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紅茶国C村の日々

オッ君の試験(5)

ここでもう一つ、前回の記事、長文読解問題(セクションA)について、追加記事を書いてみたくなりました。

(自注。 うん、この、「オッ君の試験」シリーズは、この調子でいくと だいぶ長くなりそうだなあ。ひょっとして、アパカバさん(このブログにリンクしている)の長い、長い香港旅行記事に肩を並べることができるかも、だなあ。というか、そういう記事の書き方もあるんだってことを、アパカバさんから教えてもらったような気がするなあ・・・。^-^)

さて、前回の記事の最後に追加記入した部分をまたここに貼り付けます。

(2)とっても、とっても大事なこと。
実は、これがいちばん大事なことなのですが、上の長文への12の設問は、答えを見つけ出すためには、テキストにそって答えを探していくこと。つまり、設問(b)の答えは、設問(a)の答えより先の部分にはないこと。つまり、設問の順番は、テキストで答えが見つけられる順番と一致している、ということです。  最終的には、オッ君はこれを完全にマスターしました。

そのほか、本文から答えとなる部分を抜き出す、というのが有効な答え方だということも、もちろん本人は承知していました。ただし、本文の部分をどこまでそのまま使うか、どこを変えるか、これは慎重にやらないといけないのですが。


念のため、もう一度、本文と設問の部分を MORE に貼り付けておきます。具体的な答えを検討していくためのご参考までに。

たとえば設問(b)をみてみましょう。
(b)禎子さんは病気のとき、自分はまた元気になると思っていましたか。

もちろん、答えは「はい」ですよね。
本文の第一パラグラフ(段落)3-4行目がその答えです。もし受験生が、
「はい、禎子さんは自分の病気が治ると信じて、12才で なくなるまで、つるを おりつづけました。」という具合に、まるまるその文を全部抜き出して書けば、正解となり、1点ゲット、となるはずです。

仮に、「はい」とだけ書いたらどうでしょうか。おそらく、1点はもらえるとおもいます。

じゃ、「はい」がなくて、
(b)禎子さんは病気のとき、自分はまた元気になると思っていましたか。
答え: 「禎子さんは自分の病気が治ると信じて、12才で なくなるまで、つるを おりつづけました。」

これでも1点でしょう。

ふつうの日本語話者なら、
(b)禎子さんは病気のとき、自分はまた元気になると思っていましたか。
と聞かれたら、
「はい、そう思っていました。」とか、
「はい、禎子さんは病気のとき、自分はまた元気になると思っていました。」
というような、多少のアレンジを加えた答え方をすることでしょう。

これらはすべて正解の範疇内だと思われます。なにしろ、1点なんですから(笑)。

ところが、いちばん最後の問題、
(l)雅弘さんによると、「禎子からのメッセージ」とは、何ですか。
に対する答えとして、同じやり方で、本文から関連する部分を抜き出して、こう答えたら、はたして点をもらえるでしょうか?
答え: 「雅弘さんは、「平和を願う動きが広がっているのは、とてもうれしい。やはり、命の大切さを知ってほしいですね。これが、生きたくても生きられなかった禎子からのメッセージですから。」と話していました。」

ちょっとこれでは、かみ合わせがわるいですよね。ちぐはぐな問答になってしまいます。でも、たったの1点ですから、おそらくゼロ点にはならないでしょう。

本来なら、
(l)雅弘さんによると、「禎子からのメッセージ」とは、何ですか。
答え:「雅弘さんによると、「禎子からのメッセージ」とは、「命の大切さを知ってほしい」ということです。

となるべきなのでしょう。

この「ということです。」というのは、まったく文中にはない表現なので、ここまで書ければ、かなりの力のある受験生だ、ということになると思います。

ただし、実際には、
「命の大切さを知ってほしい。」とだけ書いても、きっと正解になることでしょう。

的の中心を射止めてなくても、的にひっかかっていれば、的の一部に当たっていれば、1点、はもらえそうです。なにしろ、12問で14点(二つだけ、一問二点の問題がある、設問(c)と(f)。)なのですから。

