IE9ピン留め

アーモンドケーキ、アイリッシュシチュー、そば。

月が替わる前に、たてつづけに記事を更新しておこうとおもったものの、もう2月に入ってしまいました。

料理記事。とりためておいた写真から、です。

その一、アーモンドケーキ。

私のブログに無断リンク(すみません)させてもらってる二つの記事から、いつかぜひ作ってみたいとおもっていた「アーモンド・ケーキ」。「世界で一番かんたんに作れるケーキ」という触れ込み付きです。

ほんとうにカンタンでした。材料を混ぜて焼くだけ。
(レシピーはこちら。「イギリス ウエールズの自然なくらし」というブログを書いていらっしゃる eithbed  さん。ハンドルネームを探していたら、草仏教のマーヒーさんが初コメなさっておられました。わたし、ご挨拶をしないといけないのでしょうか。隠れ読者って、ネットの世界では大多数なのではないかと思って、ご挨拶を怠っている私です。(本音ー読み逃げは気軽で楽しい。)

でもって、その記事をごらんになった asydney11 さんの、こちらの記事も、同じレシピーを掲載されてました。「犬とご飯と雑貨」というブログです。

アーモン・プードルが アーモンド・バウダーと同じだと知り、ようやくお店から買ってこれたのは、グラウンド・アーモンド。甜菜糖というのも無かったし、レモン半分の皮をすりおろしたもの、というも手元に無くて、普通のオレンジの皮を小さく切り刻んで入れてみました。それにシナモンとバニラエッセンスはどちらか、と書いてあったけど、両方入れちゃった。

しかも、バリエーションもいいとこ。ちょうど手元にあったすり鉢茶の緑茶(かなり細かくすりおろしたもの)も入れて、抹茶アーモンドケーキとしてしまいました。お砂糖も分量の半分ぐらいの量にしてしまいました。あまり甘くないので、大きめの切れ目にして、食べたりしています。(ま、一応、初回の試みとしては、成功したような気がします。バターなどの油脂類は一切使っていません。

その二、ベニシアさんのアイリッシュ・シチュー



これは、二人目の男の子を産んだ山梨の姪が、最近内祝いにと送ってくれた品物のなかに、京都在住のベニシアさんのテレビ番組を録画したDVDが入っていて、その番組「猫のしっぽ、カエルの手」を見てさっそく作ってみました。ベーコンのかたまり、約700グラムぐらいを使いましたけど、白い脂身は全部取り除き、灰汁(あく)取りをていねいにしたので、とてもおいしく出来ました。でもね、これも、応用を利かせて、大麦など手元に無いものはいれず、しかも白インゲンのような大きなマメの缶詰を入れたりしました。パセリも無かったので、ブロッコリーにしたりして。

その三、そば

写真はどうってことのない、ふつうのそばですが、ここに載せた理由は、このそばのタレにあります。


今はもう一昨年(おととし)のことになってしまいましたが、2010年10月に5日間の日本帰国旅行をしたとき、東京の「四女の、余裕の、車に酔ってばかりの、よっちゃん」が教えてくれた自家製のタレ。ここで紹介させてもらいます。 ダシ2カップ、味醂半カップ、醤油半カップ、そしてお酒60CCを全部まとめて沸騰させるだけ、というタレです。よっちゃんが、いろいろためしたけど、これが一番おいしいタレの分量だといってくれたので、あのときからめん類のタレを作るときはこればっかり、です。「も〇や」、とか「し〇や」とかの、めんつゆの既製品を買ってこなくても、醤油と味醂とお酒とダシの素さえあれば、バッチリ。残ったタレは煮物にも使えるし、丼ものにもOK.おいしいですよ。どうぞお試しください。





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以上で、食べ物記事はおわり、月曜日(30日)の出来事を追加しておこう、かな。。。。

今週はAの週なので、月曜日は放課後の3時45分から授業があるだけ。でも、生徒の勉強はいくら時間があっても足りないので、これから月曜の昼休み時間(1時半から2時半)に、個別のスピーキングテストの練習をしてあげると言ってみました。最初に名乗りをあげたのがJ君。前の週の金曜日にも念を押して、週明けの月曜日昼休みの1時半に学校の正面玄関で会おうね、正面玄関に来てね。といって別れたのでした。

そして月曜日、わざわざ早くから出かけて、正面玄関で待てど暮らせどJ君はあらわれず・・・

正面玄関を離れて、校内を探し回ると、入れ違いになるかも知れず、ほんとうにやきもきさせられました。それでも2度ほど校内を探し回り、けっきょく見つからず。玄関の受付係に伝言をたのんで、スタッフルームのコンピューターの前に座ったのは、午後の授業が始まる10分前ぐらいでした。

よって、講堂の壁に貼ってあった生徒の作品の一つ。

なんとも強烈な表情だこと。

J君にすっぽされなかったら、この写真(↑)をここに載せることも無かったかも、です。(笑)


J君はちょっとのんびりや。悪気があったわけではないのはわかるけど、先生との約束をすっぽかすなんて、ノーテンキもいいとこ。昼休みが終わる予鈴が鳴った2時25分ごろやってきて、もちろんヒラアヤマリしてました、けど・・・。

# by agsmatters05 | 2012-02-01 21:26 | Trackback | Comments(0) 

映画「アーティス」ト と 「ディセンダント」

見ました。両方とも。

「アーティスト」 白黒、サイレント という時代を超えた表現方法。でもこれが実にいい!
おすすめです。アカデミー賞をあげる価値あり、です。

それにくらべて、

こちら(↑)は、前評判がなさけなくなるほどの、どうってことのない作品なのです。

なんでアカデミー賞候補にたくさんノミネートされたのか、まったく分かりません。
映画会社の策略、ストラテジーなのでしょうか。

ジョージ・クルー二ーは ダイコン。
顔は男前かもしれないけど、この映画のどこで役者らしいところをみせてくれたか。全然なのです。

ブーブー、です。
顔だけで判断しちゃいけない。
若い(特に女性の)映画ファンに言いたいです。

覚えるせりふの長さだけとっても、この映画のクルーニーは周りの脇役に負けてるんです。

さて、アイロンレイディー、ウォーホース、アーティスト、ディセンダント・・・
見る価値があるのは、やっぱり最初の三つです。
最初の三つは、どれもよく出来ている映画です。

以上、にわかコメンテーター・ミチの一言映画メモでした。

# by agsmatters05 | 2012-01-31 07:29 | Trackback | Comments(2) 

スワンホテル、ゴアリング、ビートル&ウエッジのこと。その2

先週末を過ごしたテームズ川沿いのゴアリングという小さくて上品な街にはちょっとした思い出があります。

かれこれ10年前のことだから、書いてしまいましょう。メグ14~5歳の頃。
まだイギリスに来たばっかりのとき、ミルトンキーンズの寄宿学校が休みになるとホームステイ先を探さなければならず、この地に住んでいた友人のT&Nさん宅にホームステイさせてもらったのでした。


慣れるまではたいへんだったよね、メグちゃん。

あれから、10年。 その間、T&Nさんの二人がめでたく結婚して、パーティー会場に選んだのが、このビートル&ウエッジというボートハウスを改造したレストラン。

ハハ、これは、そこのトイレの壁飾り。だって、ちょっとすてきだったんだもん。


土曜日のランチ。

パンとオリーブは全てのテーブルにおいてあります。つまり、料金以外ってこと。このオリーブをみると、四女の、余裕の、車に酔ってばかりの、よっちゃん(マイ・シスター)が、テスコで「安い安い」を連発していたのを思い出さずにはいられません(笑)。東京では高いのか、な。

これは、イカとホタテ貝と、白身の魚(たらだったかな)などのタイ風スープ煮。ホタテ貝の貝柱はとろけるような柔らかさでした。タイ風でも、辛味はほどほどで、久しぶりに料理を堪能できました。

これ(↑)がつけあわせで、ポテトの千切りを焼いたものと、インゲンの炒めたもの。どちらも美味でした。

おいしい昼ご飯のあと、タクシーでホテルに帰り、午後からはこんな具合。(↓)


全部で12ぐらいのテーブルをつかいましたから、12X4=48。約50人ぐらいの参加者による、コントラクト・ブリッジ試合。

たかがトランプといっても、勝負ごとですから、楽しいばかりじゃないんです。ため息と、迷いと、後悔と、賭けにでる挑戦的な心理と・・・。「負けて口惜しい花一匁(いちもんめ)」の連続です。

ここでまた私は濃いお化粧をした金髪のレイディーから、「あなたチャイニーズでしょ。プレシジョンを知らないの?」と言われてしまいました。プレシジョンというのは、このゲームの勝負を左右するオークションの方法です。ほんの駆け出しの私にそんなこと分かるはずありません。ムキになって言いました。「アイム ノット チャイニーズ、 アイム ジャパニーズ。」と。

ま、どっちでもいいんですわ、そんなこと。

これ(↑)が今回の賞品だったのですが、けっきょく何ももらえませんでした。まだまだ修行が足りないのです。

その名も、「スワン・ホテル」。四つ星でしたけど、料理はあまりいただけなかった。生野菜など3日間でほとんどゼロ。シェフにお説教をしてやりたくなりました。


二泊三日で約28000円の「ブリッジホリデー」でした。ブリストルにある、「エクセル」という会社のアンドルーさんがディレクターでした。


去年の夏以来、チャンスが来るのを待っていたブリッジホリデー。いろんな理由で、なかなかチャンスに恵まれなくて、ようやく行ってこれました。戦果はたいしたことないけど、ちょっとした息抜きにはなりました。

また(しめてないけど)フンドシをしめなおして、じゃなくて、心を引き締めて、いざ、教室へむかわなければ・・・

# by agsmatters05 | 2012-01-31 07:05 | Trackback | Comments(0) 

スワンホテル・ゴアリング、ビートルアンドウエッジなど。

週末にちょっと出かけてきました。
行く先は スワンホテル、ゴアリング、ビートルアンドウエッジなど、バークシャー・カントリー・

景色ばっかりバチバチ、バシャバシャ と デジカメをとりまくりました。かれこれ200枚ほど、入ってました。あまり説明することはないとおもうのですが、今回は、写真中心記事でいきます。

とりあえず、スワン(白鳥)ばかり、どうぞ。





















白鳥(スワン)は、フォトジェニックというか、写真映えがする、というか、どんな撮り方をしても、さまになってくれて、やっぱり「かっこいい」鳥だという気がします。そして、この白鳥がイギリスではむかし国王の所有物として、食用に確保されていた歴史があるらしく、今でも儀式的に、テームズ河の白鳥の所有権を誇示する(!?)儀式がのこっている、のだとか(!?) こちら のウエブサイトにも書いてありました。

# by agsmatters05 | 2012-01-27 10:14 | Trackback | Comments(2) 

あわやの大惨事

1月19日(木曜日)のこと。

紅茶国のジャパニーズ・ティーチャー・ミチの時間割はフルタイムの人の約四分の一。一日の授業は5時間で、一週間は5日間なので、5X5=25 という数字が、一応フルタイムの人の就業時間となっていて、給与計算の基本となります。しかも時間割は2週間単位で作られているので、25X2=50時間が全体。その四分の一、ということは、2週間で、50 ÷ 4 =12.5 。 これをまた半分にすると一週間の授業時間数がでてきます。つまり、6~7時間。(Aの週は6時間、Bの週は7時間ということ。)

いつもの回りくどい話をしております。

なにを言いたいかというと、昨日の木曜日。G男子校の授業は朝1時間目11年生(ハイ君のクラス)だけだったのです。でも、9時10分から10時10分まで この授業をしたあと、13時30分の昼休み時間がくるまで、フリータイム。そして、1時半から2時半まで、木曜日なので、ジャパンクラブをし、そのあとまた休んで、放課後3時45分から5時まで、H女子校で75分の授業。ヒマをもてあました、といいたいのではありません。空き時間がいっぱいあっても、とってもいそがしかったのです。こまごま野暮用をして、採点をして、後々の授業の教材を用意して、コピーして、メールなどをチェックしていると、ほんとうに空き時間でもあっという間に過ぎてしまいます。

そういう日常の中で、よかったこと、悪かったこと、小さな出来事を数え上げれば、細かいことがいっぱい出てきます。

でもって、早い話が二つのことだけメモっておきたかったのです。

(1) ハイ君の授業。漢字をいっぱい勉強させた。過去の問題から漢字を抜き出したものを渡して、その意味と読み方をかきこませた。過去問はかれこれ15年分ぐらい集まっているので、漢字の意味と読みを問う問題だけでも相当な量になる。だからとても1時間で全部はやりきれなかったけど、一応ハイ君のそばにぴたっとくっついて、気持ちがふらふらしないように、マークしておいた。よって、彼のこの日の学びは及第点を挙げてもいいものではなかったか、とおもう。

(2)ところが、このちょっとしたいい出来事に気をよくして過ごした午前中はあっという間に過ぎて、昼休みのジャパンクラブ。かれこれ20人以上集まってきた。日本語を勉強してごほうびシールをもらいたい子と、日本のアニメDVDを見たい子と2種類。けっきょくこの日は、マシュー君が持ってきたアニメ漫画DVDの「デスノート」が優勢となり、途中からけっこうみんな見はまっていた。そのまま気分よく昼休みが終わっていたらどんなによかったか。

14時25分に予鈴が鳴り、14時30分には、2度目の本鈴が鳴る。そのときには生徒は全員、それぞれが勉強する科目の教室(または、そのドアの前)にならんでいないといけないことになっている。クラブを解散するのは、本来なら、予鈴の前にしたほうがいい。ところが、DVDなどに見はまるとどうしてもぎりぎりまでPCをオフにしようとしない生徒達。(PC操作は自分たちででするから。)

このパーソナル・コンピューター(ラップトップ),去年G校のPC(これは、仮名。でも ピーター・カートライトといえば、つまり本物のイニシアルが PC という コンピューター室のマネージャーの名前。笑)が私に貸与してくれたヒューレットパッカード製の新品。(たのんでなかったけど、私のPCが起動に異常に時間がかかるというので、ほかの人のPCと比べていちじるしく性能が劣ると判断されたもよう。いくら頼んで文句を言ってもやってもらえないのが普通のこのクニで、これはほんとうに珍しく、ありがたい、ことでした。ちなみに、この学校では職員全員が一人一台ずつラップトップを貸与されている。)

ああ、まわりくどい文章におつきあいくださっている読者さま。もう一息です。

さてクラブの部屋は S1(エスワン)というサイエンス棟の一号室。本鈴がなると、5時間目の授業がはじまるので、この教室も明け渡さないといけないのです。そこでおおあわて、大急ぎで、クラブの道具をたくさんつめたカバンと、PCのカバンを整理(これを英語で パックアップ というんですが)して、教室を出ようとしたそのとき、右手も左手もカバンを持って、ヒューレットパッカードのラップトップのケースの長いひもを肩にかけていざでかけよう、と一歩踏み出したそのとたん。。。。。

これが、今日のタイトル、「あわやの大惨事」の中味なのです。

机の上においてあったラップトップのケースの長い紐を肩にさっとかけて、いざ出かけようと一歩踏み出したとたん、

ガラガラガッシャッシャーン!!!


こんなこと、クイズにしたって、面白くもなんとも無いですよね、読者さま。

勘のいい方はもうおわかりでしょう。

ラップトップのケースのファスナーが締まってなかったのです。

ラップトップは、私の肩にかけたケースから固いタイルの床の上にガッシャンシャーンと、ド派手に落下してしまったのでした。

すぐそのあとで調べました。まだ動くかどうか。

ええ、一応、まだ使えるみたいです。

でもでも・・・・。

あわやの大惨事でした。

これ、買って弁償せよ、なんていわれたら、400か500ポンド(感覚的には10万円ぐらい???)の大損害となっていたと思うのです。

C村に帰ってきて、もう一度、PCの痛み具合を調べてみました。

こんな感じでした(↓)。


フロント部分がポッカリ・・・・・


右端、コーナーがグンニャリ・・・・


問題のカバン(↑)。

トシをとるとこういうことが増えてくる?って、トシのせいにしてはいけません、よね。あわてるのが、いけない。それともいっそ、ラップトップは、こういうケースに入れないで、普通の袋にいれたほうがいいのかも、ですね。このカバン、すごく重いんです。プロジェクターやスピーカーにつなぐコードが、行く先々の教室にないときのために、念のためにいくつもいっぱい入れてあるメッシュの袋がカバンのポケットに常時入れてあるので、ラップトップだけの重さより、よっぽど重量が増している。ああああ、気をつけないと、私・・・・。

# by agsmatters05 | 2012-01-24 06:53 | Trackback | Comments(0) 

火、木の昼休みは「クラブ」

9年来、一応ボランティアで続けてきた 「ジャパン・クラブ」。毎週火曜と木曜の昼休み(13:30 - 14:30) の1時間は、ジャパン・クラブをしています。

最近は7年生と8年生が集まってきます。てんでんバラバラに、好き勝手なことをする、というのがこのクラブの方針。一応、日本語を勉強したい子には、とくにひらがな、カタカナなどのワークシートをわたし、これこれを仕上げたら、ごほうびシール3枚上げるとか、5枚上げるとか、フィッシング(笑)。ほかには、折り紙をする子、コンピューターでDVDを見る子など。

最近は、日本関連のDVDを持参する子もいて、いっそ大きな階段教室で、本格的にフィルムを見ようか、って話になってきました。

それで、17日の火曜日には、7年生の一人が持ってきたDVD 「ナルト」をみんなで見ました。忍者もの。けっこう海外でよく知られた作品みたいです。


観客はおよそ30人。低学年の子達が多かったです。いつものクラブに集まる人数の倍ぐらい集合。なぜなら、この日の朝、クラスごとにある集会(アセンブリーと呼ばれる朝礼)で、全校生徒に伝えてもらったから。これも、前の日までに所定の用紙に連絡してほしいことを記入しておかないといけないのです。なにかコトをおこすのは、たいへんだ。でも何もしないでいるより、こういう風に ジャパンを少しでもアピールするほうがいいに決まってる。(あと何年続くかわからへんけど。)



この階段教室を使うためには、前もってブッキング(予約)しておかないといけないのです。しかも、この教室でDVDを操作するのは、コンピューターオフィスに前もって書類を書いて、係りの人にやってもらわないといけないのです。いろいろ面倒もありましたが、いったん準備が整うと、DVD上映会は、(いい映画なら)楽しめます。

