2010年 07月 25日
22(木)、23(金)論文提出。

ついにD論(デーロン)提出しました。(注、デーロンって? ドクター(Dr) の学位のDを、ドイツ語風に読めばアー、ベー、ツェー、デーだから、デーロンになる、っていうことから来てるんだと思います。博士課程を始めた頃、ケンブリッジ大学の博士課程をやっておられたETさんのブログで使われていた言葉でした。)
22日(木曜日)、オックスフォードの西郊、ヘディントンというところへ行ってきました。(車で往復約100キロ)
いくつかの情報をたよりに、グーグルマップして、めざすはテンプル・ブックバインダーという会社(お店?)

グーグルの地図は、時々通りの右側と左側を間違えて表示していることがありますね。迷わされたのは、これで2度目。狭い道だったので、駐車にも手間取り、店に着いたのは12時ごろでした。

キャリアケースにすればよかったと、後で気がついたのですが、重いカバンをさげていきました。なにしろ、本文373ページに加えて、表紙と前書き、目次、プロローグが19ページなので、計392ページ。プリンターを通してでてきた392枚の紙の厚さといえば、A4の印刷用紙500枚一袋とほぼ同じぐらいになります。それを今回4冊分用意したので、かなり重い荷物でした。

出来上がりは、ジャスト24時間後、ということでした。表紙の色は自分で選べる、というので、ロイヤルブルーという名前の↑の写真にあるような色にしました。製本料は一冊37ポンド。4冊だと、もちろん、その4倍、148ポンド。(1ポンド140円として、ほぼ5000円。その4倍で約2万円。)
製本屋をでたら、パラパラと小雨もようでした。でなければ、このヘディントンという街にはチャリティーショップがたくさんあるので、ちと暇つぶしをしてもいいかな、とおもったけど、雨なので一路大学のキャンパスに向かいました。キャンパスに着くと、すごいどしゃ降りの雨となり、落雷の音もすごかったです。10年以上手足を拘束されて、肩にどっしりと重い荷物を背負わされていたこの 10万語の論文と、ついに、ついにオサラバできるという、祝砲のような雷鳴と受け取ることにしました(笑い)。
そのあとは図書館に行って、延滞料1.5ポンド(200円ぐらい)を支払って、この大学に借金を残さないように、清算してきました。さもないと、卒業式に出させてもらえませんからね。
次の日、つまり23日(金)
早めに行こうとおもっていたのに、テンプル製本屋に着いたのは、ちょうど12時でした。
蒼い本が4冊、きれいに出来上がっていました。タイトル(長々しい、 A Study of the・・・・)のつづりだけはしっかりと確かめて、あとは4冊とも袋に入れてもらい、小切手で支払いをして、製本屋を立ち去りました。
本当は、製本職人、お店のマスター?らしき人の服装が、剣道着に似ていたので、写真を撮らせてもらいたかったのですが、まあ、そういうことは2の次、3の次。ブログのために製本屋に来たんじゃないんだから、と自分をなぐさめたりして(笑)。
めざすは、OB大学のグラデュエートオフィス。ここのボスのジルさんと、私と、私の第一指導教官(スーパーバイザー)のマギーの3人は、1999年10月に私がここにリサーチステューデントとして 入った時からまったく変わりなし。それ以外の人は、トップもスタッフも教室や研究室やコンピューター室も、この大学はめまぐるしく変わり続けてきたのでした。
とにかく、ジルさんの部屋に入ると向こうからいきなり、コングラチュレーションといわれました。
必要な書類を渡して、ちょっと立ち話をして、お別れしました。なにしろ10年以上かかったので、記憶もかなり風化しはじめていました。コースが始まってすぐのころ、インターナショナルステューデントのクリスマスパーティーがあり、食べ物持ち寄り、ということだったので、たまたま手元にあった梅干しと羊羹を小さく切って、これは甘い、これはカライと、カードに説明を書いて、出したことがありました。いろいろ各国のめずらしい食べ物が並んでいたパーティーでしたが、あっという間に、梅干しも羊羹もなくなってしまったことを覚えています。それから、ジルさんはあの頃からずっと今もかなり太っている方で、大柄なのですが、こういうパーティーにはいつも、たくさんの野菜スティック(きゅうり、ピーマン、セロリ、人参を細長く切ったもの)を出してくださったのでした。

