしていたのですが、10年生になって、お父さんが鉄道事故で亡くなってしまった。
このことは、何度か過去の記事にかきました。
そして、18歳未満の子供は自分の家があっても法律上一人暮らしが許されないので、ケアラー(後見人)の家庭から学校に通っていた。弁論大会で優勝し、日本語のセンスは抜群の亜蘭くんでも、学校生活のほうはいろいろと問題があり、学年主任泣かせだった。毎週一回のスタッフ連絡会議でも、しょっちゅう名前があがり、いろんな先生たちを困らせているようでした。とくに、服装の問題と、宿題をやってこない、欠席が多い?などの問題があったようでした。紅茶国の学校には「ディテンション」という罰則制度があり、他の子が休みの日でも学校へ来て特別の監視下で勉強させられるということも何度かあったようでした。しまいには、かれはディテンションのほうがよく勉強できるからと、自ら志願して懲罰組みに入ったほど、なのでした。いかにも亜蘭くんらしい。根っからの悪(ワル)じゃなくて、いい資質とルールからはみ出してしまう奔放さを両方持ち合わせているための不幸とでもいうか・・・。
そうした中で、ときどき学内で亜蘭くんと行き会うと、ハローセンセー、ハロー亜蘭くん、どうしてる? 元気? ウン、元気だよ、センセーは? という具合で、あいさつはとてもスムーズ、和やかなのが、いつも不思議でした。がんばってね、テイクケア、というのがやっと、でした。会うたびに髪の毛の色などがすっかり違っていて、栗毛色から、真っ黒、そしてあるときは金髪。その髪の毛はどうして?そんな風にするの、お金かかるんじゃないの?というと、「ううんあんまりかからない。だって、ぼくの友だちがやってくれるんだよ、こういうこと。」
またある時、キャンパスでおおぜいの生徒たちがたむろしていた休み時間、ちょうど私が通りかかったら、亜蘭くんがそこにいて、「ネエ、センセ、センセ、ちょっとこれを見て」といって、やおら自分の胸をぱっと開いた亜蘭くんでした。そこには、胸一杯に横文字で お母さんとお父さんの名前が 刺青で大きく彫られていました。私は一瞬ドキっとしましたが、亜蘭くんは静かに言いました。「ぼくね、両親のことをいつも覚えていたいから、ぼく、こうしたんです。ね、いいでしょ、センセー。」 ふだん刺青というものに見慣れていない私は、なんとか気をとりなおして、「そうなんだ。よかったね。がんばってね。」といってあげるのが精一杯でした。
亜蘭くんも今年は11年生。 N君と同じ学年です。つまり GCSE受験学年です。11年生は、5月には残りわずかの在学期間があるだけ。5月のはじめには、もう授業も1-2回で学校を去る日が近づいている頃。
この頃には学校側もあきらめたのか、亜蘭くんは制服ではなくて、変わった色のズボンや上着をどんどん着てくるようになっていました。こういうのは、即 ディテンション(処罰)ものなのですが、きっと、ケアラー(保護人)の家を転々とするうち、制服がなくなったとか、取りにいけないとか口実を作って、自分の好きな服を着たがったのでしょう。「非行」とか、「不良」という言葉はあまり似合わないのですが、どうしても枠にはまりたくない、目立ちたい、好きなことをしたい、という亜蘭くんの「自己主張」本能が、校則を抑え込んだ形でした。ほかの子達も、おそらく彼の「枠にはまりきれない」ものを、半分同情、半分無視の目で見ていたのではないかと、おもうのです。亜蘭くんは、学内ではみ出し仲間のグループを作るようなことは、とうていありえなくて、かなり孤立していた風でした。
最後に亜蘭くんと会ったのも、授業と授業の合い間の教室移動中のことでした。亜蘭くんのほうから、声をかけてきて、「ね、センセー、ぼくね、9月からA・・・コレッジに行くことになったんだよ。そこで、ファッションの勉強をするんだっ、ぼく!」 A コレッジというのは、同じA市内にある、シックスフォームカレッジ(12,13年生だけが通う学校。夜間の成人学校もかねていて、いろいろな職業資格もとれるような訓練ができるところのようです。
「ふうん、そうなの。よかったね、がんばってね。グッドラック!!!」私に言えたのはこれだけでした。
5月のはじめ、11年生たちはこの頃にはもう、GCSE試験を受けた後、長い夏休みのあと、9月からどうするかを決めなければならなかったのでした。大部分の生徒達は、G男子校に残って、そこで 高校生(つまり、シックスフォーマー)となり、12,13年生の2年間、Aレベルの勉強をするわけです。でも、G校をやめて(やめさせられて)いろんな理由でほかの学校へ行く子も何人もいるようです。8月のGCSE試験の結果発表後には、この進路選択がにわかにいそがしくなり、GCSEの結果次第で、G校を出て行くように勧告されるケースもあるらしい。亜欄くんの場合、もうすでに関係者の間で相談済みで、本人の希望をふまえて、好きな科目を勉強できるほかの学校に移ってもらおう、そのほうがG校のためにも、本人のためにもいい、という判断がなされたようでした。こういう決定は誰(達)がいつ、どうやってするのか、部外者のパートタイマーにはまったく分からないのですが、とにかく、亜蘭くん本人が納得していること、彼なりの希望を持っているらしいことがわかったので、いちがいに、バッドニュースともいえないのかも知れません。でも、でも、才能はあっても落ち着いた家庭環境がない亜蘭くんのようなばあい、これから先どんな風に大人になっていくのか、やはり前途多難ではないかと、気がかりになります。
学年主任の言葉によれば、ロンドンに住んでいる亜蘭くんのおばさん(お母さんのシスター)がとても「いい人」「ナイスな人」だということなので、それが希望というか救いのような、気がしています。
亜蘭くんに幸多かれと祈りつつ。

どうして今頃 ?
