2010年 03月 06日
ひな祭りのハプニング(その2)
さて当ブログの作者 dekoboko (マデレン) ミチ を名のりおります私は、甲斐の国の4人姉妹の三女として生まれ育ちました。4人姉妹ですよ、4人姉妹。そう、あの「若草物語」の、「細雪」の。
ここでネットサーフィン。「四人姉妹」をググッてみました。うーん、あるところには、あるもんですね。
そのなかのひとつ、大阪の電話占い会社(?)のミスティーラインとかいうブログにも、書いてありました。4人姉妹なのに雛人形を買ってもらえなかった話。大阪と甲州ではずいぶん離れているけど、私とよく似た話だと思いました。
子どものころ、5段飾りや7段飾りのような雛飾りは家にはありませんでした。母が酒粕で作った甘酒と、桃の花はふんだんにありましたっ!。なにしろ、「桃の里いちのみや」、という名前で呼ばれるほどの桃の産地でしたから。
ま、家は貧しくて、雛飾りや着物(和服)は娘ら4人に買ってやれない。その代わり4人とも大学、短大まで卒業させてやる。4人の娘を4人とも学校教員にした、というのは、村の寄合いの席でのちょっとした父親の自慢話になったかもしれません。一番上の姉は体育の教師、真ん中の2人は英語教員、そして4番目の妹は小学校の音楽の先生になりました。
なにしろ60年以上前の田舎の農家の話ですよ。いくら地主(土地持ち)だったとはいえ、日本全体が現金収入の少ない時代でしたから。子どものころの貧しさを体験した思い出は、学校で友達があたらしい漫画雑誌(なかよし、とか)を買ってもらっても、家ではこれを買ってもらえなかったとき、そしてお弁当のおかずがいつも玉子焼きだけで、となりの腕白坊主が「こいつの弁当はいつも玉子焼きばっかりだぞ」なんて言っていたこと。フン、余計なお世話だこと、という思いもありました。あのウブで一途だった小、中学生のころのミッちゃん。人の弁当箱なんかのぞいたこともなかったです。隣の男の子が私の弁当のおかずをひんぱんに観察していただなんて、ビックリでした。もちろん、気が引けて、ちょっぴりへこんだこともたしかでした。今でもこのことを覚えているぐらいですから。
いったい、何の話をしようとしているんでしたっけ?そうそう、ひな祭りでしたね。
それでも、娘を産んで育てるという事態になったら、やっぱりひと並み、世間並みに、とついつい、雛飾りも買ってしまい、3月3日にはお節句の真似事もせずにはおれませんでしたねえ。そしてあの、日本人なら誰もが知っているあの歌、サトウハチローさんの作詞なんですって。♪きょ~うはうれしいひなまつり~♪
ハーフタームのお休み中に、YouTubeでこの歌を検索したら、あるわあるわ、たくさんでてきました。
ルイちゃんとルイ・シスがすごく気に入ったのはこれ(↓)でした。
ミニモにひな祭り
そのほか、3月3日の直前になってネット・サーチをしていたら、いろんなYouTubeの、この曲がゲットできました。それやこれやで間際になると、やるからにはちらし寿司も作ろう、雛飾りの写真も集めてあれこれ生徒に見せよう、と次第にエスカレートしてしまいました。
3月1日(日曜日)、2日(月曜日)、買い物もいっぱいして、パワーポイントファイルに情報をいっぱい盛り込んで、いかに50分ですべての行事を納めるか、生徒に見せる写真を減らし、説明を減らし、折り紙の雛人形も一番かんたなのにして、もうこれでだいじょうぶ、何とかなるわ、と思って寝床に入った火曜日(2日)の夜(朝3時ごろ)でした。
3日水曜日、いつもなら家でのんびりする仕事オフの日ですが、9時ごろから起きてお米を5合を2度炊き、その間、人参、冷凍コーン、冷凍グリーンピース、冷凍シュリンプ(こえび)。それから玉子焼き(10個)、寿司酢をつくり、酒粕から甘酒を5リットル作り、紅しょうが、ゴマ、念のため細まきにするかも、とアスパラもゆで、きゅうりと人参の細切りも用意して・・・とそれはそれは水曜日の朝は張り切ったことでした。