17,24,31の火曜日3回、階段教室を予約しました。でも、ナルトより、「三丁目の夕日」をまた上映したいなあ、と切に思っているところ、です。

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ところで、まったく話かわりますが、私のことを「C村のタイ人」と呼んでくれた人が所有している近所のおうちの写真を撮らせていただきました。

なぜかというと、めずらしいわらぶき屋根の葺き替えをしていたから、です。
けっこうこういう、わら吹き屋根は、紅茶の国でも多いのです。

子供のとき、甲斐の国一宮にある生家のわらぶき屋根のために、ときどき職人さんたちが大勢来て、葺き替えをしていたので、私は、わらふきやねって日本独特のものと思いこんでいたのですが、ここにきて、そうじゃなかったのね・・・と思うようになりました。

そういえば、C村にいても「わらふきやね」はけっこうたくさんお目にかかります。

家の中はおそらく、ふつうの洋間だろうとおもうのですが。

何日間続く仕事か分かりませんが、職人さんたちが最初に運び込んできたのが、簡易トイレだったのでした。(笑)ここらへんは、洋の東西、同じでしょうか。

# by agsmatters05 | 2012-01-19 19:52 | Trackback | Comments(2) 

War Horse 戦馬、軍馬、騎馬



スティーブン・スピルバーグ監督の映画、「ウォーホース」。おととい(14日、土曜日)見てきました。

試写会で、ウイリアム&ケイト、ケンブリッジ公爵、公爵夫人も見にいかれたという映画です。今年は英国の女王即位60周年記念の年で、お祝い事がいろいろありそうですが、こちらの女王のお馬好きも相当なもののようです。昨日のタイムズの新聞の別冊に載っていた、若き女王の乗馬写真って、相当なものです。

でも、私にとって、この映画が特別なものになった理由の一つは、原著者が マイケル・モーパーゴ という人で、この人の別の作品を読んだことがあり、その中に、私の本名が使われていて、(もちろん男の登場人物の名前になっていましたけどね、(笑)。ーあっとすみません、当ブログの作者の本名をまだ知らない方はどうか素通りして、無視して、お見逃しくださいますように。)。これについては、去年の7月のこちらの記事に一部、関連事項を書きました。「猫のプリンス、カスパー」という黒猫の話です。この本では、タイタニック号遭難の話が題材になっているのですが、そこにでてくる日本人乗客の一人が日本人男性なのですが、何を隠そう私の名前になっていまして、、、

その後、この作者にちょっとばかし注目しておりましたところ、このほど、こういう形でまたモーパーゴに関わることが出来て、うれしいです。

映画はやっぱりスピルバーグですから、英独間の戦争を扱っていますが、相当迫力があります。ETどころじゃなくて、ほとんど実写。おそらくCGは使ってないと思われます。フィクションはフィクションだとしても、なかなかいいストーリーだとおもいました。涙を絞らされた観客も多かったことでしょう。146分という長い作品でしたが、これが2時間前後になっていても、よかったような。

それで、次の日の、昨日(15日)日曜日、C村の散歩ちゅう、ジョーイ(これが映画にでてくる馬の名前)によく似た ホーシーちゃん(仮名)の写真を撮らせてもらいました。(ので、どうぞ。)


昨日あたりからようやく冬だなあという感じの気温になってきました。

大地の霜が一日中とけませんでしたから。



そのほか、夕方4時半ごろのC村の空。

飛行機雲がきれいでした。

そして、寒い暗い季節には、ちょっとだけでも灯りがあると、つい近寄りたくなってしまうものです。

単なる道端の街灯を撮っただけでしたが・・・。


というわけで、また1週間が始まりました。
11年生の模擬試験が終わり、これからは、全クラス開業となります。2月の半ばまで生徒らとのバトルを続けなければなりません。

テレビでちょっと前、イートン校の校長のインタビュー番組を見たのですが、「教育で一番大事なことは?」と聞かれて、彼、こう言ってました。「愛と喜び love and joy 」だって。

どんなに厳しく鞭で生徒らをしごこうとしても、愛が無ければ鞭の効果はうまれないのでしょう。
授業の準備や採点や整理が面倒だなあ、と思うよりも、楽しくて、楽しくて、・・・という風に喜びいさんでやっていたら、長い時間も長く感じないですむ、ということもあるのでしょう。

明日、また ハイ君にあうのですが、どんな顔してやってくることか・・・。
私はどんな顔をして、教室に入っていけばいいのか、、、。

# by agsmatters05 | 2012-01-17 17:28 | Trackback | Comments(0) 

女、女、女

(1)マーガレット・サッチャー
先週末、この(↓)映画を見てきました。


マーガレット・サッチャー女史
(←をクリックすると、ウイキペディア英語画面に飛びます。左側の日本語というところをクリックしてください。面白い。)を描いた作品、「鉄の女」。(日本では、「鉄の女の涙」というタイトルになってるみたいですね。メリル・ストリープの演技は、すごかったです。演技力というか、役になりきるエネルギーがみなぎっていて、圧倒されます。アカデミー賞の呼び声が高いのは、容易にうなづけます。

ただし、映画は、サッチャーさんの忠実な伝記というようなものではなくて、晩年の彼女に焦点をあてて、彼女の過去の偉業を回想させる形でした。まだ生きているマーガレットさん(マギー)が、どの程度[認知症」を患っておられるのかは、直接の親戚、友人、知人でないかぎり、はかり知れないのですが、もう87歳ですから、寝たきりでもおかしくないのでは、とおもいました。2008年に娘のキャロルさんが、夫(デニス)の死もおぼつかなくなってきたということをメディアに伝えたようなので、それから4年もたっている今、おそらくご本人はこの映画を見ることもない???

サッチャーさんが、保守王国=男性社会の最たる国、英国で、歴史上初めての女性党首、女性首相になって、しかも総選挙を3度も勝ち取ったということは、誰もが驚きをともなって語る歴史的偉業だとおもいます。そして彼女は、女として生まれてそれを『バネ』『テコ』(?)にして、これだけの偉業を成し遂げたといっても間違ってはいないと思うのです。「女だからできた」のではなくて、「女なのにできた」あるいは「女でも」というほうが正確だと思われます。しかも、「女でなければできないようなやり方で、この偉業ができた」のだと。

(2)松井 冬子(ウイキペディアはどうしてか、文字化けしてしまうので、これはグーグルイメージのサイトをひろいました。でも、やっぱり、化けてしまうかな。)

こういうサイト(URL)をメグが送ってくれました。
http://youtubeowaraitv.blog32.fc2.com/blog-entry-13494.html
おかげで、今年は大晦日の第62回NHK紅白歌合戦を何度もみることができました。
(メグちゃん、ありがとう。)

そこで、審査員の一人がこういう名前の女性でした。聞いたことのない名前。きれいな着物姿。この女の人、いったいどういう人?どうして突然審査員に?と思ったのは私一人ではないはず。

後半25分ごろ、郷ひろみの歌のあと、司会者から指名され、一言どうぞといわれて、「赤組は構築された統一美があったとおもいます。そして白組は甘美な歌声でたいへん魅了されています。」とさらりとむずかしいことを言ってのけられて、会場が一瞬ざわついた感じでした、よね。

そこで、ググってみました。

東京芸大で初の女性・日本画科・博士号取得者だそうです。
婦人公論(で、上野千鶴子さんと対談しているサイト(広告、部分のみ)もありました。
そこで、「 (女に生まれて) くやしい思いをしたことは?」『婦人公論』2008年年12月7日号
 左に答の一部があります。

ブログ kiku's [自傷系アートのゆくえ」 ←面白いコメントだとおもいました。


3)山川菊枝
『武家の女性』という本の著者です。
去年読んだ本です。いつかブログの記事に書きたいとおもっていました。
初代労働省婦人少年局長になった方。

そもそもこの本を私が読んだきっかけは、2010年10月に5日間の日本里帰り旅行をしたときに、山梨の長姉(M1姉ちゃん)が貸してくれたものだからなんです。「この本を読めしぃ。」と言って(笑)。

すぐに読みたいとも思わなかったのですが、半年ほどして、読み出して、けっこう面白かったのです。たしか去年の夏休みに読み終わりました。その本のなかで、M1姉ちゃんが線を引っ張っているところを引用しておきますね。

千世(作者の母)の家などでも、父は娘のことは大体母親に任せていましたが、一人息子の量市は、やたらに叱ったり、箸の上げ下ろしに小言をいったりするのではありませんが、特に熱心に、厳格に指導しました。 ・・・・男は指導者としての能力と責任感をもつように、特に尊重される意味で、厳重にしつけられたものでした。
女の方は己れを空しゅうして人に仕えるという、犠牲と服従の精神を涵養(かんよう)する点に重きがおかれ、女は大事にしてはいけない、粗末に育てよということになっていました。男の方は大事にする意味で父親のきびしい躾をうけるのですが、女の方は、粗末にする意味で、食物も、品は同じでも男にはよいところを、女には切れっぱしをという風に、余り物やくずをあてがわれることに慣らすのでした。
その代わり、女は一段劣る生き物だと考えられていましたから、同じことでも、男のしたこと、いったことなら問題にしても、女のしたこと、いったことなら取り合わず、大目に見るというところもあり、子供扱いで、何も知らせぬ代り、台所以外のことには責任も持たせないのでした。(182ページ)

で、この本にもたっぷりと、男と女の差別が描かれているのですが、著者の山川菊枝さんの視点はとてもさっぱりとしていて、ニュートラルで、淡々として、客観的な叙述なのです。女性の恨みつらみ、痛み、口惜しさというようなものがあまり感じられない。確かに、女性は虐げられていてたいへん低く扱われているのは分かるのですが、だからどうのこうのとすぐに戦闘的に結論づけていないところがさわやかな本です。

もう一箇所、姉が線を引いた部分を引用しておきます。

幕末には、野村望東尼(ぼうとうに)とか、黒沢時子とか、村岡の局(つぼね)等名高い烈婦型の女性もでております。しかし私がここに紹介したのは、そういう社会の表面に出て活動した英雄的な女性でなく、一口に「女子供」として問題にされなかった平凡な家庭の女性たちであり、その生活であります。それらの人々の夫や息子は、時を得て志士となり時を得ずして逆賊または朝敵として痛ましい最後を遂げました。しかしどちらの場合にも、黙々として働く女たちの忍苦と犠牲には変りがありませんでした。夫や息子たちの流した血は、その母や妻たる人々自身の流した血も同様だったのです。


=====
というわけで、わが リスベット・サランデール をこの仲間にいれたいのです。

4)リズベット・サランデール
スティーグ・ラーセン著『ミレニアム』三部作にでてくるヒロインです。

私はリズベット・・・

この続きはまた後日書くつもりです。私の中のミレニアム、まだ終わってませんので。
とりあえず、今日はここまで。 :D


# by agsmatters05 | 2012-01-15 08:52 | Trackback | Comments(2) 

私を支えてくれた言葉たち。神谷 美恵子 「人間をみつめて」 朝日選書 より

新年といっても、もう月の三分の一も過ぎてしまいましたが、まだ正月のどことなく初々しい気分のうちに、この記事を載せておこうとおもいました。

去年、9月にケンブリッジにでかける用事があったときでした。グラジュエイト・センターで、空き時間が1時間ほどとれたので、手持ちのPCに、メモ帳の言葉をタイプしておくことにしました。いつか使えるかも、と思って。 ↑ と ↓ の写真にある両面で合計4ページ分のメモ用紙に書き込んでおいたものです。ここに記事として掲載したら、メモ用紙は「ダンシャリ」できる(笑)。



神谷 美恵子 「人間をみつめて」 朝日選書 より

この作者の「生きがいについて」という本は、そのタイトルだけでも、生き方に迷った人をひきつける本ではないでしょうか。ある時期、もちろん私もこの本のお世話になりました。そして、もう一冊、同じ著者のこの(↑)本。

書き写したのは、1998年、1999年、2000年にかけてだったような気がします。特に伊予の国松山のすみれの団地の一階のたたみのへやでこれを書いた記憶があります。

その後、紅茶の国の大学で、博士課程に所属して、頭はふらふら世界をさまよいたがるのに、首は見えない鎖でしばりつけて、朝昼晩と机に向かわなければならなかったとき、これらの下の言葉はたびたび私を支えてくれました。

というわけで年頭を機に、私自身の引き出し整理の目的も兼ねて、以下の語録をのせておきます。



「自分との闘いこそほんとうの闘い」P.24. 

「別れるという苛酷さがあるから、出会いは美しく楽しい。」P.42.

長期的にみれば、人の一生は、自ら選ばなかった路線を走ることはない。それにしても、その願望を自らのものにするためには、行動への強い意志とくり返しが必要である。くり返されるものはやがて定着する。」P.68.

「執筆は格闘技」P.68.

「求め続ける人は運命的な人と出会う。人生は偉大なる邂逅(かいこう)の連続だ。」P. 131.

「手をこまねいていながらうまくやろうというのは不遜というもの」P.141.

「ものごとはほどほどがよい。」P.144.

「初志貫徹はことばで言うほどそう簡単ではないが、木の根っこと同じで、見えないものが力になる。」P.150.

「何かを期待するとき、その障害になるものを避ければよい。」P.151.

「すべての本が一枚一枚の薄い紙で成り立つ。100枚も重ねるとこの本のように一冊になる。」
「本だけではない。私どもがことをなすとき、それを形成している一つ一つの単位は微少であるが、まとめるとあることを完結させることができる。」P.151.

「人間の意志力というのは偉大だ。人生のすべてはその意志力の所産にすぎない。」P.161.

「心の活性化は具体的な目標をもつことからでてくる。」P.161.

「生きているということは、どんなことにしろ活動したいという強烈な衝動を内に秘めているということだ。」P.163.

「対話とは全人的な相互の営み」P.164.

「逆境は神の恩寵的試練なり」P.181.

# by agsmatters05 | 2012-01-09 23:37 | Trackback | Comments(2) 

初仕事

2012年の正月は、紅茶国では春学期(スプリングターム)のはじまりです。
(この記事の写真はすべて、2012年1月6日のビアトンロード路上で。昼の月をとりたかったのですが・・・。)
生徒は4日(水曜日)から登校開始です。

その前の日、3日(火曜日)は、教師研修日でしたが、なにしろ四分の一パートタイマーなので、出たかったら、出てもいいけど、むりしてでなくてもいいという知らせをもらったので、今年は出ないことにしました。どうせ、教育一般論のノウハウをおしえてくれるだけで、個別のケースに役立つことは少ないと判断したため。(IT トレーニングなら、出たかったけど。)

私は毎週水、金はフリーなので、4日は登校せず、ウイングのポストオフィスへ姉妹会のアルバムを送りに出かけただけでした。

5日の木曜日。授業は、ふだんなら3つ。 といっても昼休みのジャパンクラブは授業じゃない。朝1時間目は11年生。放課後6時間目は女子校の学年ミックスクラス。

このうち、生徒がまともに集まったのは、昼休みのジャパンクラブだけでした。
去年の年末、折り紙ボックスの作り方を教えて、ほとんどの子達が一つずつ成果(作品)を家にもって帰ったのですが、その後、またたくさん作ったので、新しく来た子や二つめをほしいと望む子らに、上げることにしました。

このクラブは最近新しい7年生(一番若い学年、12~13歳)がおおぜいはいってきて、ひらがなやカタカナのワークシートをしては、ごほうびシールをもらいたがっているので、けっこうオーガナイザーはいそがしい。ところが、クラブ2年目になる8年生数人は、ひらがな、カタカナの勉強に興味を示さず、時折クラブで設けるDVD鑑賞プログラムのほうに熱心になっている。

この日、8年生の一人M君が、日本のDVD ということで 「デスノート」をもってきました。みんなで見よう、見たい、といって。私だって、時間があれば見たい。でも、7年生のメンバー10人近く、日本語のワークシートを熱心にやっているので、それを止めてみんなでビデオを見ましょう、というわけにもいかず、困ったことになりました。ビデオを見たい子達は、教室にPCとプロジェクターがあるので、勝手にみてもいいのですが、実は音声装置がうまく作動しなくて、教室が静まらないとPCの音が聞こえない。なんどもみんなに静かに、といったのですが、おおぜいがバラバラのことをやっているので、どうしても静まれない。とうとうM君、頭にきて、ビデオ鑑賞をあきらめて、ムッと口をふさいで昼休み時間の途中でジャパンクラブから出て行く気配でした。 それに気がついたので、私はなんとかM君をなだめてやろうと思ったけど、クラブの全員でビデオを見ようということに切り換えない限りは、これができませんでした。

昼休みのあと、フリータイムの5時間目、 IT ヘルプデスクにいって、この教室の音声装置を直してくれるようにたのんだ私でした。これは、正月そうそう、正月気分を忘れさせてくれる出来事でした。

ところで、この日、朝一の授業は無し、放課後のクラスはたった一人の生徒のみでした。なぜかというと、春学期開始の昨日から、11年生はみんな 2週間、モック・イグザムと呼ばれる、GCSEの模擬試験を全科目にわたって受けることになっていて、授業はなし、だったから。

この、「モック」というのが、実は年末から正月にかけてのわたしの心に翳をおとした最大のなやみごとなのでした。11年生、とくにG男子校の11年生がどれだけこの「モック」にそなえてべんきょうをしてくれるか。

あんまり気がかりだったので、テストに出すといった問題の語彙リストを
(1)クリスマスの日に添付メールで全員に送った。
(2)この日、PCから印刷して、ホッチキスで止めて、真っ赤な紙で表紙をつくり、一人一人の名前を表紙に大きく英語と日本語(カタカナ)で書いて、各自に手渡した。

(2)のほうは、実際は金曜日(6日)まで待たなければなりませんでした。生徒らが受ける試験科目がバラバラで、木曜日には全員をつかまえられなかったから、です。

ところで、このクラスの一人、ハイ君。口から先に生まれたハイ君。授業中、じっと静かに黙って勉強に専念できないハイ君。父兄懇談会でお母さんが「うちの子はラーニングスタイルが違うので、読み書きは面白くない、会話をならうなら、楽しく出来るのに。」と言ったハイ君。(あれは、まるでお母さんの捨て台詞のタイミングとなってしまった。あの言葉のあとで私になにも説明する間(マ)をもたせてくれなかったから。)

