2010年 03月 28日
24(水)ロンドン、「ゴドーを待ちながら」
大きな出来事、小さな出来事、いろいろありましたけど、とりあえず、この記事は、この一件。
先週の水曜日(3月24日)に、ロンドンのピカデリーサーカスのそばのシアターロイヤルヘイマーケット(劇場)で、サミュエル・ベケットの往年の話題作「ゴドーを待ちながら』を観てきました。
このブログにコメントをくださる Yoshiさんのサイトは、ロンドンを中心とする観劇記録ブログなのですが、前から見たいと思っていたこの作品が、4月はじめに上演終了となると聞いて、ちょっとあわてて行って来ました。ずっと前にルイママから、ホリデー中にC村でいろいろお手伝いをしてあげた御礼に観劇券をいただいていたので、旅費だけで行ってこれました。

A市の駅からロンドンマリルボーン駅に到着。
地下鉄の写真をたくさん撮ってみました。






ピカデリーサーカスの出口。ジャパンセンターより。
でも、ふるいジャパセンは、完全に閉じられていました。

ピカデリ名物の広告塔。
新しいジャパセンで、生徒に見せる日英語使用の雑誌を買い、2-3個しか入っていない安いすしパックを二つ買い、一路めざすは、シアターロイヤル、ヘイマーケット。


劇場の前ですこし時間つぶしをしてから、中にはいりました。
そして舞台はこんな感じでした。(↓)

学生時代、今から40年ぐらいまえ(!)、寮の先輩、イシハマさん、という方から、ベケットのこの作品について話をきいた記憶がかすかにあります。そして学生時代、授業中、その冗談が楽しくて、机を叩いて大笑いした覚えのあるオダジマユウシ先生からも、ピンターやウエスカーの話といっしょに、ベケットのことも聞いたりしました。
当時としては(今もその名残はあるようですが)かなり前衛的で、不条理を表出した作品として話題になったと思うのですが、たしかに、Yoshiさんが書かれたとおり、軽いノリで笑わせてしまう劇になってしまっていました。あるいは50年の歳月が、そういう変化を生み出したのかなあ、とも思いました。やってこない救い主、神(ゴドーは ゴッドのもじり)を2人の男がじっとまつ、という設定以外たいした筋書きがなくて、登場人物の、いってみればどうでもいいような会話、暇つぶしの会話だけが進行していくといったお芝居なんです、よね。
じゃいこうか、といって動き出さない二人・・・。
これとよく似た話で、I.B.シンカーの短編集をおもいだしました。あるユダヤの男が仕事を探していたところ、ある村で救い主の到来を見つける仕事につくことができた。ところがあまりにも賃金が少ないので雇い主に訴えたところ、、この仕事は永久に失業しないのだから、とまるめ込まれたというエピソード。、
シンガー、なつかしいなあ。私の卒論、シンガー論だったんです。でも忘れてしまいましたけど(^_^)。面白いのは、シンガーも、ベケットも母国を捨てた人だと言うことですね。そして、シンガーは古い、死にかけた言語の残り火をかき起こし、ほぼ死に絶えたポーランドのユダヤ人社会の幻影を呼び覚まして書き、ベケットは、フランス語と英語を使いながらも、全ての装飾を切り落として、裸の荒涼たる世界を作りました。対照的な面と似た面がありますが、彼らの背後は、世界大戦と漂白の文化人の生き様が色濃いです。Yoshi
私は文学を離れて社会科学(教育)の分野に移りました。統計とかリサーチとかちょっと面白いと思ったりしました。でもやっぱり出身は文学畑で、何をやってもそこへ帰っていかざるを得ないとおもったりします。
貴女と一緒に歩いている感じになりました。
ながいながいエスカレーターですね。かなり地下にもぐるのね!
東京も凄く深いところにある地下鉄に最近乗ったんです。何処も同じね!
ふだんのC村の写真とは大違い。緑が一本もないでしょ。これが大都会なんよね。たまには、変化を楽しんでもらえたら、なによりでした。