微にいり、細にいり、重箱の隅をつつくようにして、検討することも、このレベルの試験では、避けられないような気がします。そして、受験生は全部が全部分からなくても、点を取るテクニックがあるほうが有利、ということも確かでしょう。

受験技術をズバリ、オッ君に仕込んでくださった助っ人・エムナ先生のことは、このシリーズのおそらく8-9回めを終えたころ、じっくり書かせていただく予定です。(ふう、長くなりますよ。乞う、ご期待。)

オッ君の試験(5)_e0010856_032336.jpg






第一問(セクションA) リーディングとライティング


「原爆の子」の願い
 広島の「原爆の子」の像はとても有名です。国内だけでなく、世界中から たくさんの おりづるが送られてきます。この像のモデルとなったのは佐々木禎子さんです。 1945年8月6日、世界で初めての原爆が広島に落とされました。禎子さんも、その後で病気になった人の一人です。 禎子さんは自分の病気が治ると信じて、12才で なくなるまで、つるを おりつづけました。
 禎子さんの話を通して、平和の大切さを伝えようと、お兄さんの雅弘さん(64才)は 各地で話をしています。7月の日曜日には、広島市内の会場で話していました。「禎子は いつも うちの手伝いをしていた。妹や弟にも やさしかった。禎子がいっしょうけんめい つるをおっていたのに、どうしてあげることもできなかった・・・・」と、禎子さんの様子や両親の思い出を話していました。「禎子は がまん強かった。」、「体の痛みより家族の生活が苦しいことを心配していた。」などと雅弘さんが語ると、会場では、泣いている人もいました。
 雅弘さんが禎子さんの事を語るようになったのは、10年ぐらい前のことです。禎子さんの話が、世界中に広がったので、本当の禎子さんの事を家族の人が伝えるべきだと思ったからです。
 禎子さんと おりづるの話が世界に紹介されたのは、1956年に広島に来たオーストラリア人のジャーナリストが小説を書いたことが、始まりだと言われています。その後も次々と本がでたり、教科書にのったりしました。また、広島の像に似ている「姉妹像」を作る動きも95年、アメリカで始まりました。ニューメキシコ州の子どもたちが、禎子さんの話を読んで感動し、お金を集めて、自分たちの姉妹像を作ったのです。その後、いろいろな町に姉妹像を作る運動が広がりました。
 雅弘さんは、「平和を願う動きが広がっているのは、とてもうれしい。やはり、命の大切さを知ってほしいですね。これが、生きたくても生きられなかった禎子からのメッセージですから。」と話していました。


下の質問に日本語の文で答えなさい。
(a)「国内」とは、どういう意味ですか。
(b)禎子さんは病気のとき、自分はまた元気になると思っていましたか。
(c)佐々木雅弘さんは、今、どんな活動をしていますか。その活動の目的は何ですか。
(d)禎子さんは、自分の兄弟に対しては、どんな人でしたか。
(e)禎子さんは、自分の病気以上に、何に気を使っていましたか。
(f)雅弘さんの話を聞いた人は、その話について、どんな気持ちになったようですか。本文のどこからそう思いますか。
(g)雅弘さんは戦後ずっと禎子さんの話を伝える活動をしてきましたか。
(h)雅弘さんはどうして禎子さんの話を伝える活動を始めたのですか。
(i)禎子さんの話を初めて世界に紹介した人はだれですか。
(j)初めて姉妹像を作った人たちは、アメリカのどこに住んでいましたか。
(k)今世界に姉妹像は いくつか ありますか、一つだけですか。
(l)雅弘さんによると、「禎子からのメッセージ」とは、何ですか。
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by agsmatters05 | 2011-06-18 00:44 | Comments(0)

紅茶国で(元)日本語教師(今は退職)。身の回りのいろんなことを気ままにつづっていきます。日常の出来事、イギリス風景、たまには料理や本やニュースや出会った人々のことや、家族のことなど。