そのハイ君、この私の赤本を手にして、「たかがモックでしょ。」

これにもゲッときましたねえ。言ってくれます、ハイ君。どこまでも、相性がわるい、私たち。

以上が、初仕事のあらましなのでした。





さて、今年のウラナイ、賭け、パズル、クイズ その一です。初クイズ。(笑)

これは私にも答がわかりません。8月まで。

このハイ君。はたして、GCSEの試験をどういう成績でうけてくれるでしょうか?
お星様(スター)付きA*はまずまずむりなのはわかっていますが、Aか、Bか、Cか・・・・・?
まったく私にも読めないのです。Aなら万々歳。Bならまあまあ。Cなら、ほおらやっぱりね。心配してたとおりだ。ゲゲゲ、ということになりそうです。

もうさんざん悩まされましたから。

# by agsmatters05 | 2012-01-09 03:23 | Trackback | Comments(6) 

2012年の抱負

特に年頭の所感、New Year's Resolution = 新年の決意などというものは、なあんにも考えてなかったのです。

この記事の写真はすべて、2012年1月5日(木曜日)紅茶国、ウイードンの丘で、通勤途中の車の中から撮ったものばかりです。


でも、お気に入りにリンクしているブログ、とくに apakaba さんの記事を読ませてもらっているうちに、そうか、そういう風に考えるのも面白いかもね、って思いついたことがありました。

つまり、「今年はどんな「ワタシ」になりたいか?」 という風にトピックを変えたらいいって・・・。
そう考えると、なにやら思いあたることがいろいろでてくるような気配。

A woman of many names. いろいろな名前をもつ女。 
私はときどき自分を別の名前で呼んでは面白がる、ということを、紅茶国に住みはじめて、おぼえました。


はやい話が、ジャパニーズティーチャー・ミチ、のほかに、ドライバー・ミチ、ボランティアシェフのミチ、サンセットフォトグラファーのミチ、ブログライター・ミチ、コントラクトブリッジプレイヤー・ミチ、夏の間の一週間は湖水地方のマウンテンクライマー・ミチ。

そして、たとえば、 見習いツアーコンダクター・ミチ  (これは去年初めて自分に与えた呼び名でした。)
なにしろ去年の9月からは 紅茶国の日本語教師 というブログのタイトルが 四分の一 しか使えなくなったのでした。2008年金融恐慌のあおりで、紅茶国のいたるところでバジェットカット(予算削減)がはじまったために、その影響(余波、いってみればこれも 津波とおなじ現象だ!)で、担当授業数、勤務時間が大幅に削減されたからでした。

それでは別の名前を使えばどうだ。

先日、クリスマスの後、近所の人が夜おそくやってきて、「あなたはタイ人だとみんな言ってるわよ。ひどいわね。」ってのもありました。タイ人・ミチ。 タイの人はとっても平和的で温厚でやさしい人が多いと私は思っているのですが、「ひどいわね」といわれると、何と返事すればいいかわからなくなってしまいそう。「みんな言ってる」というのも、信じてはいけない言葉だとおもいました。「誰がそういうことを言ってるんですか?」と聞いてみたら、どうやら、この人の住んでいる家に前に住んでいた女性一名のようでした。ま、タイ人とか、フィリピン人とか、しょっちゅう言われるチャイニーズだとか、そういう名前は自分で納得してつける自分のプロフィールではないので、無視するとして。

そのほか、いっさい努力や苦労をしないで、もしかしたら今年、「グランマ・ミチ」・・・。 Who knows? ぞういうことがありえないと、誰がいえましょうぞ(笑)。

ことし、アイフォンやアイパッドが買えるかどうか。どうしても今年買わねばならぬという切羽詰った事情がおこればそういうこともありえましょう。でも、優先順位を考えると、どうしても後回しになります。でも、ITというか、PC というか、もうちょっと コンピューターに強くなりたいという願いはあります。どこかの老人学級に通えるものなら通ってでも、習いたい。とくに、動画の扱い方など。今年の抱負とは限らないけれど、数年先には、アイフォンユーザーになりたい!

そして、四分の一になったといっても、やっぱりそのために紅茶国にいるジャパニーズティーチャー・ミチとしては、もうすこし日程管理とプラニングをていねいにやって、身の回りの持ち物の整理整頓をこまめにやり、ものを失くしたり、見つけるのに時間をとられたりしないように、したい。つまり、自己管理を上手にやれる人になってほしい。←だれに言ってるの?(苦笑) 断捨離ビト・ミチになれるとは思えないけど、その一歩手前の断捨離見習い・ミチ  になりたい。

どうせ(というと、居直っているようにきこえますね、たぶん、そうです。)今年もあっという間に1年が過ぎていくと思われます。去年の、早かったこと。正月から、どんどん駆け足でした。2月は逃げる、3月は去るとか言われて、ほんとうだわと納得してる間に、5,6,7,8,9,10,11,12。あれよあれよで、クリスマス、でした。今年もきっとあまり変わらないような気がします。

とりあえずは、勝負は5月まで。GCSEの受験生にしっかりと日本語を勉強してもらうこと。抱負というよりは、やっぱりこれは目標、かな。




というわけで、初出勤の今日、ありがたい青空とお日様におめにかかれて、ラッキーでした。ウイードン・ロードはいつものことながら、人通りも車通りもすくなくて、ゆっくり運転しながら、バシャバシャしてしまいました。

今年も、引き続きこのブログにお立ち寄りくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。


さあ、学校へ行きましょう! 仕事、仕事! 

# by agsmatters05 | 2012-01-06 21:07 | Trackback | Comments(6) 

2011年のまとめ、十大ニュース,No.2 (& original)

なくしたと思った記事がでてきました。へえ、そういうこともあるんだ、びっくり、でした。
2011年十大ニュースの記事を、なくしたと思って、もう一度書き直しました。それが コチラ の記事。

それを書きながら、過去の記事の月毎の回数を調べてみようかと思い立ちました。全部で1479件の記事を書いたと、「マイ・ブログ管理」「記事管理」の画面に書いてありました。一番古い記事は・・・と最後までさかのぼってみてみました。すると、あああら、おかしかネエ。このブログを書き始めたのは2005年の6月23日だとばかり思っていたのに、なんで2002年1月の記事を私が書いたことになってるの?

というわけで、その2002年1月の記事のところまではるばる戻って何が書いてあるかをみてみました。そしてわかったこと。それが、下の記事だったのです。

つまり、投稿日時の年の欄が、2012の代わりに、2002になっていた、というわけ、でした。

というわけで、同じタイトルの記事、もともと書いた「2011年十大ニュース」の記事をまた載せておくことにします。

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これまでの10大ニュースをふりかえってみると。

2005年

2006年

2007年

2008年

2009年-なぜかこの年は、十大ニュースなんて記事を書いてないのです。過去ログをしばらく検索してみたけれど、どうやら、この年は総括をやってない。おおきな出来事は一つ、2009年6月26日に紅茶国無期限滞在許可のスタンプを、パスポートに押してもらったということでしょう。いわゆる永住権というけど、そうじゃなくて、2年以上この国を離れてしまわなければいつでも入国していい、滞在していい、働いてもいい、という許可、正式には Indefinite Leave to Remain (ILR ビザ)というもの。これは大きな出来事で、この日付け前のブログは、「ライフインザUK テスト」という試験勉強をずっとしていて、そのことがブログに何ページにもわたって書かれていました。あと、2009年で特筆すべきは、11月に友人Yさんと仲違いをしたことでしょうか。この二つとも、毎年起こることじゃないから、2009年の特記事項でした。それ以外は、生徒の試験の結果とか、授業の記録とか、夏の湖水地方の山歩きとか、ほとんど毎年続けている出来事ばかりのようでした。特にこの年の後半は、デーロン(博士論文)の最終提出(8月)後、口頭試問(バイバ)の度重なる日程変更、延期に延期を重ねたことが大きな気がかりで、2010年2月にバイバが終わるまでは、ブログはさておく、という状態だったとおもいます。

2010年


2011年ーでもって、今年。

これは、2011年の写真のフォルダーから2011年1月1日の日付けで保存してあった、118枚のフォト(ほとんどがラビッシュ)から、一番色があるというかきれいなのを選んだら、これになったという1枚でした。おそらく車を運転中に撮ったものでしょう。これがどこなのか、いつなのかは、今となっては思い出せないのですが。)

3月11日(金曜日)のことは、よく覚えています。日本の人たちがおそらくみんなそうであるように、私にとっても、3月11日から、世界は違うものになってしまった、といっても言い過ぎではないようにおもいます。5大ニュースも、3大ニュースも、「3.11」を抜きにしては何も語れないかもしれません。

「2011 photo」 というフォルダーの3月12日付けの写真の一枚(↑) です。

4月30日にアクトンで募金活動。炊き出しに協力。夜は教会で日本文化ショー(日本舞踊、太鼓、詩の朗読など)

そのほか、H,G両校の生徒達が合同で、折り紙製作。チャリティーのために。


それでも、ひととおり、ことし(2011年)を振り返って、めぼしいことを10項目まとめてみると。

(1)そりゃあなんといっても、11月の姉妹会がトップニュースでしょう。今日、アルバムを受け取ってきました。ハードカバーで、総天然色(笑)、A4,26ページの惚れ惚れするようなアルバムが出来上がってきました。いそいで郵便局にいかなくっちゃ。



(2)仕事では、9月から授業数がフルタイムの四分の一になったけど、ひまなような、いそがしいような。月、火、木の3日間は勤務。水、金は休み。8月の試験の結果発表は、前の年よりはすこし持ち直したか。最悪は免れたけど、満足できる成果だったかどうか? 中ぐらいのめでたさか。


(3)6月、ロレンちゃんの弁論大会出場、KS5部門で全国2位。「芸者の文化について」

これについては、ていねいに書きました。ロレンちゃんはASレベルの日本語試験を受けるために、今は独学で日本語を勉強中。

(4)8月~9月、オッ君、(リーズ大へ)、F君、ケ大卒業、G君夏、日本からSOASに戻る。LH君、日本語能力一級合格、奨学金をもらって日本の大学へ。9月14日に、オッ君の祝い会(リナ先生、フジ先生、F君と)。オッ君は日本からクリスマスカードのお返事として、激励の手紙を50通以上いただきました。ありがたかったです。こんなの(教え子の消息とか)が十大ニュースにはいるって、おかしいかな。


(5)生徒達 - 普段の授業、クラブ、G男子校、H女子校、---名前と顔が浮かぶのですが、ここではこれ以上書くのを自粛します。

GCSE-13年生、11年生---------
12年生ーーーーーーーーーーーーーーーーー
月曜放課後ーーーーーーーーーーーーーー
木曜放課後ーーーーーーーーーーーーーーー
クラブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(これは何年か前に生徒達が作ったジャパンクラブのロゴ。これを小さくして、まとめて印刷して、シールにし、日本語のワークシートをやった生徒達に上げている。これが好評。シール(メリットマーク,ごほうびシール)をもらうためにクラブに来る子達も何人かいる。

(6)ブログーなんとか続けてきました、2005年から7年目。一度、まぐれでユーチューブを記事に載せることができました、よね、まぐれで。IT的には、アイフォンもアイポッドも未実現。来年に持ち越し、かな。なんといっても姉妹会の連続記事で、盛り上がることができたような気がします。クイズもたくさん載せてしまった。姉妹会のあおりで、なんと12月が一番投稿回数が多かったことになりました。各月のアクセス数のピークをひととおり振り返ってみました。3,4,5月は震災関連記事が多く、6月はロレンちゃん、8月はカンブリアンホリデー、9月、10月は買い物クイズ関連だったかもです。そして11月も姉妹会関連クイズ、12月はなぜか、投稿してない28日に月のピークアクセス数を記録してました。クリスマス関連記事だったような。


(7)旅行ーブリッジホリデーで、ボーンマスからワイト島にいくことが出来た。毎夏、恒例のレイクディストリクトの山歩き。今年は天気に恵まれてよかった。ヨーク、ブリストル、コッツウォルズ、ロンドン、ケンブリッジ、ストラットフォード、バース、ストーンヘンジ、



(8)スティーグ・ラーセン、ミレニアムを6冊運んでくださった チズ先生(感謝)。7月からずっと読んで、映画やDVDを見て、作者のパートナーだった女性の回顧録を読んでいるところ。スティーグ・ラーセンは「いい顔」してる。


(9)同窓会でコッツウォルズへ。コッツウォルズのジュリスは、2度訪問。7月はセガと。



(10)世界の人たち - ウイルとキャサリンの結婚。ナデシコの快挙。亡くなったのは、オサマ・ビン・ラーデン、カーネル・ガダフィ、キム・ジョンイル、マンチェスターのアンドルー。そうだ、なくしたといえば、メモリースティック2本紛失しちゃった。三本目は戻ってきて、よかった。

ちょっとまとめにくい10大ニュースでした。取り急ぎ、アップしておきますね。

# by agsmatters05 | 2012-01-03 05:58 | Trackback | Comments(0) 

2011年のまとめ

実は、ここ数日間ずっと非公開で、2011年のまとめ(十大ニュース)の記事を書き溜めていました。写真もつけて、かなり長い記事でした。 

夕べ、大晦日と新年の記事を書いたときも、その一つ前にこの十大ニュースの記事をアップしていると思っていました。それなのに、それなのに、ああ、それなのに。新年元旦となった今日、それを読み返そうと思ったら、why, why, why なぜかすっかり消えてしまっていました。

ウウウ、口惜しい。といってもきっと私の誤操作か、PCのいたずらなのでしょう。そういえば、夕べ記事を更新中、途中で一回、Mozilla Firefox のクラッシュダウンがあったような。「Restore previous sites (ダウン前のサイトを復元する)」をクリックしたけど、書きかけ中の記事はあれで、消えてしまったんでしょうか・・・・?しゃあない。やりなおします。


2011年

(1)3月11日 東日本大震災 -この日私はどこで何をしていたか・・・今年は太陽の黒点が少ない時期で、大きな地震が発生する時期にあたるのだそうだが。
(2)11月 姉妹会 -これについては、たくさん記事を書きました。
(3)6月 ロレンちゃん 日本語スピーチコンテスト2位 (これも、上と同じ。)
(4)8月 成績発表 オッ君のA2レベルと 10人のGCSE の結果 めでたさは中ぐらい。
(5)ブログ、クイズ -今年のブログは、クイズがいっぱいでした。
(6)「ミレニアム」 - 7月にチズ先生が6冊のミレニアムをはるばる日本からもってきてくださり、・・・
(7)仕事面 フルタイムの50%が25%になって、週3日の勤務とはなりましたが、やっぱりいそがしい。
(8)レジャー面 -旅行(ワイト島、湖水地方、コッツウォルズ、ケンブリッジ、ストーンヘンジ、バース、ブリストル、ボーンマス、ヨーク、ストラットフォードアポンエイボン、ロンドン(ミュージカル)、いつものコントラクトブリッジ、泊りがけの旅行は少ないけど、適当に楽しみました。
(9)健康面 -左の耳の中に生き物がいる。歯がわるくて、NHSの歯医者にみてもらっている。
(10)世界のできごと - ロイヤルウエディング、なでしこじゃぱん女子サッカー世界一はグッドニュース、オサマ・ビン・ラーデン、カーネルガダフィ、キム・ジョンイル・・・時代の終焉。



過去の十大ニュース、せいぞろい は MORE  で。




More

# by agsmatters05 | 2012-01-02 08:35 | Trackback | Comments(0) 

大晦日、紅白(62回)、ミチ的ツイッター風バージョン

夕べ、2011年の10大ニュースの記事を下書きしてました。(下に載せてあります。) ←消えてしまいました。→ かきなおします。

そして、今日は12月31日大晦日。(これを書いている時間のことです。)

メグから教えてもらって、PCでオンラインで、ライブで、紅白を見ることにチャレンジしてみました。
チャレンジなんて大げさかな。若い人は、みんなやってることでしょうからねえ。

Ustream というのがあるんですね。
仕組みは分からないけど、3人ぐらいのユーザーネームがでてました。
アップロードを予約してくれてた人たちの名前でしょうか、
でも、コリアンタイムということで、なぜか夜まで待たないといけないとか。
あれこれためしてみたら、アララ、つながっちゃった。
http://en.justin.tv/bearschannel/popout
というサイトでした。

つながったのは、前半の終わりごろでした。一曲聞いて、ニュースが流れました。紅茶の国はお昼時(12時ごろ)なので、ちょっとへんな感じ。ニュースのあとで、中間集計で赤組リードと。これがクセモノなんですよね。いつも、中間集計は赤組リードで、最終結果は白組優勝って年、多くないですか?

でも、「自分が女性だから」という境界(限界)をはずしてコメントできるなら、紅白62年の歴史で男女の勝ち負けが半分半分じゃない、ということは、悪いことじゃないですよね。操られていない証拠だから・・・。興味深いのは、なぜ白組のほうが勝ちが多いか、ということで、、、。分かるような、分からないような。やっぱり、分からない。(笑)

でも、日本とライブでつながっていると思うのは、いい気持ち。ナイス。

今年は、東北応援がメインテーマですね。「明日をうたおう」
いっぱい、グッとくるシーンがありました。

長淵つよし「歌なんか歌ってる場合じゃないと思った。」という言葉がよかった。リアリティーがあった。

レイディー・ガガ 「ジャパニーズ・ガイ」を歌うのが いい、と思った。いつまでも フェミニンな芸者さんを売り出すのじゃなくて、ニホンのオトコだって、目立つときがこなくっちゃ、と女性としておもいました、のよ。(笑)

これ(↓)もよかった。平原綾香?


松田聖子、神田さやか。「上を向いて歩こう。」
さやかちゃんは、メグが私のおなかの中にいたときに(同時期に)生まれたので、そういう意味で感慨深いものがあります。聖子さんより、さやかさんの声のほうが、安心して聞けた、というか、聖子さんの歌はいつも声量がもっと欲しい、と思うのは私だけ?

「さようなら、あなた。私は帰ります。」


ーーー

終わりました。
「行く年来る年」を見ながらこれを書いています。
む?するってえと、これからNHKのテレビ番組、見続けることができるのか、あたし?