写真は、夜、C村に帰宅してから撮ったもので、4冊製本してもらったうちの2冊目は、10年以上お世話になったマギーのところへ渡してきました。
OB大は、キャンパスがオックスフォードの西のはずれと東のはずれと、このヘディントン(市の中心よりは東より)に分かれているのですが、マギーのいるところは、教育学部のある西のはずれ、ハーコートヒルキャンパスです。ジルのオフィスからは車でおよそ20分ぐらいかかります。市内が混んでいたので、20分どころか、40-50分以上かかってしまいました。例の、子どもはその伸びる方向に延ばせ、という聖書の言葉を台座に刻んだヘンな彫刻があるキャンパスです。

マギーの部屋をノックしたら同室の別の研究者(先生?)がいて、マギーは家に帰ったばかり、とか。論文を渡しに来たというと、責任もてないから、ほかのオフィスに持っていってくれ、といわれてしまいました。予約しておかないと、こういうところで、なかなか目指す人には会えません。聞くと来週の月曜日には部屋に来るというので、なら置いて行きます。共同のメールボックスよりはこちらのほうが安全でしょうから、といって、1冊マギーの机の上に、テンプル製本屋の赤い袋にいれたまま、置いてきました。
あとは、食堂で軽い昼ごはん(ピザとサラダ、↓の写真、2.9ポンド=約400円ぐらい)を食べて、卒業式の9月11日土曜日の情報を、図書館のPCでネットサーチして、帰ってきました。

10年間、長いトンネルでした。2005年に2次調査のインタビューとかをするまでは、なんとかプログレスが見えていたけど、そのあと最後の整理ですっかり意欲を失くして、ダラダラ、ダラダラと時間をくってしまいました。というか、日本語教師の仕事のほうがいそがしくなって、しかも面白くて、ということもありましたし、2007年 の夏に毎年クリスマスを一緒に過ごしてきた友人 J がカーディフで亡くなってからは、ただの惰性のみで、いやいや続けてきたような具合でした。
仮綴じ版を提出したのは、2009年の10月ごろ(9日、金曜日)でした。口頭試問(ヴァイヴァ)を受けたのが、雪のため延びに延びて、2月12日。 そして3000語の追加分(プロローグとエピローグ)を半年以内に書けということで、最終提出締め切りは8月12日でした。でもそうすると、9がつの卒業式の申し込み締め切りに間に合わない、というので7月中に製本、提出を終える必要がありました。私のリサーチの分野の関係で、またOB大の規則変更がからんで、スーパーバイザーも3人、口頭試問のイグザミナーも3人でした。しかも、一人はホリデーで7月中ごろまでいないときかされ、7月中の提出はむずかしくなりそうな気配もありました。
ま、これで一貫の終わりです。完全に私一人でやれたかというと、それはないです。お金だけは誰からも助けてもらわずに自分で全部払いました。10年以上かかったので、大げさに言えば500万、およそ2万5000ポンド(始めた頃は1ポンド270円ぐらいの時もありましたが、いまでも1ポンド200円という計算がクセになっている。ちなみに1年間の授業料は7500ポンド=140万。授業は全然受けませんけど、月に一度スーパーバイザーに自分の書いたものを見せに行き、コメントしてもらうために払うお金です。)自分でできなかったことの最大の私の欠点はやはり「英語」でした。英文の校正には人手をかりなければなりませんでした。スーパーバイザーも英文をよく手直ししてくれましたが、それ以外に友人達が沖縄、静岡、イギリスにいて、助けてくれたので、ありがたかったです。10年間かかったので、最初の頃作ったアンケートなど、最近になって読み直したら、校正をしてくれた人がまた違う英語に訂正しないといけない、なんていうこともありました。
もう、見たくも、さわりたくもない論文ですが、いちおう何について書いたかとたずねられるかもしれないので、隠すのもへんだから、一応ここに書いておきますね。「イギリスの高等教育機関における在英邦人留学生のストレス要因と対応策の研究」というものです。要するに、自分。紅茶の国で留学生として、どんなストレス、困難、難儀を味わったか、それに対してどう対応したか。およそ300人近い在英邦人留学生からのアンケートとインタビューがこの論文の拠り所となっています。この調査にご協力くださった方々で、もしこのブログをご覧になる方がいらしたら、ここで、あらためてお礼を申し上げたく思います。
