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紅茶国C村の日々

亜蘭君続報(カード、命日、そして新聞記事など。長文です。)

先週の土曜日(10日)の亜蘭君N杯獲得のニュースから1週間たちました。

この間、コマゴマと、事後処理であたふたしていました。

(1)まず、ワタクシ日本語教師・ミチは先週日曜日の夜に、学内関係者数名(校長、副校長二人、学年主任、キャ先生(言語学科ヘッド)、その他二名)にメールを書きました。亜蘭君のうれしいニュースを報告、シェアするために、です。これはいつものホットメールではなくて、キャンパスの学内メールアドレスを使いました。月曜日に学校へ行くと、何人かからすぐ返事、お祝いなどを言われました。月曜日の昼休みは女子校で亜蘭君を含めた日本語の授業があり、少し遅れて亜蘭君もきたけど、とくにだれかから何かを言われたということはない、と言っていました。「お父さん、喜んだ?」と聞くと「ええ、もちろん。」と言う感じでした。

(2)日本語弁論大会の数日前から、ようやく亜蘭君はお父さんと一緒に以前の住所に戻ったということは、学年主任が教員連絡会議で話していたので、わかっていました。この日ごろ、亜蘭君は髪をジンジャー(しょうが色!)に染めたので、学年主任はちょっと気がかりで、もしも彼の髪の色が緑や赤になったら、かならず私に連絡してください、と言っていました。複雑な家庭事情から、宿題などが十分にやりきれていないことが、各教科の担任や学年主任の心配の種になっているらしいことは、以前からの教員連絡会議でたびたび亜蘭君のことが報告されていたので、わたしも気がかりでした。決して非行に走るような子ではないのですが、やはり家庭環境が不安定なことが原因で学業が万全の体制ですすまない、と言う問題があるのでしょう。

(3)わかっていることは、お母さんが3年前に癌でなくなったということ。お父さんが、そのショックで仕事に就けず、亜蘭君はほかの養い親のところから通学したりしていたこと。先週から、お父さんとの同居生活が許されたこと、(これが誰の判断なのか?謎です。ソーシャルワーカーの介入があるのかどうか、まったく不明。)

(4)6月22日の火曜日。亜蘭君は昼休みのジャパンクラブにいつものように元気良くやってきました。私はたまたま買い置きしていた極細チョコポッキーを一箱もっていって、お祝いに亜蘭君にあげて、みんなでシェアしようね、というと、亜蘭君は、ぼくはこれはすべてのもらったものの中で一番うれしい。メダルよりも、カップよりもうれしい、と言って喜びました。亜蘭君は、こういう日本のお菓子などの品物は必ず包装紙や袋や箱を捨てないで、大事にもって帰るのがつねでした。

(5)この日、私は近所のテスコから、お祝いカードとお別れカードを買ってきました。クラブのみんなで、亜蘭君に優勝お祝いカードを、13年生のジラくんにさよならカードを、書いて送ってあげようと思いついたからでした。ところで、この亜蘭君とジラ君は日ごろからクラブの時間には「しりとり」合戦で熾烈な戦い続けてきた仲でした。亜蘭君は、ジラ君から最初に「死ね、死んでください」という言葉を教えられたといって、これは忘れられない言葉、かなり傷つけられた言葉だというのです。

お別れカードの表紙には、「あなたがいなくなって淋しいよ。 Sorry to see you go.」みたいなことが書いてあるのですが、そこに亜蘭君は 「亜蘭 is not 」 と頭にくっつけて、「ぼくはジラ、おまえがいなくなってこんなにうれしいことはない。」みたいなことを書き込んだりしました。でもちょっぴり淋しいかも。ぼくもいつか後をおってシェフィールドに行くかもよ、みたいなことも書いていました。

同じ日に用意した、クラブのみんなから亜蘭君へのお祝いカード。たとえば、一緒に大使館へ行ったNくんは、来年も出場してくれよ。そしたらぼくもまた大使館へ行ける楽しみができるから、見たいなおことを書いていました。おなじく大使館へ一緒に行ったジェリくんは、「ぼくのネクタイが一役買ったんだぞ。カップをもら得たのは、ぼくのネクタイのおかげでもあるのを忘れるな」みたいなことを書いていました。それから、おめでとう、次は日本をめざせ!という書き込みもありました。
亜蘭君続報(カード、命日、そして新聞記事など。長文です。)_e0010856_4523962.jpg