話を紅白にもどしますと、え?赤組の勝ち?嘘じゃないか、って思った人多かったみたい。だって、客席のウチワは白が圧倒的に多かったですよね。いくつかの審査グループがあったみたいで、コンピューターの画面はちょっと文字がぼやけて全部はっきりと読めませんでした。

ああ、でも除夜の鐘を聴きながら、異国でこんなフウに(ってどんなふうだ?)ブログを書いてるのは、ちょっとめずらしいことです。

あああ、愛媛県石手寺が写ってます。なつかしい。伊予の国。ほぼ10年間住んでました。
今も、空き家が太山寺のそばにあります。「帰ろかな、帰るのよそうかな。」

あと5分で、2012年になります。


ロンドンアイのまわりで花火がいっぱい。コチラ(↓)は 紅茶国のテレビから。



あけまして、おめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

よいことがたくさんありますように・・・・。

# by agsmatters05 | 2012-01-01 11:16 | Trackback | Comments(6) 

12月のまとめ(後半)ミッションX4とハプニングX2

12月後半、カレンダーの都合で、めずらしく月半ばに冬休みに入った紅茶国。9月の新学期(新学年)のスタートがいつもより早く始まったせいで、秋学期はちょっと早く終わりました。(ワンターム=1学期が40週と決められているから。)

休みに入ると、毎日何をやってるのか、わけがわからんうちに、夜になり、したがって18, 19, 20, 21, 22, 23日、私はいったいどこにいて、なにをしていたか、記憶はすっかりおぼろげ状態。これが日常ということなのか。朝起きて、すり鉢茶と ウイートジャーム+ソーヤミルク+ナッツ類またはプルーンまたはブルーベリーなどをミックスしたシリアル系ブレックファーストを食べ、あとは、PCのスイッチを入れて、メールチェック、フェイスブック、ミクシー、そしてブログの新着記事などを読んでいるうちにすぐお昼ご飯どき。その後、何をやったかわからないうちに、あっという間に、じゃなくて、あっともいわないうちに、夕方から、夜になり。(そうそう、その合い間に、たくさん折り紙ボックスをつくったりする。)

ミッション、その1、姉妹会のアルバム作り。
やりました。これは、一日や二日で出来ることではなかったです。かねがね、デジカメで撮った写真を自分で編集して、オンラインで注文して、アルバムを製本できる(らしい)ということは、知っていました。二度ほど、そういう手作りのプライベートアルバムをみたことがありましたし。でも、どうやって?

で、ある日、たしかA市のハイストリート、WHSMITH という大きな文房具兼書店スーパー(その奥にポストオフィスがある)に行ったときのことでした。余った時間をつかって、WHSMITHの斜め向かいの ジェイソップスというカメラ屋さんに行って見ました。

そこで最初に見たものは。

これ(↑)を「ゴリラトーチ」というんですね。姉妹会のとき、四女のよっちゃん(!)が持ってきて、4人でポーズをとったけど、自動シャッターが分からなくて爆笑。C村座の大喜劇を演じた小道具。

あるところにはあるんだ、こういうものが。(今頃カンシンしているよっちゃんのハビーの義姉(笑)。)

脱線しました。

このジェイソップスというカメラ屋さんに行って、アルバムを作りたいんですけどォというと、こういうもの(↓)をポンとくれました。もちろん、ただで。

CDです。やってみたら、インストールするのは案外簡単でした。でも、アルバムを編集するのは、かなり時間がかかりました。全部で何ページにする?どのページにどの写真を載せる?どういう順番で?大きさは?・・・・たのしい編集作業ではありましたけど、けっこう時間をとられました。

23日(金曜日)、最初の姉妹会アルバム〈ためし刷り)できあがり。こんな感じで。

合計26ページ。ためし刷りのソフトカバーで、20ポンド(約2600円)。カメラ屋さんに受け取りにいかずに、(郵送してもらうと、その分を3ポンド追加徴収される。) 今回は休み中で、近くで買い物のついでもあったので、自分で受け取ることにしました。

で、このためし刷りをみながら、いくつかのページの写真を変えたり、サイズを変えたり、バックの色を変えたりして、最終的に、ハードカバーで4部製本をオンラインでお願いしました。1冊28ポンド。クリスマスをはさんでしまったけれど、出来上がりが楽しみで、楽しみで・・・

ミッション、その2、模擬試験の予告メール
クリスマスプレゼントじゃないけど、クリスマスの夜おそく、単語リストやら、試験の注意事項やらのメールを
11年生の生徒6人に送った。祈るは、気がかりは、やっこさんたちがにほんごのしけんのべんきょうをしてるかどうか・・・

ハプニング、その1、ホットメールのトラブル!
クリスマスの3日ほど前、ルイママからのイーメールがホットメールに届いた。「DVDが見られるよ。」みたいな英語1行のメッセージ。ここをクリックしてね。みたいなもの。いったんクリックしたら、さあたいへんだ。次から次に メイラーデーモン、配達不能(デリバリーフェイリュアー)の自動応答メールが来るわ来るわ来るわ。ちょっと恐ろしいなと思いながら、延々とこのデーモンメーラーを消し続けた。あああああ、やっちゃった。スパムやら、ウイルスやら、とにかく、悪いものに引っかかってしまったのでした。後悔しきり。

2日後ぐらいに、ホットメールのサーバーから、パスワードが盗まれたので、どうの、こうのせよ、というメッセージが来た。メッセージが来たというより、自分のホットメールアカウントが開けず、サイン・インしようとすればそのメッセージ画面がでてくる、という具合。所定の手続きをして、別のメールアドレスを伝えて、そこに、パスワードを変更する画面を送ってもらい、どうにか、ようやく、もとのホットメールアカウントを復元することが出来た、、、、という次第。この間およそ4-5日。やれやれ。ほんとうに、怖いことでした。

教訓。変なメールはクリックしないこと。どんなに親しいひとからの、メッセージでも、固有性のないメッセージは要注意。

ミッション、その3 - 27日、〈恒例の〉マークス&スペンサー、セール、朝8時。
はい、行ってきました。8時は、そんなに真っ暗な時間じゃなかったです。でも、人通りは少なく、交通量も少なくて、ちょっと寝不足ぎみの頭以外は、すっきりしたいい朝でした。マークス&スペンサー(M&S)の毎年恒例のクリスマス後のバーゲンセール。バーゲン商品がなくなるまでこのセールは続けるのだそうです。
いつもはのんびりボーっとしている感じの従業員もこの日はとってもいそがしそうでした。

せっかくバーゲンセールに来たんだから、値引きしてあるものを買わなくっちゃ意味が無い、と自分に言い聞かせました。だって、やっぱりいいな、と思うのは、バーゲンじゃない品物もほうが圧倒的に多いんだから。

一通り売り場を見て、めぼしいものをカゴにいれてから、もう一度再チェック。試着室は使えなかったけれど、上着類などは身体にあててみて、いくつかは没。着れるもの、感じのいいもの、そして、仕事上役に立ちそうなアパレルを、1年分まとめ買い。いいんです。世の中には、一着5万も10万もする服を着ている人もいっぱいいるってことは、うすうす知ってはいます。でも、私はそういう身分じゃない。半額から4割引ぐらいになった15ポンドのズボンを3本、セーター、カーディガン、靴下、靴、もう「赤字になっても知らん」という気分で買い込みました。それでも庶民、貧民のミチですから、全部あわせても3万円になるかならないかというところでした。そして、自分に対する言い訳として、これはなんてったって、商売道具なんだから、と思うことにしたのでした。

ミッション、その4、オデオン座映画「龍の刺青の少女」ザ・ガール・ウイズ・ザ・ドラゴン・タトゥ
オフィシャル・ウエブサイトはコチラ。 にほんごのサイトはコチラ。を見てきました。

ボクシングデー(クリスマスの次の日)が一般公開の初日でした。スエーデンの作家スティーグ・ラーセン原作の3部作「ミレニアム」の1、「ドラゴン・タトゥの女」

ダニエル・クレイグって、007シリーズの俳優というイメージが強くて、最初ちょっとこのイメージが邪魔でした。でも、ミカエル・ブロムクヴィスト という主人公は、もともと 作者 スティーグ・ラーセンの分身なのだし、ハリウッド版は、スエーデンで作られた映画の主人公(ミカエル・ニクヴィスト)に続くものだし、完全に独立したイメージをもつミカエルなんていない。ありのままの映像から、ダニエルクレイグ扮する、そしてデイビッド・フィッシャー監督が描かんとするミカエル像をうけとめていくしかない、と思った。007の俳優だと思うと、走って逃げるシーンなんかとっても迫力あると、これも先入観からかもしれないが、思ってしまった。


ちょっと残念だな、と思ったのは、行方不明になった女性ハリエットを見つけ出すシーンが、全然原作と違っていたこと。スエーデン版なら、まだオーストラリアがでてくるだけ、まし、というか忠実。ハリウッド版は、ハリエット発見が安易に改作されてしまっていた。これから映画を見る人のために、あまり詳しいことは書かないほうがいいのでしょうか、一言だけ感想。やっぱり原作を読んでいたので、作品の主旨、骨子を知っているから、見てよかった、とおもう。最後のミカエルピンチの画面はとてもしんどくて、目の前に指をおいて、画面を小さくしてみた。原作を知っていても、あの画面はちょっと楽しくみることは出来なかった。でも、ぜんたいとしてはもちろん見てよかった。原作を星5つとすれば、あの映画は星4つ半だ。

実は、「ミレニアム」にこだわる理由を書きたい、書かなければ、といつも思っていて、それを書くまではこのブログと ミレニアムはつながっている、のだ。夕べ寝床で眠くなるまで読んだエヴァ・カブリエルソンの「スティーグと私」の一節。

ミレニアムの作者スティーグ・ラーセンは 10代の若者だったとき、たまたまたちの悪い男達が一人の女の子に乱暴し、レイプし、ひどいことをする場面を目撃してしまった、のだそうだ。それを見ているだけで、救うこともできず、なにもしてやれなかったスティーグは、それだけでひどく良心の呵責(カシャク)にさいなまされて悩んだという。そして後日、その女の子とであったとき、慰めの(?)、何もできなかった詫びの(?)言葉を伝えたいと思って近づいたところ、その女の子がスティーグの握手を拒み、スティーグの接近をはねのけて、こう言ったという。「あんただってあいつらとおなじでしょ。」



「ミレニアム」は表面的なところで楽しむことも出来る作品だけれど、表面的なエロ、グロ、悪、不正の底にある小気味いいやさしさ、なんでもない日常にあぐらをかけるようなあたたかさが全面的に流れていると思う。解説に書いてあったのだけれど、作者が「男の力と頭脳をもった女」「女の心をもった男」を書きたかったという、風変わりな設定も、気持ちよく読めた理由の一つ。

映画のこまかいところで、よく分からなかった部分もあったけれど、それはこれから少しずつ解いていかなければならないことと思っています。



ハプニング、その2、近所の人が夜中に突然・・・!
クリスマスの二日後、27日(火曜日)の夜遅く、のことでした。突然、近所の人(女性)がやってきて、1時間ほどしゃべっていきました。ちょっと、変な出来事、でした。

ミチのことを「タイ人」だと、近所の人はうわさしているのだとか。
タイ人はタイ人で、うわさなんだから、別にかまわない、気にしない、事実とは違うと、コチラが思っているだけで、それで、話がおわるかとおもいきや。

彼女はこういうのでした。「ホリブル、ひどいわね。あなたはジャパニーズだったのね。ジャパニーズってとってもクレバー(利巧)なのよね。私もいっぱいジャパニーズの友達がいるわよ。」

「ジャパニーズだってピンからキリまでいろいろよ。」と私はいいました。利巧なジャパニーズもバカなジャパニーズ(=私みたいに)だっているんだから。

タイ人とまちがえて、それがホリブル(ひどい)といったら、じそれはタイ人に対する差別・偏見ですよね。私は、よくフィリピン人に間違えられたこともあるし、白人の国に住んでいれば、チャイニーズだといわれることなど、しょっちゅうだから、通りがかりの人が私をタイ人だと思っても、それだけで、人種差別、偏見だとはおもわない。

タイ人とまちがえられて、失礼しちゃう、と思うことは、タイ人に対する侮辱ですよね。

だから、「C村の近所の人がミチ、あなたのことをタイ人だっていってたわよ。」だけなら問題ないのだけれど、彼女がそれは「ホリブルな発言」というのは、ちょっと違ってやしないか、私に対する礼儀のつもりかどうか知らんけど、すくなくともタイ人にたいする礼儀はつくされてない。

紅茶の国のド田舎C村に住んで、ふだんは近所付き合いなどはまったくないクラシではありますが、かれこれ10年近く住んでいるのに、こういううわさを耳にすることも無くこれまでやってきたことが、ふっとコワイことだったんだな、と思わされたことでした。

そういう相手の女性。彼女のライフストーリーも、普通じゃない、というかとっても数奇でした。あちらのほうがよっぽどの変り種。父親はナチの強制収容所を生還した人。母親はフィンランドの上流家庭出身の歯科医。子供の頃は、シカゴ、ガーナ、南アフリカと転々と住所がかわり、スイスのインターナショナルスクールでは、オサマ・ビンラーデンの妹と同級生で、ドイツの大学を卒業し、ドイツ人の歯医者さんが夫。一人娘のステラは、ロンドン大学の学生で、ファッション雑誌にいつものるモデルさんだって。父と母は離婚して、母はフィンランドで、結婚してない同性愛者の弟と二人暮らし。父はドイツで、別の男性の世話になっているって。85歳で、そろそろ認知症がはじまっている、って。

わたしなんかより、彼女のほうがよっぽどめずらしい経歴だとおもうけれど、彼女にすれば、タイだかジャパンだか、東洋人がこの片田舎に住んでるほうがよっぽどめずらしいことだといいたいのかもしれない。

クリスマス後、大晦日前の、年の瀬期間中、これはこれは、ちょっとビックリ、へえええそうなんだ、そうだったのか、そういうことなんだ、、、、とかかんとか思ったことでした。よって、ハプニング、なのでした。



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# by agsmatters05 | 2011-12-30 22:46 | Trackback | Comments(0) 

12月のまとめ(前半)

今日は紅茶国では「ボクシング・デー」と呼ばれている日。名前のいわれがどうのこうのと、コチラの人もよるとさわると話題にしますが、それは、ウイキグーグルにまかせるとして・・・。

今日はずっと前から書き溜めておいた、12月のまとめを一挙に載せてしまおうとおもいます。「日記」ではなくて、「月記」。(← げっき (GEKKI) とタイプしても、月記とはでてきません。トーゼンだ。)

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12月4日(日曜日) JLPT 日本語能力検定試験 (ウイキペディアはコチラ) 監督(アルバイト)

ーことしで2回目。11月18の事前説明会に行った記事はこちら。全世界で年間合計50万人が受けるというもの。年配のおじさんたちがおおぜい受けに来ているのをみて、頭が下がる思い。30,40,50代で、こういう外国語の能力試験を受けようとする人って、初級であれ、上級であれ、その心意気に敬意を覚えた。

このとき、教え子で今年ケンブリッジ大学の日本語科を卒業したF君に面会。かれは、就活中で、この試験を受けにきていた。日本語ぺらぺらの彼でも、1級は聞き取りがむずかしかったそうだ。なぜ、彼に会ったかというと、11月21日の月曜日、姉妹会の初日に、G男子校で来年度12年生になる生徒達に選択科目の日本語について5分間話すという役を、代わってもらったため。その気持ちだけのわずかなお礼を(ガソリン代ということで)もらってもらった。
写真は、ロンドン大学アジアアフリカ研究学部、ふつうソアス(SOAS)と呼ばれている大学、大学院の門柱。

12月8日(木曜日)誕生日、12年生、三者懇談会

朝から夜までたいへんな一日でした。早起きして、登校。1時間目は、一番気になる11年生のクラス。授業はクラブも含めて3つ。放課後の女子校のクラスで、いつもポシェットに入れているメモリースティックが無いことに気づく。男子校にもどって、5時20分から12年生の親と生徒8人との面談。途中でメグからハピーバースデーの携帯電話をもらう。メモリースティックのことが気になって、その夜は気もそぞろ。ろくろく眠れない悩ましい夜だった。よりによって誕生日に、ことし3番目のメモリースティックをなくしたか、と思って、落ち込んだ。ケアレスだったじぶんにあきれ、メモリースティックの中味をどうやって取り返せるか、(GCSEの過去の聞き取り問題全てが入っていた、そのほか何がはいっていたか覚えていないくらい、--で、結局、あとから出てきた。(その話は、長くなるけど、みじかくすると、スー先生がみつけて、メールで連絡して、月曜日に手渡してくれた。ああ、なんという安堵感!体中の緊張感がほぐれていったのがわかった。)

12月9日(金曜日)今年もクリスマスカードを発送しました。

まとめるの、タイヘンだった!担当している全クラスの生徒らに一人3通ずつカードを渡して、主に自己紹介程度のメッセージを書かせた。クラブの子も数人、すぐさっさと3通書き上げる子と、家に持ち帰ってゆっくり仕上げる子、とうとう持ってこなかった子も何人かいる。送り先がかわるという事情があったけれど、宮城県の被災地の中学校(2校)と沖縄に送ることができた。(後日、宮城県の高校にも34通、追加。)

切手代のこと・・・・
これが、ちょっと もめた。2008年の金融危機のあおりが、ここに来たということのような気がする。これも長い話を短くすると、生徒のクリスマスカードを日本に送る切手代が、学校の予算から出せないと、キャ先生からいわれ・・・

結局自分で出すことにした。

12月12日(月曜日) ふりかえ授業、昼休みのティーセレモニー、放課後クラス-10回目

↑ の写真、姉妹会のとき、一つだけキャンセルさせてもらった授業=11月24日木曜日放課後のH女子校のクラス、の振り替え授業(補充)をこの日に予定していた。学期最後の週で、特別ランチタイムセッションなので、日本文化紹介をかねてお楽しみ会にすることにした。抹茶とお寿司(細まきといなりずし)、おせんべい、折り紙などをたくさん用意してでかけた。ところが、こちらの学校ではこういうことが頻繁に起こる。
まったく、ずっこけもいいとこ。唖然。

なにが起こったかというと、この日、H女子校は、何らかの学校行事の都合で、時間割を変更し、昼休みはふだんの1時半から1時間ではなく、12時半から1時間になったのだそうだ。つまり昼休みが終わった時間にH女子校に出かけた(といっても道路ひとつ隔てた隣の学校なので、移動したというだけなのだが)。生徒はもう午後の授業に入っていて、だれも、予定していた部屋に来なかった、というわけ。係の先生も当日の朝知っただけとか。一人生徒が私の携帯にテキストを送ってくれたけど、まさかそんなことを思ってみなかった私は、夜になるまで携帯のテキストを見てなくて。