ブログは2005年6月にはじめましたし、日本語教師としてのブログということではじめましたので、リサーチステューデント(留学生)としての記事は控えめにして、時々しか書きませんでした。これからはタガも取れたので、もっと全面的に日本語教師ブログになるかもしれません。NED-WELT さんのこの記事
にあるように、本を書いたり、論文を書いたり、ブログを書いたりすることは、結局すべて、自分について考え、自分を表現しようとしていることにつながってくるんですよね。直接、間接にそういうことなんだろうと思います。という意味で、このブログ読者も、このたびの私の論文提出に多いに一役買ってくださった、のです。ありがとうございました。
^_^ ^_^ ^_^ ^_^ ^_^ 笑顔いっぱい。
私は、ご職業からして、てっきり日本語教授法、あるいは第二言語習得理論と思っていたのですが、なるほどそういうご研究だったんですね。
何かご自分にご褒美あげてくださいね。Yoshi
初めて統計をやって、ソシアルリサーチをやって、その点は面白かったです。統計の分析にはTakaoさんからもアドバイスをいただいたんですよ。ま、次に何をやりたいかと聞かれたら、文学研究か詩論をやってみたいですねえ。論文は重荷だけど、こういうタガがあるのも自分がいろんな方向に勝手に暴走しないためにはプラス面もあるのかも、ですね(笑)。というより、次にどこへ暴走しようかと考えている自分がちらほら見えて恐ろしい(笑)。
おめでとうございます。
よく頑張りましたね。10年間ですか。孫娘はまだ8歳です。沢山、一杯の思い出を作ってくれても未だ、貴女の頑張りの10年には足りません。毎日、これだけ沢山の事をこなしながら、続けられたのですね。どんなにか大変だったことでしょう。そして嬉しい事でしょう。おめでとう!
表紙の色、貴女っぽくていいなぁ~!記念に残る本になりました。
次は、何に掛かりますか?もう、そろそろ手をつけていらっしゃるのでは?
本当にほんとうにゴクローさん。そしておめでとう!!!
私から見ると、ミチさんの到達点は、登山口にいるハイカーが、遠くの山頂の人を見る気持ちです。もう2年近くやっているのに情けないですが。これからも、登っていく道程を楽しみたいと思います。
ミチさんも、これからも文学研究その他、知的活動を楽しまれますように。Yoshi
たしかに、今だから見えるものがあって、あの当時(というかはじめてからずっと最後まで)先のことは何も見えなかったです。でもね、山登りだって、頂上がいつも最高とは限らないじゃないですか。途中の景色がたのしくて、頂上は霧の中、イギリスの湖水地方の山は過半数がそれです(笑)。
しつこいコメントになりつつあったら、お許しください(レスなさらなくて結構ですから)。これで今回は終わりです。ミチさんの上のコメントで何度もさじを投げそうになり、周囲の皆さんからやめないように説得されたという点、大変心に残りました。私も2度くらいはかなり本気でやめようと思いました。研究の方向を見失うし、お金はどんどん出ていくし、更に私の場合、いつも体調不良に悩まされ痛みや不快感を我慢しつつの勉強ですから。また親のガンの手術もあり(幸い上手く行きました)、軽い病気ですが帰省中に自分の入院もあり、日本の病院に行けないのも辛かったです。
でも辞めなければテーマが見つかるだろう、遊んでいてもそのうち研究意欲も出て、何が書けることが見つかるだろうと思い、辞めずに来ました。どうなるか分かりませんが、ミチさんや、私の前の同僚も9年やって提出しましたから、そういう先輩を良い手本として、自分から放り出すことだけはしないでおこうと思います。 Yoshi
「10年以上手足を拘束されて、肩にどっしりと重い荷物を背負わされていた」って言う表現に本当に大変だったんだな~~って思いました。
と同時に、雷鳴が祝砲に聞こえるって言うのは大変な喜びでしたね。
本当におめでとうございました。私もほっとしたようなうれしい気持ちになりました。
繁子さんにもほっとしてもらえて、うれしいです。これからは、あれができない、これができない、ということの口実がなくなりそうです(笑)。繁子さんがA市に来られたら、もっと頻繁に車であちらこちらご案内できると思いますよ。再会を楽しみにしています。
このたびは、ありがとうございました。
すごくショックでしたけど1ヶ月近くたち母もやっと日々の生活が送れるようになってきています。
