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紅茶国C村の日々

ふりかえる姉妹会(15)こぼれ話(4)-おしゃべりの中味。

話題になったこと。

女3人寄ればなんとかというけど、四人集まったら、どうなるか、って聞いたことないですよね。
その4人が集まって、一緒に過ごした一週間。

シーザーじゃないけど、「来た、しゃべった、笑った。」てなもんです。

どんなことをしゃべったか。

とってもまとめにくいですけど、あえてやってみますね。

あ)空港で四女ちゃんの英語 - これが ケッサクでした。イミグレーション・チェック(入国管理)というのは、どこの国でもジョーダンじゃない。シンと静まり返った場内で、緊張させられる体験ですよね。四女ちゃんはよく準備をして(たぶん、地球の歩き方を読んでのことでしょう)、三女ミチの住所、電話番号をしっかりと印刷して持参。長姉は、ウン十年前のヨーロッパ団体旅行をのぞくと、はじめての海外旅行。今回、切符を買うのも妹M3にまかせたそうで・・・。

と言うわけで、四女ちゃん、係官にこういったそうです。 
「ウイー アー シスターズ。 トゥギャザー、 オーケー?」
つまり、二人一緒にパスポートチェックをしてもらいたい、いいかって。
願い叶って、無事二人一緒にこの入管審査をパスしたっていうめでたい話。
楽しきかな、姉妹会。ウイーアーシスターズ!

「ウイーアーシスターズ!」どこへ行っても、これは、とても役に立つことば、黄門様の印籠みたいなもんでした。特に観光地でカメラのシャッターを通行人にお願いするときは、いつもこの手でいきました。すると、みんなたいがいニコッと笑ってOKしてくれたのでした。

そうそう、特に盛り上がったのは、水曜日の夜。ビリーエリオット(ミュージカル)を見る前に、ビクトリアステーションの売店で、前日の女王の歓迎パレードの写真をのせた新聞を買おうとして、レジ前の長い列に並んでいたときのことでした。
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この笑っている男(たち)は、みんなわがシスターズ・リユニオンの話を聞いて、喜んでくれていたのです。一人はカリフォルニアから、二人は東京から、4人そろって姉妹会をしてるのよ、というと、それはそれはだれもが喜んでくれたのです。おいらの親も3人きょうだいでみんは離ればなれになっちゃったけど、去年のクリスマスにスコットランドで全員そろったんだよ、一人はホンコンからかけつけてね・・・なんていう説明を長々と始めた人もいたのでした。

い)故郷の4人姉妹 - わが四人姉妹が生まれ育ったのは、甲斐の国の、今の名を笛吹市。その昔小さなお城があったそうで、地域の名前は文字通り「小城(こじょう)」でした。だいたい60戸の家があり、人口は?はてさて、半世紀以上も前の私の子供の頃と比べて、今ではずいぶん様変わりしていることでしょう。戦後のベビーブームで、私が小学校へ入ったとき、同じ小城地区から小学校へ行ったのは、たしか12人いました。おそらく今では、毎年一人いるか、いないかではないでしょうか。そういう地区で、実は女ばかり四人子供がいる家が3軒あったのです。その4人が、だいたい同じ間隔で生まれているので、長姉、次女、三女、四女ともに、同級生という家がほぼ3軒ありました。(一人だけちょっと学年がずれている姉妹も、ここでは目をつぶることにして。) なので、 それらの 四人姉妹は、その後どうしてるの?という話。なにしろ50年以上前のことですから、おぼろな記憶をたどりつつ、この話は、一晩たっぷり時間をとったことでした。もっとも生家の跡取りとなった長姉がもっぱら、みんなの質問に答える、というかたちではありましたけど。

う)子供の頃の思い出 -どんぐり林が怖かったとか、毎日学校から帰ると、家で飼っていた綿羊たちのために草刈りに行かされた話とか、小学校のころから、夜ご飯のための「ほうとう」を作らされた話。S姉ちゃんは小学生でこれができた自分が誇らしかったといっていましたが、三女の私も、今でもはっきりと覚えている場面がありまして・・・。(以下、これは、私の思い出で、姉妹会の夜はここまで話す時間がなかった。だってみんな、あれもこれも言いたいことをいうと、4分の一しか会話の時間がまわってこない!)

小学校の何年生だったか、わかりません。でも高学年ではなかったような気がします。とにかく、小麦粉を桶のような木箱からとりだして、大きなせともの製のボール(こね鉢)に入れて、水を加えてこねるところから始めるのです。こね終わったら、適当なかたまりに丸めて、鉄製のパスタメーカー(といえば、聞こえはいいけど、とにかく、真っ黒な機械(としか覚えていない)の、二つのローラーがぐるぐる回るほうの間に挟んで、ハンドルをまわすと、平べったくのされたドウ(小麦粉をこねたもの)が出来上がります。これを、2-3回繰り返したんでしたっけ?あるいは一回でよかったのか、うろ覚え。そして次に、この平べったいドウを、別のローラーにはさんで、ハンドルをまわすと、細い麺が何本もに分かれてローラーから下に落ちてくる、というわけでした。これを、当時は、プロパンガスの火(だったとおもう)にかけておいた大鍋に、水や野菜、ねぎやカボチャ、そして、ダシをとるための「いりこ」などを沸騰させておき、その中に麺を入れ、最後に味噌を加えて、できあがり。