というわけで、たくさん用意した細まきやいなりずしは、G男子校放課後のクラスの生徒達と一部シェアできた、のだけれど。

12月15日(木曜日) ラングエッジ・コンファランス
どういういきさつかはまったく知る立場じゃないのだけれど、この日、地域のいくつかの学校を含めて、11,12年生の希望者が、語学を学ぶイベントをする、ということで、メジャーでない言語の中からいくつかの言語の特別テースター(お味見)セッションをやらされた(引き受けた。)ロシア語、ギリシア語、ペルシア語、中国語、デンマーク語、ルーマニア語、ポルトガル語、イタリア語等々。45分間の日本語おためしセッションを二回。参加者は15名ぐらいずつ。簡単な自己紹介をおしえたり、カタカナで自分の名前を書いてみたり、1-10までの数字をおしえたり、Youtubeの「ごあいさつのうた」の動画を使って、挨拶言葉を紹介したり。(追記ー2年前の2009年12月15日にもアストンクリントンという街のコンファランスセンターで同じようなイベントがありました。そのときの記事は コチラ。

放課後のクラスは、月曜に時間割変更で流れてしまったクラスの生徒らに、抹茶と折り紙を紹介。(仕切りなおしが一応、できた。)

夜7時半から、G男子校で言語を教えている先生たちのクリスマス祝会があった。日本でいう「忘年会」とまったく同じたぐいのもの。

12月16日(金曜日)、秋学期終了、お別れ会(離任式のような)、クリスマス・カード (追加分、17X2=34通、仙台市の高校へ。)  GCSE リスニングテスト、録音テープのこと。学校のウエブサイトに聞き取りテストの音声ファイルをのせたかったけれど、30MB以上はできないといわれて、しかたなく、CDに焼くことにした。1月9日に行われる11年生のモック(模擬試験)を印刷して試験部長に提出。読解と筆記の問題を合わせて18ページぐらいになってしまった。量が増えてしまって、心配になる。

年末恒例のチャリティー

↑ の写真は、G男子校の職員室の壁にはってあったもの。毎年、クリスマスカードを書く時期に、学内でカード交換をやめて、そのお金を施設に寄付しよう、というもの。会計課に5ポンド払って、この表に自分の名前を書き込んでおく。学内の同僚たちには、クリスマスカードは出さないし、受け取ることも無い。集まったお金はケアホームに贈られることになっている。なかなかいいナラワシだとおもう。

12月17日(土曜日)、冬休みスタート - クラブ、授業のまとめ。クリスマス・カード、姉妹会アルバム作り、ブリッジ、料理、クリスマスの用意を何にもしないで心待ちにするクリスマス。そのほか - Strictly Come Dancing、 ギャレス・マローン、エクスファクター、年末の映画

以下、書ききれないので、項目だけMOREに残して、とりあえず、今回はここまで。(一応、12月前半ということで。)


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# by agsmatters05 | 2011-12-26 06:31 | Trackback | Comments(6) 

メリークリスマス

クリスマスおめでとうございます。

キリスト教国では、やはり一年中で一番大きい祝祭日です。↑の写真は、11月に姉妹4人でブリストルに行ったとき、メグが4人に用意しておいてくれたおみやげ。

ろうそくの火を灯すと、火の上のサンタさんたちが回りだしました。〈メグさん、ありがとう。)


日本語を教えている生徒達に、日本語を書く練習になると思って、毎年クリスマスカードを書かせているのですが、そのとき生徒はよく私に質問してきます。「日本では、クリスマスはどう祝うのですか?」と。

短い答は、「商業的に」祝うのですよ。とよく答えるのですが、実際はどうなのでしょうか。日本のクリスマスを過ごさなくなって、かれこれ10数年たっていますから、最近の世相はちがってきているかもしれませんね。日本ではキリスト教徒〈クリスチャン〉は全人口の1%を超えたことはない、とか、約300万人ぐらいだとか、ウイキペディアに書いてありました。でも、なんらかの形でクリスマスに関わる人は、もっとずっと多いのでしょうね・・・。

私の知っている日本のクリスマスは、デコレーションケーキと、親が子供に送るクリスマスプレゼントが圧倒的に主流を占めているものでした。サンタの真似をした、新米の親をやっていたのは、かれこれ25年以上前。サンタを信じていた子供、セガだか、メグだか、プレゼントの靴下の中に現金が入っていたので、「おかしいな」と思った。とか。




それから、私の答はいつも、イギリスのクリスマスは日本のお正月といっしょだと言うことにしています。

家族が集まる日。
家族、親戚が集まって、プレゼント交換をする日。
ターキー〈七面鳥)や、クリスマスプディングや、スプラウト〈芽キャベツ〉や、ミンスパイを食べる日。
公共交通機関がストップする日。
ラジオ、テレビが特別番組をたくさん放送する日。
そして、女王が年に1回、テレビを通じて、国民とコモンウエルスの人に向かってメッセージを送る日。

というわけで、テレビから写した、今日の女王の写真を載せさせていただきますね。



今年の女王のスピーチのテーマは「家族の大切さ」ということなのでした。


そして今日のメインニュースは90歳になった女王の夫君、エジンバラ公、フィリップ殿下の心臓手術のことばかり、なのでした。


いろいろ書き出したら、きりがない。全然まとまりの無いおしゃべりをしています。


エリザベス女王、85歳、お元気そう。85歳でカクシャクとできるということは、だれにでもできることじゃない、ですよね。

# by agsmatters05 | 2011-12-26 06:20 | Trackback | Comments(4) 

ふりかえる姉妹会(20) 最終回 クイズの答

最初の質問は、シェークスピア生家のおみやげ売り場で買ったマグネットの値段はいくら?というものでした。



真ん中のマクベス・消しゴムが 50ペンス(約65円)、右側のハムレット(ポロ二アス)・マグネットが2.99ポンド(388円)、そして、左のシェーちゃん生家のマグネットは、

ジャジャーン、 って、Uさんだけに、お伝えしています(笑)。Uさんの、貴重な、貴重な(ありがたい)お答えは、1.20 ポンド、つまり約150円でした、ね。

正解は、きちんと写真に載せてお見せすべきところ、手抜きをして、結論から、ズバリ・・・・


2ポンド(260円⇒250円) でした。(Uさん、ちょっとはずれましたけど、どうかこれからも、クイズ参加を続けてくださいね。)

2番目のクイズは こちら  でした。

バースの浴場博物館を出たあと、エジンバラウール工場という土産屋にはいって、みんながいっぱい買い物をしたあと、店の前にでたとき、一名が青ざめた顔で、カメラをなくした! と言いました。それは誰だったでしょうか、という問題でした。

長女、次女、四女、それぞれにお答えが出たとおもいます。どなたが、何女(なんじょ)を選んだか、ここでは繰り返さないことにしますね。(笑)

分かるわけネエダロ、メッ! というお叱りもうけました。

四人の一人、というところがミソ。
マーヒーさんに、この心理クイズに参加してもらいたかったなあ・・・(笑)。

では、正解の写真をご覧ください。



↑の写真の左側の二人は長女と次女ですが、ふたりともあごをしっかりと落としてものすごおおおく心配そうな顔をして、私を、(ハッ、これが答っすよ。)見つめてくれているんです。写真をとっているのは、四女。(あれ?このとき、バッテリー、のこってたんやっけ?)

オホホ、繰り返します。カメラをなくしたのは、わたくし、三女でござんした。(正確には、なくしたと思っていたのは・・・)


    ****|<<<<|^_^>>>>|****


実はねえ、この姉妹会シリーズを書きながら、もうひとつクイズを出したいなあって、ずうっとおもい続けていた質問があるんです。ふだん、わたしのクイズは突然の思いつき(ひらめき)で出すことが多いけど、このクイズは出したいな、どうしようかな、と長いこと考えていたものです。Marriさんじゃないけど、分かるわけないだろが、ていわれてもしょうがないタグイの問題ですよ・・・。

毎朝、すり鉢茶を作って飲むたびに、思うクイズです。
4人の中で一人だけ、このすり鉢茶を飲まなかった人がいたんです。
はてさて、それは誰でしょうか????


というものです。さて、賞品は、何にしようかな。決めてないけど、参加したい方、答をどうぞお寄せくださいね。そうだ、今回はなぜ彼女がすり鉢茶を飲もうとしなかったのか、その理由も合わせて考えてみてくださいな。案外、あなたと同じ理由から、かもしれないですよ。(「あなた」ってだれよ、っておもうでしょう。笑)



まだまだ、人生と折り紙ボックス作りは続いています。

# by agsmatters05 | 2011-12-12 04:56 | Trackback | Comments(11) 

ふりかえる姉妹会(19)こぼれ話(8)-紅茶国の交通事情 ラウンドアバウト、路上駐車など

さて「ふりかえる姉妹会」シリーズも、終わりに近づいています。最後にクイズの答をのせれば、本シリーズもめでたく打ち上げ、となります。

この記事は、紅茶国の交通事情ということで、2-3書いてみることにします。

日本人が、イギリスで運転するためには、国際免許証が必要です。これは、運転免許センターに行けば、すぐ発行してもらえる。費用は2650円(東京都の場合 から 3000円ぐらい?)。ウエブサイトは こちら。

ただし、こちらは無免許運転を取り締まる警察官という 業務が、きわめてマレ(=ありえない)なので、一回や二回、旅先で無免許運転をしても、それが大きな問題になることはあまりないとおもわれます。というか、その運転する車をゲットするために、証明書がいろいろ必要だから、そこでチェックがはいる、というわけです。

日本もイギリスも車は道路の左側を走りますから、この点はノープロブレム。次女のS姉ちゃんは、日ごろはカリフォルニアで運転をしていますから、紅茶国で右折、左折のたびに、ハラハラ、ドキドキしていたようでした。いちばん問題になったのは、ラウンドアバウトでした。

(1)ラウンドアバウトのこと

上の写真のように、交差点のど真ん中に丸いスペースが作ってあって、これをラウンドアバウト と呼んでいます。信号がない交差点です。ここでのルールは唯一つ。右から来る車が絶対に優先する、ということです。


空港から3姉妹を乗せて暗い夜道に、A市の近郊に近づいたときのことでした。向かい側から大きなバスが、ある交差点に近づいてきていました。私はこちら側の道路から この交差点に近づきました。右折のシグナルを出して、ゆっくりとこの交差点(ラウンドアバウト)に入りました。すると対向車、大型バスもほどんどまっすぐ交差点に入ってきそうな気配でした。このとき、どちらかが止まらなければ、マイシルバーおんぼろトヨカロちゃんと、生涯ではじめて4人きりで顔を合わせた4人姉妹は、大きな交通事故に見舞われていたことでしょう。私は止まろうとしなかったので、同乗者3人は、「うわあっ!」という声を出しました。「止まって、止まって」と3人が運転手のミチに言いました。でも私は止まらなかった。



結局、もちろん、バスが急停車したのです。私はラウンドアバウト(交差点)を右折する、といっているのですから、どんなに遅かろうと、早かろうと、私の車の左側に来る車は絶対服従をまもらないといけないのです。このバスは、私の車の右折サインを見落としたか、私がちょっとゆっくりだったので、先に交差点を渡れるとおもったのか、とにかく、交差点に入る前に止まろうとする気配を見せなかったのです。ここで私が止まっていたらどうなったでしょうか?私の後ろから来る車が私にぶっつかっていたかもしれません。それに、おそらくこの場合、バスは私の前を直進することはしなかったでしょう。

要するに、このラウンドアバウトに入っている車が直進している限り、その車の直進を止めることは、どんな車でも許されないのです。これが、ラウンドアバウトの掟。

林望さんの「ホルムヘッドの謎」(文春文庫450)という本には、このラウンドアバウトのことがとても詳しく書いてあります。ちょっと長いのですが、MORE  で、リンボウさんの ラウンドアバウトルール説明を引用しておくことにします。もしもイギリスで運転してみたい、という希望をお持ちの方、どうぞMORE をご覧ください。もしくは、上記の本をお読みになってくださーい。




(2)路上駐車
さて、紅茶国の道路事情ということで、もう一つ、われらが4姉妹が訪れたブリストルの路上で、あまりにも路上駐車の車が多くてびっくりしたという記事は こちら に書きました。

あれから幾日たったことでしょう。とにかく、ブリストルのメグから、その路上駐車の写真が携帯メールの添付(?)で送られてきました。メグちゃん、ありがとう。

そしてもう一枚。


ね、ね、前から車が来たらオオゴトですよね。バックの練習場としてはぴったりの場所か。(笑)

両側の家並みはすべて住宅街となっていることが分かっているから、なのでしょうね。でも、かならずしも、このあたりに住んでいる人の車かどうかは不明。昼間と夜間で、どちらのほうが駐車率が高いのか、この辺に駐車をしたい人は、あらかじめこのあたりの駐車状況をしらべておくのも、いいかもですね。

たまたま私ら姉妹4人が行ったときは、偶然メグのフラット(アパート)のまん前が空いていたのでした。この場所に何度も行ったけど、真ん前が空いていたことなど、あまり無いのに。

(3)その他
もう、ほとんどどうでもよくなってきましたが、まとめとして、紅茶国で運転するとき、いつも思うのは、高速道路が無料ということ。これは、ほんとうにありがたい。いいことにおもわれます。でも、実は、そのために運転者は高いペトロール(ガソリン代)を払わされて、国はしっかりと税金をとりたてているのですから、当たり前なのかも。ペトロール(ガソリン)は1リットルが1.35ポンド(約175円、1ポンド=130円として)、その9割が税金だとか。日本では今130円ぐらいでしょうか。イギリスの石油の自給率が125%、つまり自国内で消費する以上の石油の生産量をもっているのに、これだけ石油の値段が高いのは、その分を道路その他に使っているからにほかならないのでしょう。コチラ の表をごらんください。アメリカは1リットル74円(自給率34%)、日本は130円(自給率0.1%)ですって。

あと、写真がありませんが、スピードカメラというのがあちらこちらにあって、大部分は空フィルムらしいのですが、時々このカメラにつかまって、スピード違反料金をとられることがあります。

さて、話変わって、今回楽しかったのは、われら4人と一緒にドライブをしたサテライト・ナビゲーション・システム、トムトム君(声は女性の声に設定してあり、その名前はジェーンということに設定してあるのですが) の英語がとてもはっきりしていて、われらが姉妹3人、すっかりその物真似をし始めるほどになってしまったのでした。トムトム君(ジェーン)のアナウンスは こんな感じです。 

After 300 yards, take the second exit.

「三百ヤードあと、2番目の出口をとりなさい。」 (100ヤード=91メートル)  とか、

After 800 yards, turn left.

「八百ヤードあと、左へまがりなさい。」

そして、ラウンドアバウトにくると、もう一度 ターン レフト と繰り返してくれます。

最後の日、タクシーで空港に向かう車の中でも、3姉妹は、トムトムの声を真似して、覚えた英語を復習してました。残念ながら、この英語を覚えても、日本にはラウンドアバウトがないから、あんまり役に立たないのですよね。(笑)

以上で「ふりかえる姉妹会」で取り上げる予定の記事は一通り終わりました。次回は、クイズの答をのせて、姉妹会関連記事を閉じることにしますね。

More  (ラウンドアバウトのルール)

# by agsmatters05 | 2011-12-12 04:48 | Trackback | Comments(0) 

ふりかえる姉妹会(18)こぼれ話(7)-おりがみのこと

おりがみ

長姉M1姉ちゃんが、いそがしい日程の合い間をつくって、持参の折り紙で、以下のような箱の作り方を教えてくれました。

なんとか、最初のパターンを覚えたら、あとは、同じものを8個つくって、それをまとめるだけです。

最初は、半信半疑、とてもできないよ、時間がないよ、覚え切れないよ、なんて思っていた三女でしたが、いざ、姉妹たちがかえってから、ふと手にとって、やってみたら、あらららら、私にもできてしまいました。

それから、ずうと今日まで、もうキリがないほどたくさん作りました。

ジャパンクラブ(火、木の昼休み)に生徒に見せたら、かなりみんな乗ってきて、大勢、8枚ずつ折り紙を確保(とりっこ)しては、パターンを作り始めました。

今週で、秋学期がおわり、週末から年明けまで、学校は冬休みです。もちろんどこのスーパーやお店でもそうですが、学校の中にも、祝祭ムードが漂いはじめ、一学期間の最後の授業は ファンタイム(お楽しみ会)をやるんですか、先生!とか、ファンタイムにしませんか、とか、生徒がそれとなく、私をそそのかし始めている時期です。





というわけで、生徒らもかなり上手に作れるようになった子もいます。



まだ、新聞紙や、広告の紙を切ってまで作り始めた子にはお目にかかってない、みんな私の手持ちの千代紙や、折り紙を使ってやっています。クラブの子達は、家にもって帰ってママにプレゼントする、という子が何人かいました。ママがきっと喜ぶだろうって、言ってました。

「どんな色を使ってもきれいにできるよ」という姉の言葉を信じて、あんまり 配色をとやかくいわなくても、ご覧のとおり(↑)、たくさん、たくさん、できました。ひとつ、つくるのに、だいたい10分ぐらいかかります。でももっと上手になれば、5分で一つ作れるようになれるかも・・・。そのうちに、手持ちの折り紙、千代紙がなくなってきそうなので、紙ならなんでも、という方針に切り替えても、しばらくはこの作業は続きそうです。

ま、ともかく、これも 姉妹会のおきみやげの一つ、りっぱな 文化親善大使のM1姉さんなのでした。

M1姉ちゃん、ありがとう。
(って書いても、残念ながら、このブログがM1姉ちゃんには、届いてないのだ。)

# by agsmatters05 | 2011-12-11 06:39 | Trackback | Comments(4) 

ふりかえる姉妹会(17)こぼれ話(6)-新聞記事から

8)新聞記事の写真
今回の姉妹会で、一番のハプニングは?と聞かれたら、三女以外の3人はきっと、バッキンガム宮殿前で女王のパレードを見たこと(見れたこと)、というのではないかという気がします。ロンドン見物から帰ってきたときの3人の興奮ぶりも相当なものでしたから。

で、翌日の水曜日にレイトンバザードから汽車に乗って、またロンドンへ、ミュージカルを見に行ったとき、汽車の中で新聞を読んでいる人がいました。ちらりちらりと、その新聞の写真がみえたので、ああ、載ってる、載ってる! という具合に、わがハラカラは興奮していました。


ユーストンで汽車を降りるとき、この新聞を読んでいた人が座席の上にそれをおき去りにしていく気配だったので、次女のS姉ちゃん、すかさずその女性に話しかけて、その新聞はいらないんですか?