ただ、秋田での様々な思い出、一緒に移動する秋田への道中はこみ上げて来るものがあるみたいです。
夏の間にあと数回秋田に行くことになると思いますが、
いまは僕が母についていてあげなくちゃと役割果たしてますよ。
なんだか不思議だけど、母を支えるってこういう事なのかなって思っています。
ご連絡遅くなり申し訳御座いません。
ミチさんのブログじっくりと今からですが拝見しますね。
ご連絡遅くなり申し訳御座いませんでした。
私、あまりコメントはしないのですが、今回は、
>山登りだって、頂上がいつも最高とは限らないじゃないですか。途中の景色がたのしくて、頂上は霧の中、イギリスの湖水地方の山は過半数がそれです(笑)
っていうミチさんのコメントにすごく反応してしまいました。
私の場合、どういう結果に終わるかわからないのですが、終盤に来て、昔のことを思い出します。
特に、先行研究のチャプターを読み直していると、1年目のことを思い出して、すごく懐かしくなります。
楽しいこともあったけど、将来が心配になったり、やる気がなくなったり、背中が痛くなったり・・・、一週間大学に来るけど、何にもしなかったなんてことも多々ありました。
それでも、それが今、すごく、良い思い出のような気がしてならないんですね。
PhDってそういうのも含めてのPhD何でしょうね。
Yoshiさんとは、オフ会で先日お会いすることができました。
楽しかったですよ!
ミチさんとも、どこかでお会いできる日を楽しみにしています。
Takaoさんはいよいよ終盤なのですね。最後の追い上げ、これでもか、これでもかと、細かいことがいろいろでてくるように思います。でも、ブログに毎日の行動を記録することが一つの励み、支え、チェック機能になっているのでしょう。Takaoさんは本当によく頑張っていらっしゃると思っています。ポジティブ(前向き)で、いつもまわりの方々に気を配ってらっしゃるTakaoさんは本当に頼もしくて、貴重な存在だと周りの人が思っているのがよく分かります。
このたびはおめでとうございます!
私も某国で日本語教師をしながらD論を書き、
2年前に終わりました。
ですから、一区切りつけるということが
どんなに難しく大変なことであるか、
理解できます。
本当に苦しい道でしたよね。
これからまた違う道が切り開かれるのでは
ないかと思います。
今後のご活躍を楽しみにしています。
inceptionっていう言葉が、はらりと降りて来ましたが・・・ちょっと違うのかな??
とにかく、おめでとうございます。論文、良かったら一度、拝見したいです♪
博論提出おめでとうございます☆
三ヶ月の締め切りが終わっても開放感いっぱいの私、「10年以上手足を拘束されて、肩にどっしりと重い荷物を背負わされていたこの 10万語の論文と、ついに、ついにオサラバ」という状況がどんなに喜ばしいものであるかは、beyond all imagination ですね。
10年間投げ出さずに続けてこられたということ、本当に尊敬致します。
1度は登らないことにした山ですが、あまりにも雑事に追われて一貫性のある研究ができない今の状況に少し焦りも感じ、登る苦労に挑戦してみたいという気持ちもポツポツ・・・の私です。
1度ミチさんにお会いしてお話をうかがいしてみたいです。
「留学生」についての論文ということでできればサマリーなど拝読できれば有難いのですが添付ファイルなどで送っていただけるものがありますでしょうか?
オックスフォードから戻ってもう5年も経ってしまいました。
遅ればせながら、論文の完成おめでとうございます!
長い長い道のりだったのですね。
スペインの詩人の言葉、すごく素敵だと思いました。
確かに、道は作っていくものだなと実感しています。
またイギリスに行きたくて行きたくて、どうしようもなくなるときがよくあります。
近い未来にまたお会いできますように・・。
本当に、おつかれさまでした!
では、今一度、ほんとにおめでとうございます。未だ、じんわり喜びを噛み締めておられる事と思います。私まで幸せをお裾分け頂いて、お腹が温か〜いです♪ 一つの事を成し遂げるのって、年月も努力も必要ですものね、その分、嬉しさ一入なんだろうな。
*論文、是非是非、一度、見せて欲しいです!暫くお会いしていないので、近いうちに再会したいですし♪ そうそう、21日に、レイトン・バザードの親類宅でのパーティに行くんですが、あそこから結構、お近くでしたっけ?!?