スピコンは6月16日だったのに、あれから45日もたっている! オーガナイザーのLM先生には、7月13日(金)のJFのワークショップでお会いしました。あのう、カップはいつ頃・・・? 学校は20日まで、N君は24日から日本行きなんですが・・・・。というと LM先生。お顔を手でおおわれて、ごめん。来週中には送れるとおもいます、って。3人のカップ受賞者のうち、一人が弁論大会の当日カップを持ち帰ってしまったのだそうです。それをとり戻して、3部門それぞれの優勝者の名前と学校名を台座に刻印して、そして、それぞれの受賞者に荷造りして送る、って手間がかかる作業ですよね。こういう面倒な事務作業も全部LM先生がお一人でされているのでしょう。今回は、当日の写真を保存したCDと一緒に、C村の住所に送ってくださったのでした。
というわけで、その夜から次の日(7月20日金)の朝にかけて、どうしてもN 君と連絡をとりたいと思って、メールしたり、フェイスブックメッセージをしたけど、返事がない。この日(20日)を逃したら、カップの手渡しができるのは、9月になってしまうッ! ということで、とうとうN君の家に電話させてもらいました。するとN 君は今、オーストリアへ行っていて、今日帰ってくるんだって。音楽合奏団のメンバーとして、1週間オーストリアに演奏旅行だとか。いそがしい人だ。 どうりで、メールに返事がないわけがわかりました。

ようやく学校の校長秘書の方とも連絡がとれて、1時45分に校長室で、カップの引き渡しを、ということになりました。そしたら、フェリーが一台早くなって、予定より2時間も早くN君とお母さんが学校に着いちゃった、とまたN君から携帯電話。20分待っててね。といって大急ぎでC村を出発しました。校長はいそがしくて、1時45分しか面会できない、というので、N君とお母さんはそれまで外でコーヒーでも飲みながら待ってます、と言うことでした。 (バックスヘラルド、アドバタイザーの話。追加メモ。)

お母さんもN君もうれしそうにニコニコ笑いながら、カップを眺めているところです(↑)。お顔を載せられないのが残念ですが、ご想像ください。

亜欄君のときはこういう形をとらなかったのですが、今回は、なぜかカップが私のところに送られてきたので、N君にそれを見せた後で、N君から学校のほうへそれを引き渡すという形をとることにしたのでした。カップは1年間、学校の校長室に飾っておいて、来年のスピコン前にそれを主催者に返送しなければなりません。
校長先生は、学期、学年末の超多忙な一日のようでしたが、ちょっと無理して校長秘書さんが時間をとってくれました。3人(校長、N君、N君のお母さん)とも、とても上機嫌で、しばらく立ち話をしてこの贈呈式は終わりました。
つまり、このカップはN君がもらってきて、学校へ渡す、という形をとったので、カップをもらう立場に立った校長先生は、ふだんはカップを渡す役わりなのに、今回はカップをもらえてうれしい、と言っていたのでした。
MORE に亜蘭くんのこと、書いておきます。
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2年前、9年生のとき、日本語弁論大会、キーステージ3部門で優勝した 亜蘭くん。
13歳でお母さんを亡くした悲しさを、涼宮ハルヒのマンガで励まされているというスピーチにした亜蘭くんは、その後、お父さんと二人暮らしをしていたのですが、10年生になって、お父さんが鉄道事故で亡くなってしまった。
このことは、何度か過去の記事にかきました。
そして、18歳未満の子供は自分の家があっても法律上一人暮らしが許されないので、ケアラー(後見人)の家庭から学校に通っていた。弁論大会で優勝し、日本語のセンスは抜群の亜蘭くんでも、学校生活のほうはいろいろと問題があり、学年主任泣かせだった。毎週一回のスタッフ連絡会議でも、しょっちゅう名前があがり、いろんな先生たちを困らせているようでした。とくに、服装の問題と、宿題をやってこない、欠席が多い?などの問題があったようでした。紅茶国の学校には「ディテンション」という罰則制度があり、他の子が休みの日でも学校へ来て特別の監視下で勉強させられるということも何度かあったようでした。しまいには、かれはディテンションのほうがよく勉強できるからと、自ら志願して懲罰組みに入ったほど、なのでした。いかにも亜蘭くんらしい。根っからの悪(ワル)じゃなくて、いい資質とルールからはみ出してしまう奔放さを両方持ち合わせているための不幸とでもいうか・・・。