でもって、一紙は確保できたものの、3人とも記念に新聞記事を持ち帰りたい、ということで、ビクトリア駅の売店に寄りました。デイリーメールという新聞だけでした。こんなにたくさん写真を載せてたのは。


トルコという国には、大統領がいたとは・・・。その奥さんはずいぶん高いヒールの靴をはいていたようで、新聞記者はそこまでしっかりと写してました。


これらの写真は、すべて新聞記事からですが、ここに載せるのは、四女ちゃんがこの新聞記事の写真をデジカメで撮って、イーメールの添付写真で送ってくれたからなのです。実は四女ちゃんがイーメールやインターネットを頻繁に使ってる、使える、というのは、今回の姉妹会で分かった、一番ホットな情報なのでした。

というわけで、記念にここにも載せておくことにします。

業務連絡 - 四女ちゃんへ、
上の写真、ありがと。せっかく送ってもらったけど、アルバムに入りきれそうもないから、こちらに出しておくことにしますね。


でも、一番女王様がアップで撮れてたのは、四女ちゃんのカメラで、現場で撮ったもの。ちょっと編集したら、クイーンがそれらしく見えている写真になりました。(↓)


これは最初に女王ご夫妻が宮殿から車で、国賓トルコ大統領ご夫妻をお迎えにでかけるところ(らしいです。)











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次回は:

9)おりがみ

# by agsmatters05 | 2011-12-11 06:36 | Trackback | Comments(0) 

ふりかえる姉妹会(16)こぼれ話(5)-両親のこと

7)両親のこと。

誕生日は親を思い出す日、ブログ友、Marriさんから教わりました。
そのつもりで、この姉妹会物語が、ちょうど三女の誕生日にさしかかると、両親のことを書けるからいいな、なんて考えていたのは、甘かったです。というか、もう12月11日。いつまでも、楽しかった姉妹会のおもいでにひたっている間に、時間はどんどん先に進んでしまいました。三女M2の誕生日も過ぎてしもた。

われら4人を生んで育ててくれた両親のことを、一言で書くなんてこと、できないです。

セガ(三女ミチの長男)が生まれたとき、長崎の産婦人科医院に一緒に泊まり込んでくれた母が、遠い昔の思い出話をしてくれました。「5人目ができたけど、また女の子かもしれないから、産まないことに決めた」って。当時のお金で100円を父からもらって、母は一人で東京の病院へ出かけて行ったのだそうです。昭和20年代後半のこと、山梨県から東京へ行くためには、トンネルをいくつもいくつも通る単線の鉄道があるだけで、片道5-6時間以上かかったのでしょう。こんな話は、ほんとうに寝耳に水でした。母から直接打ち明け話を聞く機会なんて、そうあるものではないですから、この病院での会話は私にはほんとうに印象深いものでした。

母は女の子を四人産んで育ててくれたのですが、子供の頃、ある晩、コタツを囲んでみんなで家族団らんをしていたとき、「ねえ、アタシ、何時ごろ生まれたの?」と三女が聞くと、母はウッと答につまり、「覚えていないよぉ。」とだけ。覚えているのは、「なにしろあんた(三女・ミチ)のときは、家にお手伝いさんがいてくれて、すごく楽だったってことだけは、よおく覚えてる。」とだけ。

この場に及んで、両親が天国で私たち4人の姉妹会をみていてくれた、などと言おうとはおもいません。でも、われら4人を生んで育ててくれたことに、やっぱり感謝したいと思います。親がいてこそ、今の私たちが生きていられるわけですから。


追加です。


下の記事を書いたところへ、ブログ友のMarri姐さんが、コメントをくださいました。女ばかり四人、田舎の小規模地主だったとはいえ、農家で、昭和20年代、30年代といえば、物はなく、現金収入もままならない時代、国立、公立大学へならともかく、女の子を4人とも私立の短大、四大へ行かしたことで、ご近所様のお笑いの種になったのだそうです。

父が「教育熱心」だったから、だとおもいます。そして父も母も子育てに一生懸命、全力を注いでくれたんだとおもいます。祖父(利左衛門)の影響で、封建的な考え方を大事にしていた父は、まず家の存続を最優先したかったのです。農家は土地を分けたらつぶれてしまう、と言って。そのために長女に家のアトをとらせ、残る3人の娘達には、給料に男女差別のない教職をすすめたのでした。実家の世話にならなくても自活できるように、と願っていたのだとおもいます。

次女と三女が英語の教員になったのも、ほとんど父の発案でした。私は、「文学」というものに興味があったけど、大学の専門はなんでもいいや、ぐらいの漠然とした考えしか持ってなくて、父が「これからは英語をやっておくとクイッパグレないから、英語をやれ」というので、それにすなおに従っただけ、というのがなりゆきでした。


なんだか、話がずいぶん思わぬ方向に発展してしまいました。

もう一つ、両親のことでここに書かせてもらいたいのは、長女(われらが長姉、M1姉ちゃんのことですが)が生まれたときのことなんです。

長姉は、未熟児、体重が450匁、(およそ1687グラムぐらい)で生まれたのだそうです。母30歳、父33歳ぐらいでしたでしょうか。当時はふつう出産は自宅でお産婆さんに来てもらってすべて自力でやる(昭和16年)時代でした。このときに、両親の子育てへの情熱は、燃え上がったのだとおもうのです。近所から山羊の乳を買ってきては飲ませ、それはそれは一生懸命、必死になってこの未熟児の第一子を育てたときいています。この長姉は、中学校のときに健康優良児で県下第一位で表彰されるまでに大きく、立派に、健康に育て上げられたのでした。

というわけで、そのあおりを受けて、残る3人も子煩悩の父、母に育てられる恩恵に、引き続きあやかることができたといってもいいのでは・・・(笑)。とにもかくにも、そういう両親のおかげで、われらが姉妹会をもてることになったのは、誰もうたがうわけありませんよね。それにしては、もっともっと両親の話に花を咲かせてもよかったかも・・・。


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8)新聞記事の写真
9)おりがみ

# by agsmatters05 | 2011-12-11 06:34 | Trackback | Comments(1) 

ふりかえる姉妹会(15)こぼれ話(4)-おしゃべりの中味。

話題になったこと。

女3人寄ればなんとかというけど、四人集まったら、どうなるか、って聞いたことないですよね。
その4人が集まって、一緒に過ごした一週間。

シーザーじゃないけど、「来た、しゃべった、笑った。」てなもんです。

どんなことをしゃべったか。

とってもまとめにくいですけど、あえてやってみますね。

あ)空港で四女ちゃんの英語 - これが ケッサクでした。イミグレーション・チェック(入国管理)というのは、どこの国でもジョーダンじゃない。シンと静まり返った場内で、緊張させられる体験ですよね。四女ちゃんはよく準備をして(たぶん、地球の歩き方を読んでのことでしょう)、三女ミチの住所、電話番号をしっかりと印刷して持参。長姉は、ウン十年前のヨーロッパ団体旅行をのぞくと、はじめての海外旅行。今回、切符を買うのも妹M3にまかせたそうで・・・。

と言うわけで、四女ちゃん、係官にこういったそうです。 
「ウイー アー シスターズ。 トゥギャザー、 オーケー?」
つまり、二人一緒にパスポートチェックをしてもらいたい、いいかって。
願い叶って、無事二人一緒にこの入管審査をパスしたっていうめでたい話。
楽しきかな、姉妹会。ウイーアーシスターズ!

「ウイーアーシスターズ!」どこへ行っても、これは、とても役に立つことば、黄門様の印籠みたいなもんでした。特に観光地でカメラのシャッターを通行人にお願いするときは、いつもこの手でいきました。すると、みんなたいがいニコッと笑ってOKしてくれたのでした。

そうそう、特に盛り上がったのは、水曜日の夜。ビリーエリオット(ミュージカル)を見る前に、ビクトリアステーションの売店で、前日の女王の歓迎パレードの写真をのせた新聞を買おうとして、レジ前の長い列に並んでいたときのことでした。

この笑っている男(たち)は、みんなわがシスターズ・リユニオンの話を聞いて、喜んでくれていたのです。一人はカリフォルニアから、二人は東京から、4人そろって姉妹会をしてるのよ、というと、それはそれはだれもが喜んでくれたのです。おいらの親も3人きょうだいでみんは離ればなれになっちゃったけど、去年のクリスマスにスコットランドで全員そろったんだよ、一人はホンコンからかけつけてね・・・なんていう説明を長々と始めた人もいたのでした。

い)故郷の4人姉妹 - わが四人姉妹が生まれ育ったのは、甲斐の国の、今の名を笛吹市。その昔小さなお城があったそうで、地域の名前は文字通り「小城(こじょう)」でした。だいたい60戸の家があり、人口は?はてさて、半世紀以上も前の私の子供の頃と比べて、今ではずいぶん様変わりしていることでしょう。戦後のベビーブームで、私が小学校へ入ったとき、同じ小城地区から小学校へ行ったのは、たしか12人いました。おそらく今では、毎年一人いるか、いないかではないでしょうか。そういう地区で、実は女ばかり四人子供がいる家が3軒あったのです。その4人が、だいたい同じ間隔で生まれているので、長姉、次女、三女、四女ともに、同級生という家がほぼ3軒ありました。(一人だけちょっと学年がずれている姉妹も、ここでは目をつぶることにして。) なので、 それらの 四人姉妹は、その後どうしてるの?という話。なにしろ50年以上前のことですから、おぼろな記憶をたどりつつ、この話は、一晩たっぷり時間をとったことでした。もっとも生家の跡取りとなった長姉がもっぱら、みんなの質問に答える、というかたちではありましたけど。

う)子供の頃の思い出 -どんぐり林が怖かったとか、毎日学校から帰ると、家で飼っていた綿羊たちのために草刈りに行かされた話とか、小学校のころから、夜ご飯のための「ほうとう」を作らされた話。S姉ちゃんは小学生でこれができた自分が誇らしかったといっていましたが、三女の私も、今でもはっきりと覚えている場面がありまして・・・。(以下、これは、私の思い出で、姉妹会の夜はここまで話す時間がなかった。だってみんな、あれもこれも言いたいことをいうと、4分の一しか会話の時間がまわってこない!)

小学校の何年生だったか、わかりません。でも高学年ではなかったような気がします。とにかく、小麦粉を桶のような木箱からとりだして、大きなせともの製のボール(こね鉢)に入れて、水を加えてこねるところから始めるのです。こね終わったら、適当なかたまりに丸めて、鉄製のパスタメーカー(といえば、聞こえはいいけど、とにかく、真っ黒な機械(としか覚えていない)の、二つのローラーがぐるぐる回るほうの間に挟んで、ハンドルをまわすと、平べったくのされたドウ(小麦粉をこねたもの)が出来上がります。これを、2-3回繰り返したんでしたっけ?あるいは一回でよかったのか、うろ覚え。そして次に、この平べったいドウを、別のローラーにはさんで、ハンドルをまわすと、細い麺が何本もに分かれてローラーから下に落ちてくる、というわけでした。これを、当時は、プロパンガスの火(だったとおもう)にかけておいた大鍋に、水や野菜、ねぎやカボチャ、そして、ダシをとるための「いりこ」などを沸騰させておき、その中に麺を入れ、最後に味噌を加えて、できあがり。

これが「ほうとう」のレシピーでした。今、おもうに、子供の頃、これだけの「料理」をした(できた)のに、これが今の私の料理スキルにつながっているとは、まったく思えないのです。どうしてでしょう!? あれは「料理」というカテゴリーのイトナミ(行為)ではなくて、「親から言われてやらなければならない日課」、いわば「おつとめ」のようなものだったと思うのです。子供心にいっしょうけんめい教えられたとおりにやったこと、家族の日々の生活がそのまま私の世界にほかならなかった、のでした。(フム、ここから先、長いエッセイを始めることができそうだぞ。大発見。(笑))


え)親、親戚のこと
 ー もちろん、親の思い出、親戚のことも、たくさん話にでました。「大阪のおじさんはどうしてる?」というとき、これは、父母のきょうだいのことではなく、亡き父のいとこのことなのでした。「なおきおじさん」の話は、戦争が終わったとき、海軍兵学校に合格して新聞記事になった父の甥が、敗戦によって生きるすべを見失ったときの事情を復習するものでした。そのほか、父の父、父の母がどういういきさつで父を産み、育てたか。父の祖父に男ばかり7人の息子がいて、父はその長男の長男にあたるのですが、父の父が早逝したために、父はいちじ8男として祖父の籍にいれられたとか・・・明治にさかのぼる話ですから、みんな聞きかじり、うろ覚えの情報を寄せ集めて、ない知恵を寄せ合った、のでした。

お)それぞれの家族 - そしてもちろん、話はどんどん。飛びます。なんてったって、しょっちゅう行き会ったり、マメに便りや電話を交わし合える距離にいる四人ではないのですから。最後に4人で会ったのはいつだったか、と誰かに聞かれました。たぶん、2005年に山梨で、長姉の長女(私には、姪)が結婚したときが最後だったような。2007年に三女の長男(セガちゃん)が結婚したときには、山梨の長姉は出席できず、義兄と甥が京都に来てくれたので、4人で会うことはできなかったのでした。カリフォルニア、東京、紅茶国、山梨、みんなそれぞれの場所で、それぞれの持ち場を守っていきているだけで、盆暮れの付き合いも、誕生日のお祝いもかなり、ご無沙汰続きの姉妹をしていたのでした。それぞれの持ち場に、それぞれの家族がいて、たいがいは 笑い話で落ちがつく気配ではありましたが・・・(書きすぎると、クレームが来そうなので、ここでカット。笑)

か)まとめ 
ー だいたいは、過去の思い出話が多かったです。あとは、身内、家族、親戚、隣近所のこと。いわゆるゴシップ。天下国家を論じる、なんてことはありえなかったです。(笑) シェークスピアの「ハムレット」だけは、三女ミチの独壇場でしたねえ(笑)。 でも、これは ストラットフォードのみやげ売り場での出来事でしたから。

子供の頃の話をしたとき、必ずしも長姉が一番物覚えがいいか、というとそうではないんですよね。これはちょっと意外でした。てか、長姉は高校卒業後、東京の短大に行き、そのあと7-8年(?)、大田区の中学校で体育の先生をして、家を離れていたのでした。その間、次女はしばらく親と一緒に暮らして、山梨の中学校で英語教師をしていましたから、親のことをよく知っていたり、なのでした。特に、わが家の前に サクマさんというご家族が住んでいて、そのメンバーの一人ひとりについては、私は、名前さえ出てこないのに、3姉妹、特にS姉ちゃんなど、ひとりひとり、よく覚えているので、ビックリしました。




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あとは次回に。

7)両親のこと。
8)新聞記事の写真
9)おりがみ

# by agsmatters05 | 2011-12-11 06:33 | Trackback | Comments(2) 

ふりかえる姉妹会(14)こぼれ話(3)-おみやげのこと

とにかく、「3人がヒースローに到着したら大成功、その後は何がどうなろうと、(野となれ、山となれ)知るもんか、知らん」というホステス・ミチの気構えで望んだ一週間の姉妹会だったのですが、3姉妹がはるばる遠くからもって来てくれたお土産の質、量に、いまだに圧倒されている三女、わたし。


全部は書かない、書けないので、取りこぼしもあるとおもいますが、とりあえず思いつくままにメモっておこうとおもいます。心から感謝をこめて・・・。 上の写真も、時間がないから、という思いでそそくさとカメラに納めたので、撮れてないものがたくさん(悔)。



文房具類〈筆ペン、文字練習帳、そろばん、おりがみ、折り紙作成カッター(なんてものも。←つかったよ。使えますよ。面白い。折り紙がなくなったら、生徒らはこれを大いに活用させてもらうことになるとおもいます。すでに、コチラの生徒らは、紙さえあれば、白くても、色つきでも、四角に切って折り紙用紙に利用してます。日本のようにふんだんに物がある国じゃあないから・・・。(笑)
乾燥、保存食品 (お茶、玄米茶、抹茶、梅干、みそ、桃のジャム、わかめスープ、うどんなどのめん類)
菓子類、(羊羹、せんべい、チョコレート類、ピーナッツブリトル←これが止まらない、止められない。一日ひとかけら、しかも小さいのからいただく、と決めてます。)
韓国海苔、魚の干物、出しの素、ふりかけの素、



こんなにたくさん、私一人がいただいちゃっていいのでしょうか? 姉妹愛(きょうだいあい)だ!
昨日(12月10日、金曜日)、メグに郵パックのミドルサイズボックスで一箱おすそ分けを送りました。〈芋ケンピ、バイバイ、もどってきてもいいんだよ。戻っておいで(笑)。)

四女ちゃんは、来るときも帰るときも、荷物が重くて、超過料金を払わなければなりませんでした。

ところがここで、大発見。長姉と四女ちゃんはブリティッシュ・エアウエイズ(英国航空)の直行便で来たのですが、預け入れ荷物は23キロまでとか。 帰りの荷造りをするとき、長姉はスーツケースを軽くするため、本類などの重いものを手荷物用〈機内持ち込み用〉のカバンにとり分けていました。四女ちゃんはその逆。機内持ち込み荷物は紅茶の箱のみで、かさばるけど、手荷物は軽くしていました。その分、スーツケースが重い。結局、帰りの搭乗手続きをしたとき、M1姉ちゃんの荷物は制限重量23キロをオーバーすること3キロの26キロ(だったような)。四女ちゃんのスーツケースは6キロオーバーの29キロ(たしか)。ところが超過料金は、23キロ以上31キロオーバーまで一律の40ポンド=5200円だった。というわけで、二人が航空会社に払わなければならなかった荷物の超過料金は、二人とも同じ金額だったのでした。そうと分かっていたら、どうせ超過料金を払うつもりなら、もっと重くしておいてもよかったかも、なのでした。郵便でこれだけの重さのものを送ることを考えたら、9キロオーバーの5200円って、安いものかもしれません、よね。長姉は渡英前に妹達の食べ物の心配をして2箱も大きなダンボール箱で食料品をいっぱい送ってくれたのですが、その料金ときたら、7000円、9000円。目が飛び出すほど高い!とても、パートタイマーミチはそんなお金を使うことはできません。船便にするか、送らないか。実物よりも送料のほうが高い送りものって、ほんとうに必要なの?って考えてしまう貧民、庶民のミチでした。

でもね、こんなとこでナンですが、4人姉妹の中で一番カネマワリの割りがわるいのが、どうやら三女みたいです。紅茶国という国柄がそうさせるんだという一面もあるとおもうのですが。こちらでは、日本で軽く「宅急便」とか「タクシー」というようなことが、ありえないのです。ガソリンスタンドのじょうごにしても、ペットボトルをちょん切ってお店の人が使わせてくれるのが、紅茶国流。特に工業製品は、日本のように進んでいないのです。二言目には、「タクシー」という姉妹たちに、私は正直言って、カルチャーショックを覚えました。こちらの人はそんなことにお金を使わないって。毎年仕事を休んで2週間、3週間とホリデーに行くために、せっせと日常生活を倹約するのが紅茶国流。そこへいくと、日本って、お金、使いすぎてませんの?