あ、それから、インターネット、とくにブログを通しての日本語教育を確かやってらっしゃいませんか。違ってたら、訂正してください。今後ともよろしくお付き合いをお願いしたいです。
「ミチさんのことだから、大変と判っているからこそ、やりたかった」って、いうのは、ちと違うかもよ。 長いこと、とても自分にやれるもんじゃないという思いがあって、その垣根を払いのけて、やってみようかと思い出したときは、かれこれ50を過ぎていた、ということです。いえね、若い頃、ヒントをくれた人がいましてね。コンピューター専門の博士課程の学生でした。そういうのって、心の片隅にのこるんですね。
というと、次を考えたくなってしまいました。
インセプションですか、見ましたよ。映画。(笑)
毎日 Mixi で楽しませてもらってますよ。医学のことも間接的に勉強になります。私のMixi関連はほとんどYukariさんの情報で占められてます。おかげで、医学生の生活と沖縄をいつも身近に感じられて、とっても幸せです。
さて、今回の論文のできあがり、皆様から祝ってもらってこそばゆいです。文字通り、カビが生えていましたから。もっと新鮮なできあがりだったら、味わいも違っていたことでしょう。何の話でしたっけ?早々、指導教官はよく、論文をデコレーションケーキに喩えてました。いろんな層(レイヤー)を重ねて、全体を形成していくんだって。それでいくと、わたしの作ったケーキは、とにかくゴッチャまぜの材料がただただ長い時間混ぜこぜになってねかせてあっただけ(笑)。
「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。」高村光太郎も同じようなことを言ってましたよね・・・。
どうぞまたぜひチャンスを作ってC村へも、オックスフォードへもお出かけくださいね。学会発表とか、ワークショップというようなものにひっかけるっていう手もありますからね。
コメントありがとうございます。
直接のデータのサマリー(一部)はインターネットに載せたものもありますので、C村にかえったら、もういちどご連絡さしあげますね。「10年間投げ出さずに続けてきた・・・」というのは、実は正確ではないのです。もうあきらめた、やめてもいい、と思う時期が一度ならずあったのです。特に、2007年以降はずっとそうでした。データ収集とその分析が終わって、一応結論(コンクルージョン)まで辿りついたら、急にモティベーションがなくなって、パッションも枯れてしまい、ほかのことにも興味が生まれてきて、もうどうでもいい、やだ、やだ、と思うことが多くなってきました。続けたところで、大勢(自分にも、世界にも)になんら影響ない、と。長い時間がかかった最大の理由はこのリラクタンス(いやいや、しぶしぶ)にあったと思うので、ほんとうに、この点、面目がたたないのです。考えてみれば、実質的な作業は2007年で終っていたと思うのです。あとは、つじつま合わせと、レファランスの更新、パンクチュエーションや、スタイリスティックなもの、つまり体裁の問題だけだったのです。それが面白くなかったというか。
ここでなんですが、おかげさまで、ギャレス・マローン先生の番組、楽しませてもらってますよ。先日はBBCで、別の番組(オペラ参加)もありました。感謝です。
日本語を教えているH女子校のモ・ウちゃん、(本人の許可を得て、顔写真を載せたこともありますし、彼女の描いた絵を勝手にここに掲載させてもらったこともある生徒。9月からケンブリッジで建築を学ぶ生徒ですが、最後にちらっと彼女に聞いてみました。
(絵の写真、2-3枚)
こういう絵を描いていて、いつ終りだとわかるの?って。
そうしたら、モウちゃん、「飽きてきたら=when I get bored 」ですって。
なるほどね、とおもったことでした。
このブログへのコメントは「承認制」になっているので、私が読んで承認ボタンをクリックするまではスクリーンに出てこないんです。おかげで、2度もコメントしてもらっちゃった(うれしい!)。
レイトンバザード、近いですよ。お時間があったらどうぞお立ち寄り下さい。当日でも、前の日でも、ご連絡いただけたら、詳しく時間と場所を打ち合わせしましょう。もちろん、ハビーもご一緒に(笑)。論文はその時、ハードでもソフトでもご覧いただけると思いますよ。リス美さんのコースは、モジュール制(みたい)だから、その場その場の課題に答えるという、柔軟性を要求されるのかな。かげながら応援させていただいてます。