そうした中で、ときどき学内で亜蘭くんと行き会うと、ハローセンセー、ハロー亜蘭くん、どうしてる? 元気? ウン、元気だよ、センセーは? という具合で、あいさつはとてもスムーズ、和やかなのが、いつも不思議でした。がんばってね、テイクケア、というのがやっと、でした。会うたびに髪の毛の色などがすっかり違っていて、栗毛色から、真っ黒、そしてあるときは金髪。その髪の毛はどうして?そんな風にするの、お金かかるんじゃないの?というと、「ううんあんまりかからない。だって、ぼくの友だちがやってくれるんだよ、こういうこと。」
またある時、キャンパスでおおぜいの生徒たちがたむろしていた休み時間、ちょうど私が通りかかったら、亜蘭くんがそこにいて、「ネエ、センセ、センセ、ちょっとこれを見て」といって、やおら自分の胸をぱっと開いた亜蘭くんでした。そこには、胸一杯に横文字で お母さんとお父さんの名前が 刺青で大きく彫られていました。私は一瞬ドキっとしましたが、亜蘭くんは静かに言いました。「ぼくね、両親のことをいつも覚えていたいから、ぼく、こうしたんです。ね、いいでしょ、センセー。」 ふだん刺青というものに見慣れていない私は、なんとか気をとりなおして、「そうなんだ。よかったね。がんばってね。」といってあげるのが精一杯でした。
亜蘭くんも今年は11年生。 N君と同じ学年です。つまり GCSE受験学年です。11年生は、5月には残りわずかの在学期間があるだけ。5月のはじめには、もう授業も1-2回で学校を去る日が近づいている頃。
この頃には学校側もあきらめたのか、亜蘭くんは制服ではなくて、変わった色のズボンや上着をどんどん着てくるようになっていました。こういうのは、即 ディテンション(処罰)ものなのですが、きっと、ケアラー(保護人)の家を転々とするうち、制服がなくなったとか、取りにいけないとか口実を作って、自分の好きな服を着たがったのでしょう。「非行」とか、「不良」という言葉はあまり似合わないのですが、どうしても枠にはまりたくない、目立ちたい、好きなことをしたい、という亜蘭くんの「自己主張」本能が、校則を抑え込んだ形でした。ほかの子達も、おそらく彼の「枠にはまりきれない」ものを、半分同情、半分無視の目で見ていたのではないかと、おもうのです。亜蘭くんは、学内ではみ出し仲間のグループを作るようなことは、とうていありえなくて、かなり孤立していた風でした。
最後に亜蘭くんと会ったのも、授業と授業の合い間の教室移動中のことでした。亜蘭くんのほうから、声をかけてきて、「ね、センセー、ぼくね、9月からA・・・コレッジに行くことになったんだよ。そこで、ファッションの勉強をするんだっ、ぼく!」 A コレッジというのは、同じA市内にある、シックスフォームカレッジ(12,13年生だけが通う学校。夜間の成人学校もかねていて、いろいろな職業資格もとれるような訓練ができるところのようです。
「ふうん、そうなの。よかったね、がんばってね。グッドラック!!!」私に言えたのはこれだけでした。
5月のはじめ、11年生たちはこの頃にはもう、GCSE試験を受けた後、長い夏休みのあと、9月からどうするかを決めなければならなかったのでした。大部分の生徒達は、G男子校に残って、そこで 高校生(つまり、シックスフォーマー)となり、12,13年生の2年間、Aレベルの勉強をするわけです。でも、G校をやめて(やめさせられて)いろんな理由でほかの学校へ行く子も何人もいるようです。8月のGCSE試験の結果発表後には、この進路選択がにわかにいそがしくなり、GCSEの結果次第で、G校を出て行くように勧告されるケースもあるらしい。亜欄くんの場合、もうすでに関係者の間で相談済みで、本人の希望をふまえて、好きな科目を勉強できるほかの学校に移ってもらおう、そのほうがG校のためにも、本人のためにもいい、という判断がなされたようでした。こういう決定は誰(達)がいつ、どうやってするのか、部外者のパートタイマーにはまったく分からないのですが、とにかく、亜蘭くん本人が納得していること、彼なりの希望を持っているらしいことがわかったので、いちがいに、バッドニュースともいえないのかも知れません。でも、でも、才能はあっても落ち着いた家庭環境がない亜蘭くんのようなばあい、これから先どんな風に大人になっていくのか、やはり前途多難ではないかと、気がかりになります。
学年主任の言葉によれば、ロンドンに住んでいる亜蘭くんのおばさん(お母さんのシスター)がとても「いい人」「ナイスな人」だということなので、それが希望というか救いのような、気がしています。
亜蘭くんに幸多かれと祈りつつ。
by agsmatters05
| 2012-07-28 21:09
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