別の言い方をすると、今回私はつくづく、もっとお金があったら、豪華旅行を姉妹にさせてあげることができたのに、ふがいないなあ、と思わずにはいられなかったのも事実でした。お金に縁がないように、産み落とされ、育てられたような気がします。ま、しっかたないっすね。まじめで、じょうぶで、健康で、元気に動ける(働ける)ことに感謝して、負け惜しみじゃなくて、与えられたものに感謝して、幸せを味わえる、そういういじましい星の下の、すがすがしい人生。ビバ!われらがビンボウ・シスターズ。

(なんていっちゃってよかったのか。)

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以下、次にまわします。

6)話題になったこと。
7)両親のこと。
8)新聞記事の写真
9)おりがみ

# by agsmatters05 | 2011-12-11 01:59 | Trackback | Comments(2) 

ふりかえる姉妹会(13)こぼれ話その2.Food

かれこれ2週間が、もう過ぎていってしまいました。楽しかった姉妹会から・・・。ダジャレのうまい長姉のだんなさんがきっと一回は口にしてるはず。これで「シマイカイはおシマイカイ」って。いえいえ、そんなことはありまっせん。始まったばっかりですぞ。義兄(にい)さん、お覚悟を!(笑)

ジョーダンはともかく、あの1週間の間に食べたもの、食べなかったもの・・・いまだに思いはそこに飛んで行ってしまいます。しょうこりもなく・・・。

よって、
A.  姉妹会、開催中に食べたもの
B. 姉妹会、開催中に食べられなかったもの

の2つに分けて、ここに記事をまとめておこうとおもいます。

まずは、A。みんなで食べた思い出の食べ物集!

1)最初の夜-これはもう、書きました。
豚汁、しうまい、ポテトサラダ・・・。はいはい、これには写真がありますよ。

↑の写真の上右、楕円形の白いお皿にボソッとのせてあるのは、ほかならぬM1姉さんの手作りの奈良漬け。それはそれはとろけるようにおいしうございました。画面右の黒っぽいビンに入っているのが、大根の小夏漬け。このほかに、もうちょっとなにかあったと思うけど、思い出せない。いちおう、好評のうちに最初の夜の宴はおわりました。みんな長旅で疲れているので、とりあえず次の日の行動を相談して、眠りについたのでした。といっても夜中過ぎ、1時か2時ごろでしたっけ・・・。

そうそう、食事の後、次の日に舟に乗ろうと決まったところで、いちおうホストのミチ。せっかくたくさん炊いた白ご飯でおにぎりを作っておきました。乾燥梅干を小さくきざんでドライにしたもの(おみやげ)を混ぜ込んだり、なにやら味付けふりかけなどを混ぜ込んで、軽くまとめておきました。

これ、いちおう作戦、成功でしたよね。
12時から2時間の予定で乗った舟のなかで、一人二個ずつ、なかよくいただきましたっけ、ねえ。そうそう長姉M1のお土産の、「ごぶ漬け」っていいいましたか、たくわんの半分乾燥したようなもの。一切れずつ袋にはいってて。おいしかった。

ほうとう ー 次の日の夜は、運河でボートに乗った後、比較的早く帰宅しました。山梨の長姉が持参したほうとうを、前の夜の豚汁を一部再活用して、4人でおいしくいただきました。ほんとうは、カボチャがあると、「カボチャほうとうってサイコー」とふつう言われているのですが、何しろここは異国、海外。日本の食材が何でもそろうわけありませんからねぇ。

火曜日の昼は、3姉妹は、現地人三女のアドバイス(言いつけ!?)をまもって、ロンドンはピカデリーサーカスのそばにある三越の地下レストランで和食を食したそうでした。昼定食かなんかだったそうですが、夕方6時過ぎC村に帰ってもまだおなかがすいてないと。でもって、この夜は、ヒースロー出向かえ前の豚汁+シュウマイ作りと同時に、三女がビーフミンチを使ってミートソースを作っておいたので、スパゲティーをゆでてかるくスパゲティーミートソースで済ませました(っけ)。写真なし。

抹茶 - これは、水曜日の午後、ミュージカルを見に行く前にいただきました。

M1姉ちゃんのけっこうなお点前でございました。おいしかったぁ。羊羹もお抹茶も・・・。

とりあえずの食事 - ミュージカルの前のコーニッシュパイ(水曜夜)。木曜昼のハンバーグサンド、金曜昼のフィッシュアンドチップス。いずれも、とりあえずの、簡単なもの、粗食でした。時間がない、というのがその大きな理由。最後の夜は、塩豚、ソーセージ、納豆、玄米粥。それにコーヒーケーキをデザートにしましたっけ。このときのことで、ちょっと忘れられないことが。

ストーンヘンジからみんなしてC村に帰り着いたとき、まだ四人とも車から出る前のことでした。「何たべようか」という話になりました。三女の私が、「玄米粥と塩豚を作れるよ」というと、すかさず、隣の席のM3ちゃん。「あした飛行機にのるからね。おなか、こわしたくないのよねえ。」ですって。キョウダイってこういうことを平気で言い合える仲だったんですねえ。私としては、玄米粥と塩豚をつくるのをやめようかと一瞬考えた後、いいや、食べる人だけが食べたらいいやん、と気をとりなおした次第。(結局は、みんなそろって、無事宴はおわりました。もちろん、黒ビール(ギネス)や、赤ワインも一緒に。

だいたい四女ちゃんはものすごい怖がりやさんで、三女の運転が危なっかしいって、ドライブ中そりゃそりゃハラハラドキドキしどおしでしたねえ。M1姉ちゃんと二人で成田からヒースローにくるときもしっかりと懐中物にきをつけろって、それはそれは警告が行き届いていたそうな。渡英の直前のM2へのイーメールでも、いろいろ心配なことが多くて、無事(日本に)帰れるかどうかわからなくなってきた、と書いてきましたっけ。そういえば、四女ちゃんは、子供の頃、果樹地帯で大きくなったのに、ぶどう園などで使われるすずめ脅し、すなわち爆音機の爆音が耐えられない、怖いって、戸外にでることもいっさいせず、耳をふさいでおびえていたのは、相当有名な話でしたねえ。(実は、こういう人に限って、いったん味をしめるととことんそれを追求するという傾向があるものです。よって、おそらく3姉妹のうちで、もう一度(またはすぐ)紅茶国に来れそうなのは、きっとこの四女ちゃんではないか、と私はふんでおります。とくに、四女ちゃんのハビー〈おっと〉ちゃん〈義弟)には、「ロンドンパブ飲み放題券」ならぬ、「ロンドンパブ回数券」「もしくは「団体割引券」が約束されているのですから(これについては、コチラ に書きました)。それに、今回、国際免許証を持参して4-5分だけとはいえ、紅茶国で運転をしたのは、この四女ちゃんだけでしたから。⇒そうだ、ラウンドアバウトについても書いておかなきゃ。)

臆病なくせに度胸がいい、という人間の性格については、遺伝子のせいかもよ、という話になった夜もありました。人はみんなある程度怖がりな面と、度胸のすわった面を、両方持ち合わせてるものよ、といった結論になったような気がしますが、それにしてもこの4姉妹、4人とも、おっかながりのくせに、気がつよくて、という面では、似たり寄ったりかもしれません。「血」、なのか・・・。

B。「あれもこれも食べさせてあげたかったのにぃ。」特集

つまり、食べられなかったもの、あれこれです。

今でもなお後悔に近い感情で、食べ物について考え続けています。ああ、これを食べさせてあげたかったのにぃ、とか、そうだあれも食べてもらいたかったじゃん・・・と。

玉葱と豆腐の煮付け : これはマクロビ風に、ただ鍋に玉葱の千切りと丸ごとつぶした豆腐と少々の油、醤油だけを混ぜて、ことこと炊くもの。料理なんてほどのものじゃないけど、玉葱の味がよく出て、すき焼きを食べている気分になるほどいい味がでます。シンプル イズ ベスト の一品。

朝ご飯、シリアル+ブルーベリー : これってふだん私が朝食にいただくもの。姉妹会開催中は、これが食卓に一度も上がらなかったのでした。なぜかというと、私が一番先に起きた朝は一日もなかったことが原因。早起きの3姉妹がさきに、パンやコーヒーや果物を用意してくれていたので、タイミングが合わなかったため。シリアルというのは、もちろん、ウイートジャーム(胚芽)で、それにちょっとコーンフレークなどを混ぜて、ブルーベリーを載せて、ソーヤミルクか牛乳で、というもの。毎朝これをいただきながら、これを食べさせて上げられなかったという悔いが残ってしまいました。

パスタ (ピザ) または 粉物 
: 時間があれば、HB(ホームベーカリー)で粉をこねて、ピザか、中華まんでも作って、食べてもらいたかった。

アップルパイ 
: これは前々日に大きなパイレックスのボールに十人前ぐらいの分量で作っておいたんです。〈そう、チャツネ を作るため、りんごをたくさん買い込んでいたので。)でもって、これを、ガレージにある冷凍庫に入れておいたために、出すのすっかりを忘れた、というわけです。もっとも、時間もなかったし、3人ともおなかがすいてない、という夜が多かったこともあったのですが。

シェパーズパイ : ひき肉をたくさん用意しておいたのは、イギリス料理を食べさせるとしたら、何がいいか、と考えて、大きな肉のかたまりをローストしたものもいいな、とおもったのですが、なにしろ時間がない! シェパーズパイなら作りおきできるから、と思っていたのですが、タイムアウト。この「羊飼いのパイ」は、結局3姉妹合作のハンバーグになってしまったのでした。もちろんこれも、とってもおいしかったのですが。

食べさせたかった、食べてもらいたかった料理を書きつらねておりますゆえ、当然、ここには写真が載せられません。これらはどれも、ふだん、またはときどき、またはよく、私が作る料理なので、ほかのページを探せばどこかに写真はあるはず。でもまあ、とりあえず、簡単にシェパーズパイについて、レシピーを書いておきますね。 -- ひき肉と玉葱のみじん切りをいためて、味付けしてひたひた程度の煮汁で煮込んでおき、オーブン皿〈深め〉の底にそれを敷き、その上にマッシュポテトをたっぷりとのせる。場合によってはおろしたチーズを上からたくさんふりかけてもグッド。それを食べる前にオーブンで焦げ目がつくほど焼くというか温め(温度にもよりけりですが200度Cで20-30分)て、熱々を食べてもらう。ひき肉が上質であること、玉葱がよくいためてあること、味付け〈隠し味〉に、トマトケチャップ、ウスターソース、塩胡椒はもちろん、タイム、オレガノなどのハーブ類をたくさんいれて、スープストックなどと一緒に、汁がだぶだぶにならないほどに煮込んでおくのがいいとおもいます。市販のグレイビーソースを使うのも可。

お赤飯 : 小豆も買っておいた。もち米もあった。でも、炊飯器は結局最初の日に使っただけ。前に作ったお赤飯〈まがい〉の冷凍したのもあったのですが、3人が帰ったあとに一人でそれを取り出して、食べたときに、なんとも残念な気持ちでした。

五目混ぜご飯 : これも、みんなが帰ったあとで作りました。乾燥しいたけを戻しておいたのに。人参と油揚げといっしょに、おでんの素を一袋入れて、4号ほど炊きました。全部おにぎりにして、毎日お弁当に持っていくと、かれこれ4-5日は、こればっかりになります。学校にもレンジがあるので、温めて食べました。具が多いとおかずもいらないほど。お土産にいただいた梅干をふんだんに添えて、すっかり和食にはまった姉妹会後の三女でした。

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以下、次回にまわします。

5)おみやげのこと。 
6)話題になったこと。
7)両親のこと。
8)新聞記事の写真
9)おりがみ
10)ラウンドアバウトのこと(追加しました。)

# by agsmatters05 | 2011-12-09 09:46 | Trackback | Comments(0) 

ふりかえる姉妹会(12)こぼれ話、あれこれ

「落穂拾い」です。
蛇足かな、ともおもいますが、忘れてしまわないうちに、細かいことながらいくつかメモっておくことに。

1)夢 -- 帰り道でのことでした。ストーンヘンジから、C村に向けて、A303という道路を走行中、運転手三女がちょっと唐突に、言いました。「ねえ、4年後にまたやろうよ。」するとしばらく間をおいて、長女がいいました。「生きていたらね。車椅子になったり、認知症になっても、だれか面倒見てくれる?」「小さいときに学校へいくとき、おんぶして連れてってもらったんだもの、もちろん、面倒見るよ。おれいに、ね。」誰も反対意見はでなかったけど、「どこで?」がまとまりませんでした。「日本のだれも行ったことのない場所にしようよ」という人もいました。(次女だったかな。)それから、カリフォルニアのなんとかという特別な美術館に最近急に注目しはじめた長姉は、そこも候補の一つ、といったような。「シベリア横断鉄道もいいじゃん」はわたし。イギリスだって、湖水地方の山や湖だっていってみたいとおもっている人もいたようでした。結局場所は決まらなかったけど、3年先ぐらいにこの話がぶり返せば、きっと姉妹会No.2があるかも、です。


2)カメラのこと。ーーカメラについては、おかしいことがありました。クイズの答になってしまうけど、長女はカメラは持ち歩かず、時間があればスケッチブックを開いて絵を描くことが好きで、また絵が上手な人でした。後の3人はデジカメを始終持ち歩いていました。次女も四女も、ハビー(おっとちゃん)からしっかりと講習(!?)を受けて、5000枚撮っておいで、と言われてデジカメを持参してきました。ところが、S姉ちゃんのカメラは到着後二日目のロンドン見物中、しかも今回のハイライトでもある女王のお出ましよりも前に、バッテリーが切れてしまい、その後充電がうまくできなくて、ブリストルのB&Bの夜まで撮影ができませんでした。わたしのカメラも、うかつにも、シェークスピアの生家の前で2-3枚撮った後、その夜、宿で充電するまでアウトでした。四女のカメラのバッテリー切れは、最後の日バースで「お風呂の写真をたくさん撮りすぎたため」とのことでした。

ところで、バッテリーはともかくとして、カメラで大笑いしたことがありました。全員到着そうそう、C村のキッチンで、四角いテーブルを囲み、さっそく記念写真を撮ろうということになりました。四女がおもむろに、ハビーが用意してくれたという簡易三脚、つまり三本の脚が自在に形を変えてどこにでもカメラをすえつけられるという折り曲げ式の三脚をご披露。これで、4人がそろって被写体になれる、と言うので、カメラを一つの椅子の上にすえつけて、「さすがだね、ハビーちゃん、こういうものがあるんだね。すごいネエ。」などといいながら、いざ4人がカメラの前、テーブルの反対側に並ぼうとした、そのときでした。(3人はしっかりと並んでポーズをとりはじめてました。)そして、いざ自動シャッターボタンを押そうとした四女、「あれっ?自動シャッターの操作はどうやるんだっけ?」

これは、今回の姉妹会最初で最高のずっこけでした。

もっとも、四女とハビーちゃんの名誉のために付け足しておくとすれば、旅行が終わるまでには、四女のM3ちゃんは自力で操作方法を探し出して、(そのあとですぐバッテリーが切れたけど、笑)、結局、最終日の朝、空港までつれてってくれるタクシーが来る前、6時半ごろ、4人だけしかいないのに、4人がそろった写真を撮ることに成功したのでした。


どうして私だけ、両手を膝の上で組まなかったのか、ちょっと残念な気もします。

3)お金のこと。ーー については「ビリーエリオット」の架空の切符購入という私のヘマ以外、とくに大きな問題はなかった(ホントかなあ?笑)のですが、次女のS姉ちゃんが両替のタイミングを逸して、ドルから ポンドに換えることがうまくできず、銀行めぐりをしたり、楽しい買い物ができなかったり、ということはありました。1ポンドは130円、1ドルは77円なので、そんなら、ポンドとドルの両替はどうなるの?という話になったとき、1ドルが1ポンドにならない、3ドル出しても2ポンドにしかならない、1ドルがたったの67ペンスだって。これがS姉ちゃんにはどうしても受け入れがたいことなのでした。物価を見ても、ポンドとドルをそのまま入れ替えてもいいくらいの値段なのに・・・って。そのせいか、S姉ちゃんはずっと、ポンドのことをドルと呼んでいましたっけねえ。(笑)




以下、次へまわします。

4)食べ物のこと。ーーこれについては、別に一回分の記事としなくては。
5)おみやげのこと。 -- これも同じく。
6)話題になったこと。
7)両親のこと。
8)新聞記事の写真
9)おりがみ


# by agsmatters05 | 2011-12-08 06:13 | Trackback | Comments(0) 

ふりかえる姉妹会(11)ストーンヘンジ



われらが姉妹会、最後の観光地となりました。

ストーンヘンジというのは不思議な場所で、何度も来ているのに、毎回、なんか「オーサム」というか、畏怖の念を覚えさせられて、ああきてよかったと思わせられる場所です。

今回も天気に恵まれて、午後の後半と言うタイミングもよく、たくさん写真をとりまくり、古代に想いを馳せてひと時をすごすことができました。

バースもストーンヘンジも、日本語の音声説明が入場料に含まれているので、私たちは終始それに耳を傾けて、熱心に勉強しました。でも、おぼえていることは少ないなあ・・・(笑)



不思議な場所だというのは、だだっ広い丘陵地帯を車で走っていくと、突如、この石のモニュメントが見えてきて、ワーォ、という感じにさせられる、というのもその一つ。

着いたのは何時ごろだったか、まだ陽がでていました。(たぶん、3時半ごろ?)。したがって観光客もだいぶいました。ここは、入場料をはらって、モニュメントの周りをぐるっとまわって帰ってくるだけ。ほとんど、最初から最後まで、通路は目に見えている感じです。でも、やっぱり広いから、ていねいに説明を聞いて、ところどころ写真を撮ったりしていれば、有に30-40分はかかる大きさです。


だんだん近づいてきました。もちろん、モニュメントに近づくことはできません。ぐるりと鎖がはりめぐらしてあり、その外側を人がいっぱい。


だれが、いつ、どうやって、なんのために、ここに石を運んできて、こういうものを築いたのか?分かっていることはほんとうに少ないみたいです。紀元前3000年前といえば、日本の弥生時代・・・・?



