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紅茶国C村の日々

写真でつづるトルコ紀行(19)ドルマ・バフチェ宮殿

「白い大理石がまぶしい壮麗な宮殿、ドルマ・バフチェ宮殿(=サラユ)
オスマン朝スルタンの最後の居城として、共和国の父アタチュルクの執務場所として有名な、まばゆいばかりの宮殿。
(「歩き方」P.140、より。)

グーグル翻訳のサイトによれば、ドルマは泉、噴水、または、詰め物などの意味。バフチェは庭のこと。だから、ドルマ・バフチェというのは、「噴水庭園」 という意味、か。

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イスタンブール最終日(1月6日、日曜日)最初のお目当てはここ (↑↓) でした。どちらも入り口に行列ができているのが、見えますか?
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ホテルの朝ご飯を食べて、電車(トラム)に乗って、ガラタ橋を渡り、着いたのは11時ごろだったかな。ここの入場料はしっかりと10ポンド=30トルコリラぐらいしたんじゃなかったか、な。イスタンブールの博物館、美術館などの入場料はけっこういい値段。ロンドンに負けてない感じ(笑)。

でもって、入り口近くの現金自動引き落とし小屋(!?)に寄って最後の引き落とし。約100ポンド=14000円=280トルコリラ。いざ、軍資金を用意したら、同行人一名、お腹がすいただって。さっきホテルで朝ご飯を食べたばっかりなのに。
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日曜日の朝11時半ごろって、ここはこんなに混み合う場所なのか。
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メグの注文したのは、これ(↑)でした。 人呼んで「トルコ風ラヴィオリ」とか。うどん粉をこねて小さく切って、ゆでたものに、ここではヨーグルトをかけたようなもの、といってもよさそうなもの。おっとっと、食べ物の写真は別記事にする予定だったのに、ついつい調子に乗って、羽目をはずしてしまった。

食べ終わった後、宮殿に向かった。
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さっさと先へ行くメグのあと、こんな(↓)風景もあったっけ。
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でもって、入り口の長い行列。この宮殿は、ツアー形式で、30~50人がまとまって一人のガイドさんについて中をまわるようになっていた。そして、ほとんどの内部が写真禁止。残念。
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だから、上の写真もこれ以下の写真もすべて建物外観ばかり。すみません。
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この宮殿は、1843年から10年以上かけて、31代目のスルタンが建てたって。
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でもって、この宮殿を見て、なにがよかったかというと、写真に取れなかったけど、ガイドさんの説明が面白くて、分かりやすくて、よかった。全部英語だったけど、トルコ語しか通じない不自由さのあとで英語のガイドさんだったから。
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この宮殿の中には、部屋が285室、広間も43室あり、男のみ入れる部分と、男子禁制のハレムと二つの部分に分かれているって。
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儀式の間の巨大なシャンデリア、イギリスから購入したものだって。重さ4.5トン、750のキャンドルが灯されるものだと。この頃(19世紀中ごろ)はヨーロッパの列強がトルコ(オスマン朝末期)の富と権力にいそいそとなびき、何とか甘い汁を吸えないものかとやきもきしていた頃ではなかったろうか。
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1922年、ここの住んでいたオスマン朝最後のスルタン(皇帝)がイギリスの軍艦でギリシアに身を託すべく、この宮殿をあとにしたそうな。そしてアタチュルクがトルコ共和国の独立を宣言したあと、彼自身もイスタンブールに来たら、ここのハレムの中の執務室を使い、ここに寝泊りした、とか。そしてアタチュルクの亡くなった部屋がそのままに残されていた。といっても大きな宮殿のなかで意外と小さい部屋だった。ベッドは赤いトルコの大きい国旗がベッドカバーのようになっておおわれていた。
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ガイドさんの話では、オスマン朝36代のスルタンたちはトルコ各地に宮殿があったそうだ。トプカプ宮殿とドルマ・バフチェだけがスルタンの宮殿じゃなくて、各地にいろいろな宮殿を建てて住んでいたって。そしてアタチュルクの建国宣言以来、トルコはイスラム教の国家でありながら、一夫一婦制をとり、一夫多妻を禁じている国だそうな。
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上は 出口のちょっと手前にある、みごとなギフトショップで撮ったもの。

ドルマ・バフチェ。---中味が写真に映せなくて残念。とても充実した見学ができた、気がする。
Commented by 異邦人 at 2013-02-07 20:43 x
~☆ dekobokoミチ さんへ ☆~
ご無沙汰しました。スキーに行ってました。
だいぶブログアップ進んでいますね。
トルコは歴史もあって宮殿なども沢山残っているんですね。
Commented by agsmatters05 at 2013-02-08 07:37
異邦人さん、
スキーの記事を拝見してきました。いいですねえ。たくさん滑ったそうですね。さぞかし気分爽快だったことでしょう。こちらはトルコのブログがまだ続いていて、日常からかけ離れてしまっていますが、もうしばらく書きたいことが続いていまーす。
by agsmatters05 | 2013-02-07 03:50 | Comments(2)

紅茶国で(元)日本語教師(今もちょっとだけ)。身の回りのいろんなことを気ままにつづっていきます。日本語教育のほかに、イギリス風景、たまには映画や料理や本やニュースや旅や、家族のことなど。

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