2011年 07月 07日
亜蘭くんについて
ほんとうに、事実は小説より奇なり、人生は悲喜こもごも、とはこのことか、と。
いろいろなニュースが出たり、消えたりする毎日で、今、この記事を書く時間がたっぷりととれそうもないのがちょっと残念。でも、また(この話題に)もどってくるつもりです。来れると思う。
去年、日本語杯弁論大会のキーステージ3部門で優勝した亜蘭君。お母さんが3年前に亡くなって、お父さんと二人暮らしをしていたことは、前に書きました。それが彼のスピーチのモチーフでもありました。スピーチは「ぼくの好きな人」という指定された題で、涼宮ハルヒについて話したものでしたけど。
先日、彼の状態が流動的で、と書いたのは、特別な意味があってのことではなかったのです。以下、これ(↓)は2011年6月21日の記事の一部、抜粋です。)
ところで、去年の亜蘭君、キーステージ3といういちばん若いグループで全国優勝したことは、去年書きました。こちら をクリックしたら、亜蘭君の記事一覧表を載せた記事のページにとびます。(ちなみに、亜蘭君のその後をいつか書こう、書かなければ、ということはあったのですが、ついついズルズルしてしまいました。 ひとことで言うと、彼は今日本語も勉強していないし、ジャパンクラブにも来ていないのです。たまに校内ですれ違うと、センセー会いたかったよおお、といってなつかしがってくれるのですが、これが問題。でもこれは、もっとあとで結論がでたら書こうとおもいます、今は流動的なので、亜蘭君のことは書きにくいです。
流動的、といったのは、直接の接触はなくても、亜蘭くんは、毎週開かれる教員連絡会議(スタッフミーティング)で、10年生の学年主任のキャロライン先生から、しょっちゅう名前を挙げられていたからでした。何のことやらよく分からなかったのですが、どうやら出席率や宿題などの学習進度のことで、いろんな科目の先生たちから指摘があり、学年主任のところへあがっていき、問題が絶えないようでした。出席や宿題や授業態度に問題がある子達は教科担任から報告を受けた学年主任がまとめて対応するのがこちらのシステムになっているのです。これが日本と大きく違うところ。クラス担任よりも、学年主任のほうが、生徒指導に直接関わるわけです。
というわけで、日ごろから亜蘭君の学業状態が望ましいものではなさそうだ、ということを間接的に聞いていたというだけのことで、いったい本人は何を考えてどういうつもりでいるのか、なんて私にはさっぱり分かりませんでした。たまあに、ほんとうに二月に一回か三月に一回という割でばったり学校の中で鉢合わせをすると、やあ先生、元気ですか。と調子よく声をかけてくること、そして会うたびに、ひょろひょろ背丈がのびて、制服がどんどん短くなっていくのがわかること、そして、そして、もうひとつ、気がかりなのは、いつも亜蘭君はほかの子とどこかちょっとはずれた格好をしたがってるなあ、ということがありました。髪を真っ黒に染めたり、金髪に染めたり。これは、ムムムですよね。。。。
こういう状態のことを「流動的」といったつもりだったのですが、あれを書いてまもなくのこと、ちょうどロレンちゃんのスピコン物語を書き続けていたとき、10年生の授業中に、ひとりの生徒が亜蘭君のことを話題にあげたのでした。「お父さんがなくなった」と。
ええええ、なんだってえええ?
それが事実だとすると・・・。大変な事ですね。
母親の居ない家庭で、ドンドン風貌が変っていった事でさえ胸が苦しいのに
今度はお父様までもですか。どういうことっでしょう!
この話、続きが有るのでしょう!とっても心配です。聞かせてね!
私の友人に孫を育てている人が居ます。長男さんが離婚して、母親が手放したのでやむなくおばあちゃんが見ていますが。彼女は現役でバリバリ仕事しています。子育てには無理があります。2歳から育てて、いまは中学生になりました。思っていた通りチョット問題の子に育っています。子育ては決して他所事ではありません。みんなで育てなければいけないと思います。それが大人たちの仕事だと。


