2010年 07月 09日
7月2日(金)論文提出とブリストル行き
そのあと、H女子校の昼休みの授業をキャンセルさせてもらって、一路オックスフォードへ。
O市の東にあるヘディントンという街、そこのジプシーレーンという大学の本部がある通りについたのは、1時半すぎでした。
まず、車をどこに停めるか、ほんとうに苦労しました。キャンパス内の2箇所の検問所にいって、重い荷物があり、長年(10年以上)学生をやってきて(授業料を払ってきて)、今日が最後の論文提出日なので、どうか1時間ほど車を学内に停めさせてくれ、と一生懸命頼んだけれど、駐車場の中には空きスペースもあるのに、どちらの検問所も、けんもほろろ。しかたなく、遠くの道路に停めることにしたけれど、たまたま近所の学校の下校時間と重なってずらーっと片側駐車の列。ずうっとずっと遠い一番はずれに車を停めて、重いカバンを抱えて、キャンパスの門衛さんたちを恨みながら、もくもくと歩きました。かれこれ2時。
このキャンパスには、メディアセンターと呼ばれる建物があって、そこへ行くと、3-400ページの印刷物を仮綴じしてくれます。今回できあがったものは373ページ。これをスパイラルバインディングしてもらうのに、1冊2ポンドかかります。ああ、よかった。メディアセンター、休みじゃなくて。
1999年の9月から10年以上、私、在英邦人留学生・ミチは、この学校の学生でした。いちおう「リサーチステューデント」ということで、毎日通ったりはしませんでしたが。10年の間には、A市からバスや車でサンザン往復しました。その間には、キャンパスも二転三転。O市の東のはずれ、ウイートリーから、西のはずれハーコートヒルへ。そしてこの学校は、いつ来ても、どこかを工事しています。
メディアセンターで、373ページの論文を、3部、仮綴じ(スパイラルバインディング)してもらいました。その足で、グラデュエートオフィスに行き、およそ20センチぐらいの高さになる論文3部をサブミット。実はまだこれで完了ではないのです。幸か不幸か、スーパーバイザー(指導教官)も3人、口頭試問の試験官も3人となってしまい、たびたび、3冊の仮綴じ本を出さなければなりませんでした。
現物の写真を撮り忘れたので、家にあったバイバ(口頭試問)用の仮綴じ本を重ねたところの写真を撮ってみました。

↑ の写真の、上部二つの印刷用紙の袋の中にも373ページの論文がはいっているのですが、仮綴じしたのはその下、予備も含めて作ったので、3部といえば相当な厚みになります。
とにかく、出してきました。ヤレヤレ。ご苦労さん(自分に)。
かんじんのその写真を撮り忘れて、キャンパスの中の工事中の写真などを、もうこれでここに来ることもあまりないだろうと思って、何枚かカメラに。




とまあ、こんな写真を何枚撮っても何の意味もないっつうのに、10年越しの論文を仕上げてふっと気が楽になってやったことといえば、この程度の写真を撮ることぐらい。バカバカしい自分。
軽いカバンを抱えてもとの駐車場に戻ったのが3時半ごろだったかな。
この日は、この後、ブリストルまで直行の予定でした。
メグにもらったトムトムをセットして、携帯でメグに今から行くよとテキストして、さあ一路西へ、西へ。

道路状態も天気も悪くなかったです。でも今回は、急がないで、走りました。A34とM4.出発地点をA市のG男子校として、金、土、日と走り、日曜日の夜C村に帰ったときは全部で256マイル(410キロ)の行程でした。(かなり走ったつもりでしたが、500キロ足らず。紅茶国は日本より国土が狭い?あんころネットのMarriさんが一日で瀬戸大橋や宮島まで行って帰って、1000キロって、ほんとうにビックリ、です。)

ブリストルに着いたのは夕方6時半頃でした。
その翌日(3日、土曜日)、メグとその彼氏 アラン(仮名)は引越しをしなければならなかったので、たまに老母・ミチの役がまわってきて、その手伝いにやってきたのでした。(続く)

論文ご提出、おめでとうございます。10年ーー長いですねえ。本当にご苦労さまでした。しかも働きながら!色々な事があったことでしょう。感慨ひとしおでしょうね。学位授与式は秋ですか。
私も引っ越ししたり、学会発表があったりで2ヶ月程度論文の勉強はご無沙汰しているので、来週くらいからまた再開しなくちゃ。 Yoshi


