2012年 06月 23日
Nくんと日本語(その1)
(1)Nくん日本語、ことはじめ。
(2)応募して本選にでるまで。
(3)当日のようす。
(4)スピーチの中味。- 原稿紹介
ということで。
Nくんが最初に日本語を習い始めたのは、(と、ここで過去の記事をさがしてみる。)
2009年9月17日
そのほか、昼休み、クラブ。全部で7-8人きたかな。N君が漢字練習帳をコツコツと勉強して、ミチにヘルプしてくれ、という。まったく向学心というか、学習意欲の旺盛な子。動機はどうやら「外国語を習うのが好き」ということらしい。それと、空手もやっているからだろうか。
全部過去ログを調べつくしたわけではないのですが、↑ の記事あたりが、最初にNくんがクラブにきはじめたころだと思われます。ということは N くんは9年生。ミチがQTS(英国教員資格)をとるために7年生のキャ先生のホームルームにおじゃましていたのは、それより2年前。なんと Nくんはキャ先生のこの りー組にいたのですが、当時はまったく気がつきませんでした。そして9年生になった新学期、友だちのジェイクという生徒がNくんを連れてクラブにやってくるようになったというのが、私の記憶です。ジェイクは最初から 学校という漢字、とくに 校という字を、クラブにくるとまずホワイトボードに毎回書いては喜んでいた、という生徒でした。そのジェイクに連れられてやってきた Nくんが ひらがな、カタカナのワークシートなどをどんどんと、さっさと、ものすごい勢いでこなし始め、そのうちに自分でインターネットで漢字を印刷してきたり、文法の一覧表を作り出したりし始めたのでした。
2009年10月7日の記事
昼休みは、N,A,G,J,J,君ら。モクモクト1人で日本語の勉強をしているN君はクラブが思いっきり自由であることを強く願っているようだった。
2009年10月23日の記事
昼休みはいそがしかった。いつものジェームス、ジェイク、ジョナ、ニック、ジョンのほか、マーティン、スティーブンらが来て、てんでんバラバラに、センセー、センセーと呼ぶので、引っ張りだこになって、お弁当も食べる暇がなかったほど。それそれが思い思いの日本語への興味を質問にして、バラバラに聞いてくるので、一つ一つ答えるのがとってもいそがしい。ま、それはそれで、うれしいことではあるのだけれど、これが一番ベストのやり方かどうかは、ちょっと疑問。でもいちばん日本語習得に熱心なニックが、クラブをオーガナイズして一斉授業のようにするのはやめてくれ、と強く、はっきり言うので、今のところバラバラをエンジョイすることにしている。
2009年11月24日
昼休み。
昼休みもめちゃくちゃ忙しかったです。昼飯持っていったけど、食べる暇なかったです。上のクラスが終ったすぐ後で、同じ教室にクラブのメンバーが、今日は全部で四人。この4人が、ひっきりなしに、ミス、ミスといってミチに質問し続けるのです。亜蘭君は(例の萌えとツンデレという言葉をミチに教えてくれたせいとですが)今日は、最強(さいきょう)という言葉の書き順をおしえてくれ、というのが最初の質問でした。最強の強は、勉強の強だというと、強の字のゆみへんを何画で書くかまだ分かっていないのでした。
Mくん、Nくん、それぞれに、日本語への興味を自分流に広げていくので、話はあっちこっちに飛び交って、ミチはただ、質問されたら答えるだけ。ホワイトボードに書かれた文字の間違いを訂正してあげるだけ。でもそれだけでも、この昼休み時間はとてもとてもいそがしいのです。(もちろん、楽しく振り回されているだけなのです。)
2009年12月10日
昼休み。
N、亜蘭、M、J, K,G,Jそしてもう一人。それぞれが勝手なことをしてるジャパンクラブ。これが結構忙しい。特に、N君の日本語をへの学習意欲は、ほんとうにものすごい。自分で語形変化表をのーとにビッシリと書き出している。もうひらがな、カタカナは十分マスターし、今は漢字をどんどん覚えこんでいるところ。
2010年6月には N 君と同級の 亜蘭くんが 日本語弁論大会に出て、日本語カップをもらうという ビックリニュースがありました。 このときの亜蘭くんの記事一覧は こちら です。・・・いまふりかえると、この亜蘭くんのスピコンに N 君も聴衆として参加していました。 (そのときの記事は こちら。) その次の年の年(2011年)には、Nくんもロレンちゃんの本選に参加したかったのに、親の都合(?)ででられなかった、というのは前に書いたとおり。(こちら)。
2010年7月15日
でとにかく、時間内にしないといけないことは、一年間放課後の日本語授業を受けたことの証明書を配ることでした。
これは前もって(数週間かけて)ボランティアで、アニーちゃんが、フォトショップというPCプログラムを使って、ドラフトを作って持ってきてくれていまし た。これに文字を入れ、生徒の名前を書き込み、教師のサインをし、全体をラミネートして、りっぱなサーティフィケート(証明書)が出来上がっていまし た。裏側には、この一年間使った教科書「日本語学級」の終わったところの章番号を書きいれておきました。これは一人一人みんな違うのです。全部で50章まである本なのですが、最後まで完全にやり終えたのは二人だけ。N君とバウちゃんでした。これはほんとうにりっぱなアチーブメント(業績)です。この二人の日本語学習に 対するコミットメント、集中度、熱意は本当に尊敬に値いすると思いました。よって、二人には筆ペンを1本ずつご褒美としてあげました。あとの子達 は、40/50 とか35/50 とか 23/50というような達成度でした。ま、50章のうちの20章までいけば、いちおう形容詞の基本的な語尾変化(おおきい、おおきくない、おおきかった、 おおきくなかった)や、です、ます調の文や、でした、ではありませんでした、ます、ました、ませんでした、などをクリアしたことになるので、日本語の基本の文構造はだいたい頭に入ったかな、という程度なのです。この生徒達は早い子であと2年、遅い子はあと3年かけてGCSE試験を受けることになるでしょうが、それまでには、10人が2-3人に減っているかもしれません。日本語のサバイバルゲームは、生徒にとっても教師にとっても甘いものではありません。
2010年9月から 10年生となって、ほかの5人の同級生と一緒に GCSEクラスで日本語を毎週2回半(隔週で2時間と3時間が交互になっている、つまり2週間で5回の授業)。
これをまるまる2年間つづけて、今年6月GCSEの日本語試験を受けたNくんでした。
こういう風に過去を振り返ってみると、Nくんの場合、いつもおどろかされてばかりの私でしたが、まさかあの頃、今日のこの出来事を予測することなどは、とてもできないことでした。


