人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

紅茶国C村の日々

♪「いっしょに 手を つないで 手を ・・・」♪

♪「いっしょに 手を つないで 手を ・・・」♪という歌。

イギリスの日本語教師たちが大勢登録している JLE-UK というメールリストがあります。たしかこれは、ジャパン・ファウンデーションが管理してくださっているんですよね。(おぼろな認識ですみません。) イギリスで日本語を教えているものにとって、とってもありがたいサイトです。

今、このメアドは、東日本大震災の救援活動に関するメールでとても頻繁に交信が続けられています。イギリス中のいろいろな学校や地域で日本救援の募金活動が行われていて、それについての案内、報告、がいっぱい載せられています。「こんな行事をしたら、これだけお金が集まったよ、感謝。」という記事や、いついつにどこどこで募金活動をするからお近くの方はきてください、というようなものです。

そして、昨日、ダービシャーのある学校の先生が、このメールリストに、日本人の奥さんが作って唄っているという歌を載せてくださいました。

チカ・ウッドワードさんの
「がんばろうよJapan 」 っていう唄。

ここにシェアさせてもらいました。
ご本人に連絡をとりたいと思ったけど、SoundCloud とかいうサイトに入れなくて、まだそれができていません。てか、とうろくすればよかったのかと思うのですが、とりあえず、こちらに先に書かせてもらいました。

3つのクラスの生徒に聞かせたけど、いっぺんにフシを覚えてくれていっしょに唄ってました。
あきらめる、がんばる、てをつなぐ、という動詞の「てー形」を覚えるのにいい例になりそう。

がんばろうよ Ganbaro feat. Greg Jackson
かなしい こと ばかり で いやに なる よね
いつも?の  ジョークが もらえない わたしも いっしょ だよ
でも いっしょに 手を つないで 手を つないで あきらめないで
いっしょに 手を つないで 手を つないで がんばろうよ
あたりまえの ことを とつぜん なくした ふあんな きもち
わたしも いっしょだよ
でも いっしょに 手を つないで 手を つないで あきらめないで
いっしょに 手を つないで 手を つないで がんばろうよ
いっしょに 手を つないで 手を つないで あきらめないで
いっしょに 手を つないで 手を つないで、 がんばろうよ
がんばろうよ がんばろうよ 



母の号泣

Moreに福島県のイチゴ農家の苦しみ、悲しみの記事をコピーペーストさせてもらいました。
毎日JP というインターネットニュースの記事の一部です。

それを見て、子供のころのある出来事を思い出してしまいました。
私は甲斐の国の農家に生まれ育ちましたが、小学校の頃は、家は米作りが中心でした。やがて、果樹栽培が始まり、実家のある町一帯が「桃の町」として生まれかわっていった頃のことでした。

ある夏、台風がきて、桃園の桃がすっかり地面に叩き落されてしまうということがありました。地に落ちた桃は、若い実なら、よく洗って加工すれば立派な桃の缶詰の原料になるので、一つ一つ拾い集めて、川原で洗い、家の前の縁側(これが長くて広い)に山盛りに並べて乾かす、ということをしたことがありました。私は小学校の中~高学年ごろだったと思います。桃を拾ったり、洗ったりする手伝いはできても、桃栽培を始めた親の営む農業の「の」の字もわかってなかった時でした。

縁側に山盛りに並べて干していたこの桃が、暑い季節のことで、ひとつ腐る(これは、灰星病=はいほしびょう と呼ばれましたが)と、あっという間に次から次に腐れ病が伝染してしまったのでした。リヤカーに何台も腐った桃を運んでは、畑に穴を掘って埋めなければなりませんでした。

この縁側に山のように積まれた桃たちが一夜のうちにごそっと腐れ桃の山に化したのを見て、ある日、ある時、母が号泣していたのを、私はちょっと離れたところで見ていることしかできませんでした。でも、あのときの記憶が、下のイチゴ農家の涙という記事を見て、しっかりと私の記憶と結びついてしまい、ここに書かずにはいられない気持ちになってしまいました。




福島第1原発:イチゴ枯らし農家涙「放射能さえなければ」

枯れたイチゴを手に肩を落とす鎌田さんと、涙ぐむ妻の明美さん=福島県南相馬市で、中島和哉撮影 放射性物質を含む汚染水流出など問題が続発する福島第1原子力発電所近くの農家は、健康不安だけでなく風評被害の懸念も強めている。一度は避難したものの「作物を放っておけない」と地元に戻った一家は、手塩に掛けたイチゴなどが全く商品にならない現実に立ちすくんでいる。【内橋寿明、中島和哉】

 原発から北へ約35キロの福島県南相馬市鹿島区。代々農業を営む鎌田芳彦さん(45)のビニールハウスでは、真っ赤に実っていたはずのイチゴが茶色く変色していた。収穫期なのに風評被害で値がつかず、わざと室温を高くして枯らしているのだ。「放射能さえなかったら……」。妻明美さん(45)の目から涙があふれた。

 鎌田さん一家は親類を頼ってさいたま市に避難していたが「俺たちには農業しかない」と意見がまとまり3月下旬に戻ってきた。

 しかし「南相馬市産」というだけで農産物の価格は暴落。1束80円で出荷していた水菜は5円になった。輸送費や仲介手数料を考えると、焼却処分した方が赤字は少ない。

 焼却したとしても必要経費はどんどんかさむ。新調したトラクターとコンバインのローンは数百万円残り、農薬や肥料代、光熱費の請求も待ってはくれない。原発事故の先行きが見えない中で米の作付けも始められず、手持ちぶさたで過ごす日々。「死活問題だ」と、幾多の冷害を乗り越えてきた父典聖さん(74)も不安な表情を浮かべる。

 3人の子供たちの健康への影響も心配だ。政府が屋内退避指示を出すとともに自主避難も促している20~30キロ圏内と大差があるとは思えない。「放射能が目に見えないから暮らしていけるだけ」と明美さんは言う。

 稲作が落ち着く冬場のなりわいとして10年前から始めたイチゴ栽培は鎌田家の家計を支える宝でもある。次男の中学3年、俊輝君(14)は「少しでも早く両親と一緒にイチゴを育てられる日が来てほしい」と話している。

by agsmatters05 | 2011-04-07 03:39 | Comments(0)

紅茶国で(元)日本語教師(今もちょっとだけ)。身の回りのいろんなことを気ままにつづっていきます。日本語教育のほかに、イギリス風景、たまには映画や料理や本やニュースや旅や、家族のことなど。

by dekobokoミチ