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紅茶国C村の日々

9日(月)オリンピックトーチリレー

目次をかねた前々々回の記事 (左をクリック)

によれば、8番目の記事となるのですが、7月始めの行事をちょっと飛び越えて、今日は ホット&フレッシュ、リアルタイムの飛び入り記事にします。
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7月9日(月)、前々から、前宣伝をもらっていました。2-3週間前のスタッフ連絡会で、校長はこの日がくることを発表しましたし、10日ほど前には、ごみ収集日変更ちらし(カード)が近隣の全戸に配られました。どういうことかというと、オリンピックのトーチがくるから、その日の朝、その地域のごみ収集ができない。したがって、地域全体のごみ収集が一日ずつずれますよ、というお知らせなのでした。
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〈写真は、国旗を売る人、買う人〈=バスケのコーチ)。一本2ポンド、250円!)
これは、お祭り騒ぎにかこつけて、という心理ながら、オリンピックにみんなで協力しよう、という気持ちを表わすことはいいことだ、という学校、地域、国全体の雰囲気があるのだと思われます。決して強制ではない。でも一人ひとりそれぞれに出来ることをする、という感じかな。
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(これは教頭格のDC.スコットランド訛りが消せないオックスフォード出身の若い先生。首から上はカット〈笑〉。写真の上の、満面の笑顔をご想像ください。)

学校でも、前々からチラシやホームページや学内イーメールなどで、この日の予定(変更時間割)、どうやって生徒がどこにならんでどう移動してと、あらかじめ仕組まれたプログラムが発表されていました。予定では10時半に授業中断。グラウンドに全員整列。1000人ぐらいの生徒(11年、13年生がいないから)が縦割り6グループ(これは、ハウスと呼ばれる)に分かれて集まり、ハウスごとに校舎の敷地に隣接するターンファーロング通りに移動する。どのハウスは何時何分に右側の通路から道路に出る、次のハウスは左側の門から道路に出る。つぎのハウスは真ん中のゲートから道路に出る。道路に出たら、各ハウスごとに、7年生(一番若い⇒小さい)+8年生、9+10年生そして12年生(最年長、一番背が高い)と3列に並ぶ、とくわしく図で示されて、それぞれホームルーム主任や学年主任の指揮で、整然と生徒らの移動が行われました。

おもしろいのは、この通りの向こう側は女子校で、ずらりと女生徒がならんでいました。女子校からはゲートのところにテントをたてて、7-8人の女生徒と音楽の先生がバンドを出して、軽快な音楽をひっきりなしに流してくれました。
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予定では、11時15分にA市の街中のどことかの地点をスタートして、これこれこういうルートで、何時ごろターンファーロング通りを通過する、といわれてはいましたが、実際、こういうのは、早まることはまずないですよね。
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暖かいのか、寒いのか分からないような曇天。雲がうすくなって日がさすと暑くてたまらなくなり、ものの4,5分で雲がかげり、風が吹き出すと寒くてコートをはおりたくなる、そうこうしているうちに雨がぱらつきだす、2-3分で雨がやんでまた陽が・・・・というような待ち時間なのでした。

通りを隔ててどちらも1000人ぐらいの12歳から17歳までの生徒らが向かい合って待ち構えるかれこれ700-800メートルぐらいの一本道で、時ならぬバイクや自転車や特別理由があって許可された車だけがここを通ると、とくに女生徒らの黄色いカナきり声がわきあがる。バイクのおっさんはそれに答えて手をふる、というような待ち合わせの時間。 それが長かった。
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パトカーが最初は1台、2台、そのうちに、何台も続けてやってきて、後はスポンサー仕立てのバス、バス、バス。サムソンはずいぶんお金出して協力している感じ。名のに、日本の企業のスポンサーの名前はどこにも見当たらなかったなあ(と思うただ一人のジャパニーズティーチャー・ミチ)

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ゆるやかなカーブの終わるあたりに ラングエッジアシスタントのマダムVと一緒にいました。最初は手すりに腰掛けていたけど、カーブの中心あたりにいたひとかたまりの先生スタッフ生徒たちが前にのめりだすもんだから、前に出なければ何にも見えない。そこでしかたなく、ミチ、マダムVの肩を支えにお借りして、細い手すりの上に立ち上がることにしました。綱渡りの感覚でしたが、マダムVの肩にちょっと手を置かせてもらうだけで、しっかりと支えられて、ちょっと高いところから遠くを見渡すことができるようになりました。

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トーチ・リレーと言ったって、トーチ一本だけがくるわけじゃない。その前後に、パトカー、白バイ(全然白くないけど) が合計おそらく十数台に、バスの大型、小型、十数台、この行列が大げさでした。

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そして、肝心のトーチ、だれが持っているのか、名前も何も全然誰もわかっていないのですが、がとうとう最後に通り過ぎたとき、そのトーチの火のなんと小さな、しょんぼりだったことか。

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正直言って、これがちょっと あまりにもあっけなく、残念でした。

かえりがけ、マダムVに昔話を聞いてもらいました。

子どものとき(あれは1964年だから、7歳の頃?)東京オリンピックのトーチがふるさとの村だか町だかにも走ったような気がするのです。なあんにも覚えていないのですが、あのとき、だれかがトーチを持って走ったのですが、はっきりと目に(記憶に)焼きついているのは、白いモクモクとしてたなびく白煙の大きさ、でした。あの白煙にはびっくり、でした。そして覚えているのはあの白煙だけ。〈笑〉


〈後から追加記入分〉
上の引用文、下のコメント欄をご覧いただいたら、どれだけアホな間違いを書いたか、歴然です。お詫びして訂正します。子どもの時、じゃなくて、高校生のときだったんです(って。) 私、高校時代、きっと、霞を食べながら生きていたのかも知れません〈笑)。



それとも、白煙は環境に悪い?というのが21世紀のトーチの主張なんでしょうか。

とにかく、オレンジ色の火は小さくて、あっさりで、なんとも迫力がとぼしかった、なあ。

そうはいっても無事大きな行事が終わりまして、これも平和の証なんでしょう。そしてチームワークの成果。誰も、威張らず、だれも犠牲にならず、みんなで静かに応援して、楽しむ世界の祭り。ハジマリハジマリイイイ、でした。
Commented by けい at 2012-07-12 19:19 x
高校2年の時、母校のH高校の1年先輩の生徒会長が聖火のトーチを持って学校前の国道を走り、私たちは国道沿いに応援に駆り出された記憶がありますが・・・。違ったでしょうか?随分昔のことですね。
Commented by agsmatters05 at 2012-07-13 08:57
けいさん、
おお、はずかしや。どこでどういう頭の回線ミスが起こったのでしょう。勘違いもはなはだしいこと。これから、上の文章に線を引いて、訂正しますね。東京オリンピックは1964年。どういう計算間違いをしたか。西暦の生年月日下二桁は47.それと64の差をとるのに、50-47=3、60+4=4、 つまり 10年間を丸ごとなかったことにして、3+4=7という計算間違いをおかした模様です〈笑〉。それにしても私、本当に何にも覚えていない。白い煙だけしか・・・。生徒会長ということなど、全然記憶になくて、おそらく当時、道路沿いに並んで立っていた時も、なんにも分かってなかったとおもいます。なんと無知で無自覚な高校生だったことでしょう。
by agsmatters05 | 2012-07-11 01:56 | Comments(2)

紅茶国で(元)日本語教師(今もちょっとだけ)。身の回りのいろんなことを気ままにつづっていきます。日本語教育のほかに、イギリス風景、たまには映画や料理や本やニュースや旅や、家族のことなど。

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