この日はちょうどGCSEの日本語筆記試験の日だったのですが、それを終えてジャパンクラブの部屋にやってきたジラ君。追い出しカードをもらってさっそく亜蘭君へのお祝いカードに、リベンジ(報復)の書き込みです。「亜蘭、傲慢になるな。バカ。おまえはまだしろうとだ。よくやった。」(とこれはそのまま日本語で。)

(私はこういうやりとりを傍で見物させてもらってもう楽しくて、おかしくて、一人で内心、笑いがとまらない日でした。早くブログに書いてこのおかしさを皆さんにお知らせしたいとずっとおもってたんですよ。ホントですってば。)


(6)こういうことが書き込まれた亜蘭君へのお祝いカードを、木曜日の昼休みのジャパンクラブの時間に渡そうと楽しみにしていたのに、なんと亜蘭君はこの日、学校へきていませんでした。前の週もある日突然、腹の虫がわるくて、といって休んでいました。これはムムム、困ったことです。気になって気になった仕方がない思いで帰宅した木曜日、6月24日のことでした。

夕方、C村でメールチェックをしていた時、いつものように軽くフェイスブックに入ってみました。 このフェイスブックというのは、ミクシーみたいな、情報共有サイト、またの名を ソシアルミクシングサイト。登録さえすれば、友だちの友だちの友だちの友だち、つまりどんどんほかの人の個人のサイトを見たり見せたり、メッセージを書いたり、写真を載せたり、のぞいたり、できるサイトです。そして、家にいるときはよく亜蘭君のフェイスブックサイトがオンエアー(接続中)になっていることは多いのですが、この日学校に来なかった亜蘭君がこのフェイスブックの壁紙(つまりみんなが読み書き、できるところ)に、こう書いていたのです。

母さん、やすらかに眠ってね。5年前の今日。
rest in peace, mum, 5 years today :'( ♥

こういうメッセージを壁紙にのせると、ブログのコメントと同じように誰でも何かを書き込むことができるわけです。このコメントに好意(Like 、好きだよ)の意志を表わしたければ、Like をクリックできます。13人の人が Like をクリック、また16人がコメントを残していました。

その中の一人の女性のコメントがまた、心打つものでした。

あなたの美しくて、おかしくて、かしこくて、親切なお母さんのこと、まだよおく覚えていますよ。彼女は本当に本当にすばらしい女性でした。そして亜蘭、あなたのことを可愛がっていましたよ。彼女のために、亜蘭、一生懸命生きてね。彼女はあなたがベストであることをいつも願っていました。あなたが一生懸命生きて、楽しんで、そして親切な人になることをねがっていたのよ。

i still remember your beautiful, funny, clever , kind mum. she was a truly truly wonderful lady, and adored you so much XXX. live hard for her, she wanted the best for you, wanted you to work hard, have fun and be kind.
Thursday at 6:09pm · LikeUnlike · 1 person



(7)ここで突然話が前後するのですが、ある時、亜蘭君のお母さんについて、ひょんなことから話を聞く機会がありました。(長くなりますが)。

毎週火、木曜日の昼休みにやっているジャパンクラブの部屋は、言語棟のL6(エルシックス)とよばれている、LL教室でした。毎年、5,月の試験の季節には、この部屋は、フランス語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語、日本語などのヒヤリング試験の教室になります。全国規模の試験の監督は、学内教員は立ち入り禁止なのです。学外から、試験監督要員として、過去に教員をしていて、退職した人とか、それに順ずる経歴のある人が外部からやってきて、試験監督をすることになっています。

それでも昼休みのクラブはほかに場所がないので、ジャパンクラブはここ、エルシックスの部屋でクラブをやらせてもらっていました。あるとき、クラブのメンバーと試験監督をしている人たちが入れ替わりの時間に顔を合わせることがありました。(5月の中ごろだったかなブログにもちょっと書いたかも、です。)すると、一人の試験監督を受け持つ中年の女性が亜蘭君をみて、ふと。

「アラ、あらん君でしょ。まあ、大きくなったわね。あなたの小さいときのこと、私しってるわよ。覚えてる。あなたは本当にボーイソプラノで歌が上手だったわ。私、前にあなたのお母さんと同じ学校で働いていたのよ。」というのでした。亜蘭君はうろ覚えのようでしたが、小さい頃のことや、お母さんを知っている人に会えてうれしいようでした。午後の授業が始まるので、亜蘭君はすぐ部屋をでなければなりませんでしたが、私は少しだけ時間があったので、その女性に話しかけてみました。