あんまり張り切りすぎて、実はあまりいい写真が取れませんでした。大急ぎで、サランラップの上から1-2枚撮ったものしかカメラに入ってなくてがっかり。




というわけで、H女子校の昼休みは1時半。会場準備もしておかなくては、ということで12時ちょっとすぎにはC村を出て、学校には1時間前にはついていました。
そこでわかったこと。
(1)教室は1時半まで授業をしているので、それまでは中に入れない。
(2)生徒は昼ごはんを食べる必要もあるので、スタートは一時40分にする。
(3)今日の参加者は、幾人かキャンセルがでて、おそらく20人ちょっとになる予定、というようなことでした。
待っている間に、言語学科のイザベルさんの部屋を借りて、学科長(今日は出張で不在)のPCを借りて、最後のパワーポイントファイルの調整をやってみました。このプレゼンテーションファイルが今日のメインなのですから。
そして1時半。午前の授業の終わるベルがなりました。
これから、今日の会場となる教室L2の部屋に移動です。
たくさんのお寿司、ひなあられ、そして甘酒5リットル、紙カップ、折り紙、配布予定の説明書、もろもろの道具をいくつもの袋やお盆で、イザベルさんと2人で運んでいきました。
教室にはいると、数人の生徒達が席について、今日の行事は何があるのかと待ってくれていました。
準備することはたくさんあったので、生徒の一人に、PCをスイッチオンして、プロジェクターにパワーポイントファイルを見せる準備をたのみました。そして、私は教室隅のテーブルに御寿司の大皿を並べたり、折り紙を配ったり、折り紙の説明書を配ったり、ひなまつりの唄の歌詞を書いて、英訳をしたプリントを配ったり、これはこれでおおいそがしでした。かれこれ時計はすでに1じ45分近くになっていました。今すぐ初めてもあと、45分しかないのです。
するとそのとき・・・・これがハプニングの前兆でした。(その3に続く)
ハプニングがあったんですか~~
興味津々(野次馬)
で、これから 始まるハプニング、気になります。
ミチさん、地主さまのお嬢さんだったんですね~。
お名前からして、そんな感じはしてましたけど、ね。
その頃の日本、全部が そんな感じだったんじゃあないですかね。
兄たちの写真見ると、女の子も黒い靴もありますし、卵って すごいごちそう・かもですよ^^
あれは小学生の高学年だったように覚えています。
あの時代は貧富に差が余りに有ったように覚えています。
クラスに2~3人だけ、分限者の子供が居ました。その家に招かれました。
一人や二人ではなかったです。大勢で祝ったこと覚えています。
数年前、同窓会で会いました。私と同じでした。全く一緒でした。
でも、あの頃はとっても雲の上の人で、全く別の世界の人だったように覚えています。
あの頃の貧しいお話を、今頃になって酒の肴に話しますが、誰も共通した思い出を持っています。日本国中貧しかった時代ですね!
そう、昔(半世紀前)て、世の中でお金がありあまってる人ってそんなに多くなかったですよね。貧しいなりに、農家は畑の大地の実りがあって、果物なんか毎日お腹いっぱい食べてたし、卵も自家製でしたからねえ。ひがみ根性が鬱積してるなんてことはないです。でも、自分の雛人形や着物を持ってない、というのはあまり自慢にはなりませんものね。おとなしくしとこうと思うのはこんな時ですな(:D)。
分限者の家のおひな祭りにご招待された思い出があるのですね。よかったじゃないですか。私にはないっす、よ(笑)。でも本当にふるさとの桃はみごとなんです。お雛様なんかなくても幸せを感じられる美しい桃色の大地の景色なんです。甲府盆地の一角がすべて桃色の絨毯をしきつめたようになるんですからね。そうだ、今度ネットで写真でも探してくることにしましょう。
それでは、その(3)の投稿欄へ移りまーす。