これが「ほうとう」のレシピーでした。今、おもうに、子供の頃、これだけの「料理」をした(できた)のに、これが今の私の料理スキルにつながっているとは、まったく思えないのです。どうしてでしょう!? あれは「料理」というカテゴリーのイトナミ(行為)ではなくて、「親から言われてやらなければならない日課」、いわば「おつとめ」のようなものだったと思うのです。子供心にいっしょうけんめい教えられたとおりにやったこと、家族の日々の生活がそのまま私の世界にほかならなかった、のでした。(フム、ここから先、長いエッセイを始めることができそうだぞ。大発見。(笑))


え)親、親戚のこと
 ー もちろん、親の思い出、親戚のことも、たくさん話にでました。「大阪のおじさんはどうしてる?」というとき、これは、父母のきょうだいのことではなく、亡き父のいとこのことなのでした。「なおきおじさん」の話は、戦争が終わったとき、海軍兵学校に合格して新聞記事になった父の甥が、敗戦によって生きるすべを見失ったときの事情を復習するものでした。そのほか、父の父、父の母がどういういきさつで父を産み、育てたか。父の祖父に男ばかり7人の息子がいて、父はその長男の長男にあたるのですが、父の父が早逝したために、父はいちじ8男として祖父の籍にいれられたとか・・・明治にさかのぼる話ですから、みんな聞きかじり、うろ覚えの情報を寄せ集めて、ない知恵を寄せ合った、のでした。

お)それぞれの家族 - そしてもちろん、話はどんどん。飛びます。なんてったって、しょっちゅう行き会ったり、マメに便りや電話を交わし合える距離にいる四人ではないのですから。最後に4人で会ったのはいつだったか、と誰かに聞かれました。たぶん、2005年に山梨で、長姉の長女(私には、姪)が結婚したときが最後だったような。2007年に三女の長男(セガちゃん)が結婚したときには、山梨の長姉は出席できず、義兄と甥が京都に来てくれたので、4人で会うことはできなかったのでした。カリフォルニア、東京、紅茶国、山梨、みんなそれぞれの場所で、それぞれの持ち場を守っていきているだけで、盆暮れの付き合いも、誕生日のお祝いもかなり、ご無沙汰続きの姉妹をしていたのでした。それぞれの持ち場に、それぞれの家族がいて、たいがいは 笑い話で落ちがつく気配ではありましたが・・・(書きすぎると、クレームが来そうなので、ここでカット。笑)

か)まとめ 
ー だいたいは、過去の思い出話が多かったです。あとは、身内、家族、親戚、隣近所のこと。いわゆるゴシップ。天下国家を論じる、なんてことはありえなかったです。(笑) シェークスピアの「ハムレット」だけは、三女ミチの独壇場でしたねえ(笑)。 でも、これは ストラットフォードのみやげ売り場での出来事でしたから。

子供の頃の話をしたとき、必ずしも長姉が一番物覚えがいいか、というとそうではないんですよね。これはちょっと意外でした。てか、長姉は高校卒業後、東京の短大に行き、そのあと7-8年(?)、大田区の中学校で体育の先生をして、家を離れていたのでした。その間、次女はしばらく親と一緒に暮らして、山梨の中学校で英語教師をしていましたから、親のことをよく知っていたり、なのでした。特に、わが家の前に サクマさんというご家族が住んでいて、そのメンバーの一人ひとりについては、私は、名前さえ出てこないのに、3姉妹、特にS姉ちゃんなど、ひとりひとり、よく覚えているので、ビックリしました。


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あとは次回に。

7)両親のこと。
8)新聞記事の写真
9)おりがみ
Commented by marri at 2011-12-12 19:43 x
iいいな羨ましいな!
お姉様は独身時代を東京で過された分、その後はお国暮らしね^^♪
しかし、そんな田舎に生まれ育ち。二人まで外国に送り出されたご両親の教育方針
頭が下がります。ヤッパリ、私たちも盆正月に集まると。
ご近所の幼馴染との思い出や、近況を話し合ったものです。
貴女は全員年齢が近くて共通の思い出を共有できるのでいいですね。
ウチの妹は6歳違いますが、それだけの事で結構、内容が離れてしまっていました。
詳しくは話せないけど、妹と話す機会はもう10年近く有りません^^;;
仲良し四姉妹のお話、とっても楽しく読ませてもらいました。
Commented by agsmatters05 at 2011-12-13 06:09
marri さん、実はね、本文に書けなかったけど、4人女の子が生まれて、近所の人が笑ったそうな。しかも、二人短大、二人大学に送って、近所のかたは、「家がつぶれる」って心配されたそうな。でもね、アメリカとイギリスは親が送ったんじゃないんですよ。猛反対をあびながら、飛び出したようなもの。私は親が他界してからイギリス暮らしを始めましたけどね。おっと、この話、次の記事が「親のこと」だったんで、続きは、次の記事をみてください、ませ、ね。
by agsmatters05 | 2011-12-11 06:33 | Comments(2)

紅茶国で(元)日本語教師(今もちょっとだけ)。身の回りのいろんなことを気ままにつづっていきます。日本語教育のほかに、イギリス風景、たまには映画や料理や本やニュースや旅や、家族のことなど。

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