「まあ、じゃあ亜蘭君のお母さんは学校の先生だったんですか?」と。

「そうなの、インファント・スクール(幼稚園)でね。学校中で一番(ベスト)いい先生だったのよ。今でもあの先生を超える人はいないって、みんなが話してるくらい。あのお母さんがなくなった日のこと、よおくおぼえているわ。ものすごく激しい雷が鳴った日だったの。あんなに荒れた天気の日だったから、今でも私、忘れられないわ、亜蘭君のお母さんがなくなった日のことを。」

(8)それが(あしかけ)5年前の6月24日だったんですね。(スピーチでは3年前といってるけど、命日はプラス1だから、5年前ということになるんですか、ね。でもってこの日から彼は母は4年前になくなりました、ということになる。← 一人でナットクしてる私。)

(9)ここで、全然関係ないけど、このブログをはじめたのもちょうど同じ頃でした。2005年6月23日。あついあつい日でした。というわけで、このブログの最初の日の記事を、公開記事に変更することにしようとおもいます。しばらくわけあって、このブログのかなりのページを非公開にしてましたが。


(10)さて、最後にもうひとつ、月曜日に書いたG校上司の一人、デンマーク(!)人の副校長L先生が、その係りだということで、地方新聞社にメールを書き、その返事をコピーメールで読ませてもらったのは昨日(金曜日)の夜のことでした。今週はBの週で、私は金曜日は休みの日でしたが、このメールによると、午前中の10時過ぎに、この新聞記者が学校に来て、亜蘭君にインタビューをしたいとのことでした。この地方新聞は毎週水曜日発行なので、きっと来週の水曜日、なんらかのニュースをここにも載せられるかもしれません。どんな記事になっているのか、興味あります。そして、それが日本語教育の宣伝になるといいな、とおもっています。日本語カップ(N杯)とは、結局、ジャパンとジャパニーズを広める目的で行われていることでしょうから、ねえ。

まだまだこの話は続きます。


亜蘭君続報(カード、命日、そして新聞記事など。長文です。)_e0010856_67312.jpg

Commented by konatum at 2010-06-27 09:02
おはようございます^^
読んでいて、ウルウルとなってしまいました。お母さんがいなくなる・・どんなにどんなに 辛いことだったでしょうね。
私は、小二の時、父がガンでしたカラ、よーくわかります。
でも もし、母だったら、もっともっと さみしかったのでは・と思いますよ。

アラン君とジェリくん、N君とのやり取り、私も おかしくって、プッとなりましたね~^^
Commented by agsmatters05 at 2010-06-27 18:17
小夏さん、長々しいのを全部読んでくださったんですね。、ありがとうございます。そして、コメントも感謝です。え?小夏さんのお父様は小夏さんが8歳のときに?小2といえば、お父様の思い出はいろいろとお持ちのことでしょうね。

亜蘭君のお父さんという方は私には大きな「ミステリー=謎」なんです。一説には、とても陽気で、カラフル(?!)な人だともいわれているんです。それが奥さんを失くされてショックで、飲んだくれみたいになってしまって、仕事もしてない、とか。陽気な一面は亜蘭君からもうかがえるような気がします。でも、お母さんがいないと、毎日の食事とかも、誰が作ってるのかしら、なんてふと気になってしまいます、よね。
子どもは、小さい時ほどお母さんとの距離が大事ですものね。
Commented by Yoshi at 2010-06-28 18:36 x
ミチ様、
 亜蘭君とお友達のひょうひょうとしたやり取りが楽しいですね。また、表面のクールさと裏腹に、亜蘭君の深い悩みが感じられます。
 私は人間の性格とか体質とかで遺伝的要素がいかに大きいかを大変感じています。亜蘭君は、この素晴らしいお母さんの良いところを沢山受け継いでいると思います。男の子は母親に似ることが多いですしね。だからきっと、思春期で屈折していても、素晴らしい大人に成長してくれることと確信します。
Commented by agsmatters05 at 2010-06-29 00:26
Yoshiさん、私もそう願っています。

今日の授業、彼はちとうるさかった、です。ったく、隅に置けない子だーーーーーー(笑)。
by agsmatters05 | 2010-06-27 04:21 | Comments(4)

紅茶国で(元)日本語教師(今もちょっとだけ)。身の回りのいろんなことを気ままにつづっていきます。日本語教育のほかに、イギリス風景、たまには映画や料理や本やニュースや旅や、家族のことなど。

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