ストーンヘンジの写真ばかりをたくさん見せてくれる グーグル イメージサイト は コチラ。 借りてきて使わせてもらいたくなるような写真がたくさん載せてあります。

Allabout (オールアバウト)というウェブページ で、長谷川大さんという方が「ストーンヘンジ/イギリス」について、分かりやすく上手に書かれていると思います。


だんだん陽が傾いてきて、


太陽が石と石の間から見えるようになってきていました。これが、月毎に、どの石とどの石の間から見えるかが違ってくるのだそうです。



陽がでているのはありがたかったけど、とにかく、とってもとっても寒かったです。

そして、ここでもまた駐車場で、ボンネットを開けて、エンジンオイルを注いで、あとはひたすら帰路にむかったのでした。C村帰宅は、たしか7時前だったとおもう。オックスフォード近辺で20分ぐらいのロスタイムがありました、けど、どこにも寄らず、C村にかえってきた。トヨカロはもう湯気を噴いていたのでした。

サンクゴッド!ありがたや、という感じで、無事故で済んだのは、今から考えれば奇跡的というべきだったのかもしれません。              天の助け、というか・・・・         もしも、「いと高いところ」で誰かが、なにかが 助けてくださったのだとしたら・・・  まじめに、一生懸命、いじましく、バカがつくほど正直に             生きてきた      われらが4姉妹を守ってくださった・・・   というのは、いいすぎかナ?

# by agsmatters05 | 2011-12-07 07:37 | Trackback | Comments(2) 

ふりかえる姉妹会(10) バース観光(写真たくさん載せました。)

キーンシャムのペトロールステーションから バースへ、約7マイル=12キロあまりを20分ほどかけて走りました。バースの駐車場をさがして、すこしシティーセンターをぐるぐるしたあと、川を渡ったところにある駐車場にようやく車をとめることができました。駐車は、およそ2時間半の予定。

バースは、ストラットフォードやブロードウエイよりも大きくて、しゃれたお店も多い、なかなか粋な街でした。おみやげやさんも多かったです。でも目指すは、バス・アビー(修道院)と、ローマ浴場遺跡。この二ケ所を見学できれば、十分でした。ロンドンについで、2番目に観光客の多い街だそうです。

なにしろ、今日が旅の最後の一日で、翌日は朝早くヒースローへ向かわなければなりませんでしたから、バースのあと、ストーンヘンジを見て、早めにC村に帰り、パッキングをしなければなりません。先を急ぐ心は3姉妹みな同じでした。

バースの修道院(バース・アビー)は世界遺産に登録されている大きな修道院(教会)の建物でした。入場料は無料。入り口で寄付を大歓迎と説明してくれる人もいましたが。

コチラ にはたくさん写真がのっていました。

旅スケ というサイトには
【バース・アビー 基本情報 Bath Abbey】  最初の統一イングランドの王エドガーが、993年に戴冠式を行った由緒ある教会。676年に修道院として建てられ、1499年に再建された。壁の80%が窓で、キリストの生涯やエドガー王の即位の様子が描かれた色鮮やかなステンドグラスになっている。西壁のファサードには「天国への階段」が彫られている。

という説明がありました。993年といえば、日本では、藤原道長の全盛時代。枕草子や源氏物語が書かれた頃とほぼ同じ時期になりますか。







ここを出たら、次は「ローマ浴場遺跡・博物館」。旅スケのサイトによれば、これは:
【ローマン・バス 基本情報 The Roman Baths】  紀元前1世紀頃にローマ人が造った浴場の跡。古代ローマ時代には各地に公共浴場が建設されていた。イギリスにも浴場跡はいくつかあるが、サウナやプールまできれいに修復された大浴場はここだけだ。この遺跡が発見され、再現されたのは19世紀末のこと。今も天然の温泉が湧き出ているが、博物館として公開されているため入浴することはできない。


同じく、こんな説明も。旅スケ
ローマンバス(2011年 8月17日)このローマンバスは、オーディオガイドを借りてゆっくり見学したいところです。あの巨大なローマ帝国が威信をかけて作ったこのローマンバスですのでローマ時代の技術が使われています。ここのお湯に触ってみましたがとても温かいのに長い年月のあいだ、噴泉させて来たことが不思議でもあります。よく枯渇しなかったのですね。


「旅行の口コミサイト、フォートラベル」 では、もうちょっと詳しい説明があります。




とまあ、外はいいお天気で青空がもったいないほどだったのですが、博物館の中に入ればみんな、こんな(↓)具合で移動しました。(笑)


日本語の説明があるので、ありがたいことでした。いい勉強になりました。(いいえ、日本語の勉強になったというわけではないのですが、、、、笑)片手に音声案内受信機、もう一つの手にデジカメで、どちらも手がふさがったまま、歩きました。

どうして、この地に温泉が? -- 地球の動きの中で、数千年前に地表にふった雨が地下深く染み通っていき、地球の中心のマグマの熱で温められて、また岩盤の割れ目から吹き出してきているのだそうな。


お湯の温度は46度。今は誰も入浴に使っている人はいないみたいですが。


とにかく、ローマ人が住んだ時代は一度は完全に地中に埋まってしまい、18世紀に保養地として栄えながら、発掘作業もどんどん進められてきたみたいでした。

発掘現場の写真はたくさんあって、ここに載せきれないほどですが、こんなの(↓)とか

こんなの(↓)もありました。


きりがないほどでした。
いったん、博物館の外に出て、おみやげやさんに入りました。


けっこうこの店(↑)では、M1もM3もしっかりとおみやげをみつけることができたみたいでした。免税証明書までもらったりして。

このお店をでたとき、ちいさなハプニング。4人の中のひとりが、あれ、カメラがないっ!と言い出して、あわててました。博物館のおみやげ売り場まで戻ってみてくると言って走り出し、しばらくして戻ってきたのですが、結局、自分が持ち歩いている袋の底にはいっていたんだって。ま、笑い話ですんでよかった。ハテさて、クイズ、このカメラをなくした、と言った人は4人のなかの誰だったのでしょうか?長姉、次女、三女、四女、と言う具合に答えてください。正解者には、トワイニングの紅茶をさしあげます。

お昼ごはんはフィッシュ&チップス。駐車場のそばの野外テーブルで、そそくさといただきました。

たら(コッド)の白身の大きいフライとポテトチップス。4人でもくもくといただいたのでした。

さて、つぎはいよいよストーンヘンジだ。いい写真がいっぱい撮れたような気がするんだけど・・・。ここに載せたら、あまり変わり映えがしなくなってしまうのかな・・・

# by agsmatters05 | 2011-12-05 21:39 | Trackback | Comments(6) 

ふりかえる姉妹会(9) ブリストルでメグと合流、5人で晩餐

結果的にはこの日(24日、木曜)の夕食が、今回の姉妹会中、唯一のフルコースディナーでした。

コッツウォルズから 車をとばすこと、約1時間半。M5 という高速道路を南下し、 ロンドンーカーディフ間を横につないでいる M4 という高速道路(モーターウエイのMです)との合流地点に至りました。

とばすといっても、暗い中を同乗者を3人乗せてはしるので、一番早い追い越し車線ではなくて、真ん中の安全車線を自粛して走りました。私としては、慎重を期したつもりでしたが、、、。

さて、数年前にメグからクリスマスプレゼントとしてもらったサテライト・ナビゲーション・システム 「トムトム君」は、いつも大活躍なのですが、このときなぜか、M4道路に入って、東へ進路を取れというのでした。

いつもはM5を直進して、ブリストルの西側(M4出口20)からブリストルに入るのですが、どういうわけか、トムトムはM4(出口19) ⇒ M32 のルートのほうがメグの住所に近いとおもったようでした。ともかく無事、トムトム君のおかげで、メグのフラット(アパート)に着いたのはもうあたりは真っ暗になった6時半ごろだったでしょうか。

今回、紅茶国の道路を走って、日本やアメリカから来た人たちはみんな、イギリスが路上駐車だらけなのに、とても驚いていました。ブリストルのメグの住んでいるあたりも狭い道の両脇に車がびっしりと駐車してあり、真ん中をようやく車が一台だけとおれるというような道路の状態になっていて、姉妹はあきれていました。(残念ながらその写真はありませんが⇒メグさんへ業務連絡、これを読んだら、ブリストルの路上駐車の写真を一、二枚撮影して、添付メールで送ってくださいませんか。後からここに追加しておきたいのです。姉妹会の記録として、本にするためにもね、(なんちゃって。)よろしく。:D)

あんな景色、ちょっと日本やアメリカでは見られない景色だとういうことに、地元民はなかなかきがつかないものなんですよね。

メグのアパートの写真は、
とか、
とか
こんなん(↑)もありました。M3ちゃんのアルバムからです。全部暗闇で撮ったので、かなりシュールになってます。何回も自動修正をほどこして、ようやく灯りがみえてくるまでになったところを縮小、保存したものです。

短い時間でしたが、お土産をわたしたり、メグのアップル(ラップトップ)でS姉ちゃんのバージン航空のコンファメーションをしたり(結局できなかったけど)、全員トイレを借りたり、あわただしい出会いでした。そうそう、宿泊予定のB&Bの電話番号も、メグのインターネットで探し出してもらって、到着が遅れる(夕飯の後になる)という連絡をいれたのも、このときでした。

つかの間のメグのフラット訪問でしたが、山梨の長姉の心配りで、みんなでめずらしいお菓子をいただきました。その名を、「月の雫」(つきのしずく)。(写真↓の白いかたまりのお菓子です。)



生のぶどうを砂糖のシロップで包んで固めたお菓子なんです。ずっとむかし、生まれてから高校を卒業するまで、甲州、甲斐の国に住んでいた4姉妹にとって、それはそれはなつかしいお菓子でした。M1姉ちゃん、ありがとう。ごちそうさまでした。(←と書いても、実は4姉妹中、インターネットアクセスをもたないのが唯一、このM1姉ちゃん。連絡はいつも 長男(甥)の携帯メール。その甥のM君はたぶん、いそがしくてこんなブログ読んでるヒマなさげ。)

上の写真の左側は 信玄餅という名前のお菓子で、くず餅をきな粉と黒蜜で混ぜながらいただくようになっています。これも「ききょうや」という製菓会社(菓子店?)が郷土の銘菓として、売り出しに成功した、好評のお菓子です。これは S姉ちゃん(次女)の3人の娘達(3人とも日本語はできないけど)がだいすきなお菓子なのです。4姉妹の集合は、おみやげもあっちへ行ったりこっちへ行ったり、仲良く奪い合い(笑)、わけっこ、とりっこをしましたから、信玄餅もアメリカとイギリスで半分こ、でした。でも、月の雫は一人一個ずつその場でいただきました。

固い砂糖の塊をかみくだくと、ぶどうのジュース(汁)が口の中にひろがって、びっくり。砂糖のかたまりを噛んでいるのに、その甘さにぶどうが負けてないほど甘いのが驚きでした。子供のときはよくこれをいただいていましたっけ。

そして、その場でメグが予約を入れた近場のレストラン(名前忘れた)に、5人みんなで歩いていきました。

こんな(↑)感じでメニューを物色中。


サラダとパンを前菜でみんなでシェアしてから、


こういうの(↑)をいただいた人や、

こういうの=シーバス(↑)をいただいた人や、

こういうの=ポーク(↑)をいただいた人がいました。

デザートは二人がパス。3人はいただいたのですが、写真なし。残念。
最後に5人そろって、出口で記念写真(↓)。

5人の首の上の満面の笑顔をご想像くださいまし(笑)。

それから、メグと別れて、予約しておいたB&B(ベッド&ブレクファースト)に行きました。
トムトムを頼りに行ったけど、ちょっと目的地がずれて、すこし時間をとられてしまいました。

しかもインターネットでブリストルのB&Bを検索したのですが、最初に電話したブルネイ・ゲストハウスというところが満員で、そこと同じ系列だというこの マラゴB&B.去年の8月にできたばかり、というので、ウエブサイトの写真どおり新しくてきれいだったけど、残念ながら、ハズレでした。

ま、値段が値段なので、そんなもんかな、とはおもいますが、4人で一部屋、まとめて80ポンド。一人20ポンド=約2600円というのは、かなり安いですよね。でもこれは、実は素泊まりの値段で、朝ご飯は別払いだって。そんなこと、知りませんでした。B&Bといえば、全部朝ご飯付きだとおもったのに・・・。

せっかくイギリスの農家風のふるい家を改造したようなB&Bかゲストハウスで、典型的なイングリッシュブレクファーストを体験してもらうつもりでしたのに、このプランはまったく はずれてしまいました。


これ(↑)は、部屋の4分の一。翌朝M3撮影。

しかも、全館インターネットOKという触れ込みだったのに、前の夜何度ためしても、電波も弱くてウイフィーもできず、インターネットが使えなかった。ほんとうに、ただ寝るだけの一晩でした。

でも四女はこの夜が一番よく眠れたといっていました。三女とベッドをシェアしたのにもかかわらず、昼間の疲れが残っていたのでしょう、きっと。

それから、おかしかった(と言っても誰も笑いはしなかったけど)、この夜は4人全員が同じ部屋で寝たのに、(あるいはそのせいか)、会話が一番少ない夜でした。きっともうみんなくたびれはてていたのだとおもいます。特に時差ぼけが残っていて、いつも朝の早い長姉など、枕に頭をつけるやいなや、爆睡状態でした。

夜10時ごろ到着、朝の8時半ごろ、朝食もなしに出発。文字通りの素泊まりでした。車にガソリンをいれることが朝一番の急務でした。とりあえず、バースの方向をめざして4人、てか、4人を乗せた一台は走り出しました。でも、天気は上々。おそらく1週間の滞在中、この日が一番の上天気でした。
(これも、M3のアルバムから)

そしてたどりついたペトロールステーション。(↓)

手元にあったレシートで見てみると、キーンシャム Keynsham という場所でした。ペトロール30リットル=40ポンド、オイル5リットル=21.5ポンド、とりあえず腹ごしらえのためのサンドイッチとファジタ(チキンロールみたいなの)を4つ=10ポンド、合計71.56ポンド(約9300円)の買い物でした。

ここの親切なおじちゃんが、ペットボトルを切り取って、じょうごを作ってくれた話はすでに、コチラ で書いたとおり。ここでは、あとから撮った写真を載せておきますね。このじょうごは、これからいつまでもトヨカロのブーツ(トランク)に住みついて、何かのときの役に立つことでしょうよ、きっと。(注はMOREで。)

オイル5リットルを飲もうとしているトヨカロ(↓)


それでは、この続きは、バース(その10)と、ストーンヘンジ(11)に続きます。写真もいっぱいありますよ。お楽しみに。


More  (注)

# by agsmatters05 | 2011-12-05 09:31 | Trackback | Comments(0) 

ふりかえる姉妹会(8)コッツウォルズはあっさりとでした。

このたびの姉妹会で、ミュージカルと同じくらい楽しみにしていたのが、コッツウォルズへ行って、ウインチカムの村のティーショップ「ジュリス」でハイティーをいただくことでした。

「ジュリス」については、この夏以来何度も触れてきました。

セガと最初に行ったときのこと ⇒ コチラ
次に同窓会の大先輩をお連れしていったときのこと ⇒ コチラ
そして、樹里さんの本やレシピーのこと、等々は コチラ
お店のホームページは コチラ 

これが叶ったら、わが姉妹たちは、女王のパレードよりもっと大きな話の種をもって家にかえることができたことでしょう。返すがえすも残念です。

「ジュリス」は改装工事中のため、11月いっぱいはお休みだったんです。
これを知ったのは、火曜日の22日、ブリストルのメグに電話したときのことでした。
メグは11月の9日から10日間ぐらいの予定で、USA 東海岸に、出張旅行中でしたので、姉妹が合流した夜はまだイギリスにいなかったのでした。

「ジュリス」休業中のニュースは、ほんとうにショックでした。
姉妹がC村に来るとすぐに、樹里さんの本を見せて、ここへ行くからね、おいしいスコーンを食べようね、と話していたのに。(涙)

23日の水曜日、それでもと思ってウインチカムの宮脇家にお電話をさせていただきました。
お父様の声で、「今はやってません。12月にまたきてください。」 とのことでした。
あきらめるよりほか、すべはないですよね。涙、涙、涙



いまでもまだ口惜しかったとおもっています。

でもね、通り道なので、トムトム君をセットして、コッツウォルズの一角、ブロードウエイという村に行くことにしました。

樹里さんのお父さんから教えていただいた、15世紀のリゴン将軍が建てたという古い建物がある村です。

ブロードウエイの ウエブサイトは コチラ。

とか コチラ  とか、

ユーチューブで見たい方は   コチラ にも。

↓は M3が撮影したものを、2-3回明るく、編集したものです。3時ごろだったけど、もう暗くて寒くて・・・。


リゴン将軍の建物のなごり。600年も前のものだって。



ここでは、ほんの30分、オシャレなお店をまわり、16世紀にリゴン将軍が建てたという古い建物(今はコッツウォルズで一番由緒のあるという宿になっている)の前で4人そろって記念写真をとったりしました。



とにかく、寒くて、あまりエンジョイしたとは言えなかったような。
先を急いで後1時間のドライブで、ブリストルのメグに会うのが次の予定でした。


# by agsmatters05 | 2011-12-05 07:34 | Trackback | Comments(0) 

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